先日、AMDのOB達が集うWebサイトを眺めていたら、シリコンバレーで活躍したコンピューター研究者・開発者であるAlan Kayの話題で盛り上がっていた。1960-70年代、シリコンバレーのメッカであるパロアルトにはXeroxやHPなどの研究所があり、その周りに半導体スタートアップが次々と誕生していた。Xeroxのパロアルト研究所(PARC)をはじめスタンフォード大学などでコンピューター研究者として活躍したのがAlan Kayである。

1940年生まれのKayは現在で81歳であるが、未だにいろいろな場面で発信をしている。彼がXerox時代に開発したごく初期のワークステーション“Star”にはAMDのバイポーラCPUであるAm2900ファミリーが使われていたので、AMDのOB達の中にはKayと親交がある人々もいる(私自身は会ったことはないが)。AMDのOB達が指摘していたのは、彼の過去での発言がどんどん現実化している現状である。天才的なコンピューター・アーキテクトとしてAlan Kayが残したコンピューターの未来予想の言葉についていくつか紹介したい。

「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」(Alan Kay)

1960年代にメインフレーム・コンピューター「360シリーズ」でコンピューターによる科学技術計算分野でビジネスを打ち立てたIBMが世界を牽引していたころ、Alan Kayは“DynaBook(Dynabook)”というNotePCのコンセプトモデルを開発した。小型ディスプレイ、キーボード、と記憶装置を登載したコンピューター本体で構成されたこのコンセプトモデルは現在のパソコン・スマートフォンでは当たり前のGUI(Graphical User Interface)を実装していて、いかにも「個人ユーズ」(パーソナル)なものに見えた。

Xeroxのパロアルト研究所でこれを目にしたSteve Jobsは大いにインスピレーションを掻き立てられ、仲間たちとその製品化にすぐさま取り掛かり、Apple最初の個人ユースのコンピューターである“Lisa”を発表したとされる。Lisaは大きなヒットとはならなかったが、その後に発表した“Macintosh”はそれまで科学計算・ビジネス分野でしか活躍の場がなかったコンピューターの計算能力を一般消費者向けに開放するという全く新たな環境を創造した。IBMがPC/ATで採用したマイクロソフトのDOSと異なり、Macintoshの画面では、タスクを実行するために無味乾燥な命令をキーボードで「打ち込む」のではなく、アイコンと呼ばれる愛嬌のある領域をクリックすることでタスクが始まる画期的なGUIを備えていた。

  • Macintosh

    著者所蔵のMacintosh。先日、電源を入れた際の様子

Steve Jobsのビジョンは一般消費者の手のひらにコンピューターの計算能力を提供することであった。それはApple側から見れば、高性能・小型・安価なコンピューターをユーザーニーズに合ったアプリケーションと一緒に提供することであるが、手にしているものがコンピューターだとは意識しないユーザー側では、それまで気付きもしなかった便利さや楽しさを経験することとなった。Macintosh成功の後、試行錯誤の結果iPhoneを世に出すことでSteve JobsとAppleチームはまさに「予想された未来を発明」してしまったと言ってよい。

「テクノロジーというのはあなたが生まれた時に存在しなかった全てのものだ」(1980年代の香港でのある記者会見でのAlan Kayの言葉)

先日テレビのニュースを漫然と見ていたら、新学期の開始を控えた学校が対面授業ではなくタブレットによる授業をする準備を整えていると話題が流れていた。コロナ禍での学校運営には数多くのチャレンジが予想され、現場をあずかる関係者各位のご苦労は大いにお察しするが、私が興味を惹かれたのは子供たちのタブレット授業への反応である。

「パスワードとかがあってちょっと難しい」などの反応はあったものの、タブレットを手にした子供たちは一様に興奮気味であった。親たちが常に手にしているデバイスを横目に見ていた子供たちにとっては「かっこいいおもちゃを学校の授業で堂々と使える」というのが本音なのではないかと感じた。半導体業界で30年を過ごし、テクノロジーの発展とその普及を目の当たりにしてきた私だが、道行く人のほとんどがスマートフォンを手にしている光景には未だに違和感を感じる。

  • iPhone

    著者所蔵の過去のiPhoneたち、どれも今でも起動する

子供たちが嬉々としてタブレットを操る姿を見てふとAlan Kayの「テクノロジーというのはあなたが生まれた時に存在しなかった全てのものだ」という言葉が頭をよぎった。タブレットは私にとっては「テクノロジーが凝縮したデバイス」であるが、子供達にとっては「クールなおもちゃ」なのだ。Alan Kay風に言えば「タブレットを実現するテクノロジーは子供たちが生まれた時には既に存在していたので、最早テクノロジーではない」ということになる。

それではこの子供たちがテクノロジーと認識するものは一体どういうものなのか、という問いは非常に興味深い。私が予想できるのは、そのテクノロジーの発展に大きく貢献するのは当分の間シリコンベースの半導体であろうということぐらいだ。

「ソフトウェアに対して本当に真剣な人は、独自のハードウェアを作るべきだ」(Alan Kay)

先日Teslaが8月中旬に開催した「AI Day 2021」に関する記事を読んだ。

Teslaが開発を進めている最新のAI技術を披露するイベントである。衆目を集めたのは人型ロボットであったが私が興味を持ったのは最後に登壇したCEOのElon Muskが「競合他社の多くがソフトとハードの開発を外部のサプライヤーに委託しているのに対し、Teslaは重要部分は全て自前で構築している」と言ったことだ。ソフトの自社開発は分かるとして、ハードウェア、特に半導体の自社開発を積極的に進めるのはTeslaだけではない。Google、Amazon、Facebook、Microsoftなどの巨大プラットフォーマーはAI機能を向上させる半導体デバイスの自社開発を加速化させている。

  • Barcelona

    AMDが開発したQuad-CoreデザインのCPU「Barcelona」のブロック図

従来の状況であれば、システムを運営するIT各社が半導体の自社開発を手掛けるという状況は想像できなかったが、各社はAI機能を強化する専用デバイスの自社開発に躍起になっている。この状況が現出した理由には下記の市場変化があると思われる。

  • 半導体業界の水平分業化によりデザインに特化するファブレス企業と、製造に特化するファウンドリ会社に二分されることになった。デザインがあれば資金次第で委託製造は十分可能である。
  • 激しい市場の食い合競争を展開するIT各社は自社のサービス向上の加速化には汎用チップでは充分な差別化ができないために、自社でキーデバイスを開発することは重要な差別化要因となってくる。カスタム半導体の開発にはそのボリュームが常に問題となるが、巨大企業各社はカスタム化にかかるコストを吸収する経済規模を保有している。
  • 巨大経済を形成し、さらに拡大を続けるIT各社はM&Aも含めて優秀な技術者を惹きつける条件を充分に備えている。優秀な技術者にとって、自身が持つ斬新なアイディアを実現する場としてはデバイス開発のファブレス半導体企業以外のオプションもかなり魅力的なものとなる。

Alan Kayが「ソフトウェアに対して本当に真剣な人は、独自のハードウェアを作るべきだ」と発言した1980年代で現在の状況を予見していたとは考え難いが、コンピューター業界の「預言者」としてのAlan Kayの言葉はいよいよ現実味を帯びてきている。彼の頭の中で未来はどのように映っているのだろうか? Steve Jobsがまだ生きていたらどうしただろうか? 興味は尽きない。