日本に後工程の技術研究所開設を発表、台湾での5nm製造のさらなる増強、米国での前工程設備の増強と矢継ぎ早の攻めの攻勢をかけるTSMCは、“世界最大の半導体ファウンドリ会社”としての圧倒的な存在感をさらに増すばかりである。
TSMCはSamsungを含む他のファウンドリ企業の中でも突出した存在となっている。下記の理由が注目点である。
- メモリ以外の半導体業界全体が急速にファブレスに向かっている。
- 世界のロジック半導体市場をリードするQualcomm、AMD、NVIDIAといったファブレス企業の多くがTSMCへの生産委託を行っており、TSMCは急増する需要にしっかり応えるように最先端の微細加工技術を他社に先駆けて量産ラインに移行している。しかも果敢な設備投資による量産能力の増強で他社を寄せ付けない強さを発揮している。
- 激しいつばぜり合いを繰り広げる米中の技術覇権競争の中にあって、台湾企業として世界中の半導体製造のカギを握る最も重要な企業となっている。
Texas Instruments(TI)での勤務を経て台湾政府に招かれて1987年にTSMCを創立したMorris Changは文字通り半導体業界のレジェンドであり、TSMCを世界の半導体業界の中心的企業に育て上げた。
その業績は大きく賞賛されるべき偉業であるが、TSMCとChangに関する報道は従来かなり限られており、あまり多くが語られていない。最近急速にクローズアップされる存在となり、報道面でも良く取り上げられるが、その圧倒的な存在と対比をなす形でTSMCのイメージはかなり地味なものである。これにはあくまで半導体ファウンドリという黒衣(くろこ)の役割に徹するTSMCの企業姿勢が大いに関係していると私は思う。
私は1986年にAMDに入社して、幸運なことにRobert Noyce(Intel)、Gordon Moore(Intel)、Jerry Sanders(AMD)といった半導体業界の歴史に登場したレジェンド達と間近に接する機会があったが、残念ながらChangと会った事は一度もない。
もっとも、AMDがTSMCと深い関係を持つようになったのはごく最近の話で、後にGLOBALFOUNDRIESの主力工場となったドレスデン工場をAMDが切り離すまで私の周りの半導体企業の多くが垂直統合型のIDMが主流だったのでChangと会う幸運には恵まれなかったというのは致し方のないことではある。
最近AMDのOBが集うWebサイトに「Amazing Story of Morris Chang」という記事が載っていたので、興味を持って読んだ。今回のコラムはその記事にヒントを得て書いたものである。
台湾政府の招きに応じてTSMCを創業したChang
1931年に中国浙江省の寧波市に生まれたChangの幼少時代はその時代を取り巻く状況に翻弄された。第二次大戦の発端となった日本軍による中国本土への侵略の最中である。
大戦を切り抜けた中国だが、文化大革命の過程で内戦状態に置かれた。そうした動乱の中、一家は香港に移り住んだが、これがChangが世界に羽ばたく門戸を開いた。米国の名門ハーバード大学への入学が許されたのである。
Changはハーバードの後、すぐにMIT(マサチューセッツ工科大学)に進み、ここで機械工学の学位をとる。シリコンバレーの創業レジェンドの多くが電子工学・物理・化学出身が多いのを考えると、機械工学を学んだChangの選択はその後の彼の進路を予感させるような気がする。
やがてChangは当時は世界の半導体業界をリードしていたTIに採用され、持ち前の勤勉さと生まれ持った優秀な頭脳を発揮して1960年の初頭にはすでに事業部長レベルまでとんとん拍子に出世していた。その後VP(副社長)となるが、ChangのTIでの半導体部門での出世物語は突然終わりを告げる。
当時いくつかの半導体企業ではコンシューマービジネスへの参入が流行していた。TIも卓上計算機などのコンシューマビジネスに将来の成長を期待していたが、これらはまったくうまくいかず赤字続きであったところ、本流の半導体分野で頭角を現していたChangは突然コンシューマー部門への移動を告げられた。この理由については当の本人自身が語らないので分からないが、この記事では、Changが当時はまだ少数派であったアジア系エンジニアであったことが関連しているのではと述べている。
TIでの将来について行き詰まりを感じたChangはSylvania Semiconductor社に職を得る。当時は照明器具や真空管などで大きなビジネスを展開していた企業だった。しかし、半導体への夢を捨てきれないChangの心境はモヤモヤっとした状態であった。
そんなChangのもとへ台湾政府から思いがけない招きがあった。「台湾に移住して半導体産業を立ち上げてくれないか?」、という台湾政府の誘いである。大いに刺激され即決したChangであるが、台湾に行ってみると状況はかなりがっかりするものであった。研究開発のベースがないどころか、米国がほとんど握っている技術特許などの知的所有権が何もなかったのである。
しかし、わずかに半導体製造のノウハウがあった。そこでChangの頭によぎったことが、当時の米国の半導体ベンチャーが直面していた問題だ。半導体は当時、IDM(垂直統合型)のビジネスモデルが当たり前だったが、一方で、回路設計・先進アーキテクチャなどの素晴らしいアイディアを持つ多くの優れたエンジニア達が、製造設備にかかる膨大な資金を集められないがゆえに自身の夢をあきらめざるを得なかった現状をChangは知っていたのである。「こうした優秀なエンジニアの先進的なアイディアを製品化できないか?」、という考えに至った結果が“シリコン・ファウンドリ”というまったく新しいビジネスモデルであった。
当時大規模なファブを運営していた半導体企業の中で、自社製品ブランド以外の製品を扱うというのは私が経験した中でもIBMくらいしかなかった。しかも、そのキャパシティはかなり限られていた。電子機器の中心プラットフォームが、PCからスマートフォン/データセンターへと移行する業界の大きなパラダイムシフトをTSMCは逃さなかった。
TSMCの今後
2018年、半導体業界のレジェンドであり、台湾の英雄であるChangがTSMCを引退するというニュースは各国で大きく報道された。しかし、Changが去った現在でもTSMCの加速的成長は止まらない。
世界の半導体ファウンドリ需要の50%以上を担うTSMCは、その圧倒的な技術力と製造キャパシティで他社との差をさらに広げつつある。ファブレス半導体企業の大手ブランドが顧客としてひしめく中、本来それら半導体企業の顧客であったAppleやGoogleなどの巨大プラットフォーマーもその主要顧客リストに名前を連ねるようになった。
IDM(垂直統合型企業)の代表格であったIntelまでもが最先端プロセス開発に躓きTSMCへの依存度を高めることを検討している。向かうところ敵なしのTSMCの強さであるが、その存在が強大化するにつれて顕在化する問題がある。その一番の問題が、TSMCが本拠地を置く台湾が海峡を挟んで対峙する中国と米国の技術覇権競争である。
最近開催された中国で最も重要なイベント、全人代(全国人民代表大会)では、社会インフラの核心的技術である半導体分野での米国からの遅れを認識したうえで、世界で最大の半導体消費国である中国における半導体の地産地消を早急に実現することをはっきり打ち出した。
半導体の複雑なサプライチェーン全体を視野に入れた中国政府の決意は相当に固いものととみられ、台湾の地政学的ポジションは抜き差しならない状況に置かれている。その中心に位置するTSMCの今後は、単なる最先端半導体ファウンドリ企業を超えた大きな意味を持つこととなる。