2015年12月7日。5年前と同じように、JAXA相模原キャンパスは多くの人々であふれていた。この日、空に雲はわずかしかなく、夜明けの空に月と金星が輝いていた。微かな、しかし確かな光に照らされた相模原キャンパスは、冬の寒さの中にあっても、大勢の人々の努力と情熱を包み込み、暖かな熱を帯びていた。

本連載ではこれまで、日本初の金星探査計画がどのようにして立ち上がり、飛び立ち、そして5年前の失敗を経験し、けれどもそこから這い上がってきたのかについて紹介した。また「あかつき」のプロジェクト・マネージャーを務める中村正人さんに、これまでの経緯や心情についても伺った(第1回、第2回、第3回、第4回、第5回、第6回)。

最終回となる今回は、12月7日に実施された金星周回軌道への投入の日のことと、その日の午後と2日後の12月9日に行われた記者会見を振り返り、「あかつき」が5年前の失敗から甦り、ついに金星を回る衛星になった日の出来事について見ていきたい。

姿勢制御用スラスターで金星周回軌道への投入に挑む「あかつき」の想像図 (C) JAXA

12月9日の記者説明会後の記念撮影にて。中村さんは「V」、今村さんは「C」、廣瀬さんは「O」と手で形作り、「あかつき」のもうひとつの名前である「VCO」(金星気象衛星)を表現している。 (撮影: 渡部韻)

なんとしてでも金星周回軌道に

「あかつき」は12月1日ごろに金星の軌道よりも外側に出たため、金星に対する速度が落ち、後ろから金星が追い付いてくるかたちとなった。そして12月7日になると金星が「あかつき」を追い越すため、この瞬間を狙って姿勢制御用スラスターを、進行方向の前に向けて、つまりブレーキをかけるように噴射する。すると、金星をまわる軌道(周回軌道)にぐるんと入れる、という寸法だ。

このとき、地球と「あかつき」との間は約1天文単位、つまり地球と太陽ほども離れていたことから、通信には片道8分19秒もかかる。そのため7日に「あかつき」が行う動作はあらかじめプログラムに書き込まれ、すべて「あかつき」自身の判断で行えるように整えられた。6日にはそのプログラムが「あかつき」へ送られ、地上でできることは、「あかつき」の様子を見守り、必要であれば指令を送ることだけだった。

「あかつき」にとって、姿勢制御用スラスターを20分間も噴射するというのは初めてのことだった。地上試験ではそれ以上の噴射実績があるものの、宇宙空間で、それも惑星の軌道投入という本番で、さらに満身創痍の宇宙機が行うことは空前のことだった。

また、噴射の直前から噴射中にかけては金星の影の側に入ることから、太陽電池は使えず、電力は内蔵されたバッテリーに蓄えられた電気でまかなうが、バッテリーのみで探査機を動かすのは久しぶりのことだった。運用チームはこの5年間、フル充電にしないようにすることでバッテリーの劣化を防ぎ、そして今回の再挑戦の直前に100%まで充電され、軌道投入に備えた。

しかし、ただでさえ設計寿命を超え、想定以上の太陽の光にあぶられ続けた「あかつき」にとって、この軌道投入は大きな難関だった。本当に姿勢制御用スラスターを20分間も噴射し続けられるのか、バッテリーはもつのか、コンピューターが止まらないか、あるいは事前の軌道設計は本当に正しいのか——。不安要素や失敗するシナリオを考えるときりがなかった。運用チームは想像力を最大限に発揮し、もし何か問題が起きるとしたらどういうことか、そしてそれが起きても軌道投入するために何ができるか、といったさまざまな検討と対策を行った。

そのうちのひとつが、「VOI-R1c」と名付けられた追加の噴射モードである。今回の軌道投入のことを、運用チームは「VOI-R1」と呼んでいる。VOIとは「金星軌道投入」を意味する「Venus Orbit Insertion」の頭文字で、Rは「Re-何々」とか「Revenge(雪辱)」といった単語が想定されている。1回しか噴かないので、1という数字が付いている。

しかし、もしこのVOI-R1がうまくいかず、十分な量の噴射ができなかった場合を考え、そのあとに追加で噴射をする「VOI-R1c」という動作があらかじめ組み込まれることになった。この「c」という文字には「correction(補正)」や「contingency(万一の)」といった意味が含まれている。

VOI-R1では、探査機の上面(高利得アンテナがある面)にある姿勢制御用スラスターを噴射する。もしVOI-R1がうまくいかなかったとしたら、この上面にあるスラスターに問題がある可能性が高い。そこで、VOI-R1が完了する時間がくると、その直後に機体をほぼ反転させ、下面(壊れたセラミック・スラスターがある面)を前方に向ける体制をとる。VOI-R1が成功していればそのまま、もし失敗していれば、地上からの指示で下面にあるスラスターを使ってVOI-R1cができるようにする。

また、たとえば噴射中に探査機の内部で何か異常が起きても、簡単には噴射を止めずに姿勢を維持するモードが組み込まれた(通常、わずかでも異常が起これば、安全な状態に保つためのモードに入るようになっている)。とにかく考えられる限りの対策が練られ、なんとしてでも金星周回軌道に入れるための工夫がなされた。

太陽を中心とした場合の、金星と「あかつき」の軌道図。2015年11月までは「あかつき」は金星の前方を飛んでいるが、12月1日ごろより「あかつき」は金星軌道より外側を飛行する。このため、「あかつき」の飛行速度が金星より遅くなり、金星は少しずつ「あかつき」に近付いていく (C) JAXA

一方こちらは金星を中心とした場合の軌道図。金星と「あかつき」が追い付き、追い越された瞬間は、「あかつき」は金星の進行方向後ろ側を通過している。この後ろ側を通過する間の約20分間に減速するようにエンジンを噴射し、「あかつき」を金星周回軌道に投入する。 (C) JAXA

2015年12月7日

こうして、考えられる限りの手が尽くされた上で12月7日を迎えた。

そして8時51分29秒、「あかつき」はスラスターの噴射を開始。運用管制室に詰めた約40人の運用チームはもちろん、取材にやってきた報道陣、そして相模原キャンパスの展示室に詰め掛けた宇宙ファンらは、固唾を呑んで見守った。そして9時11分57秒に噴射を終了。その約8分19秒後に、噴射完了を示す信号が「あかつき」から地上へと届いた。続いて、衛星の状態を確認する作業が行われ、温度や機器に流れる電流、機器のスイッチの状態など、すべて問題が無いことが確認された。

中村さんによると、このあと石井信明さん(「あかつき」プロジェクト・エンジニア)は「これでオペレーションは正常に終了しました」と宣言したという。そして中村さんも「これで我々は成すべきことを成しました」、続いて英語で「Our dreams will come true」(私たちの夢は叶うでしょう)と語り、緊張の続いた運用チームをねぎらった。

「あかつき」の様子を見守る中村さん (C) JAXA

「あかつき」の姿勢制御用スラスターが計画通り噴射されたことを示すデータが届き、拍手が沸いた運用管制室。 (C) JAXA

この日の12時に、記者会見に登壇した中村さんは、このように語った。

「本日、我々宇宙研は金星探査機『あかつき』の金星周回軌道投入のオペレーションを行いました。本日(12月7日)の8時51分29秒から9時11分57秒までの1228秒間、エンジンを噴射するというオペレーションを計画いたしまして、計画通りこれが行われたことを確認しております。噴いている方向と噴射量は予定されたものとほぼ同じでありますので、当初予定していた軌道に入るということは大変期待がもてると、我々としては考えておりますが、正確な軌道につきましては、これから実際に飛んでいるところを追跡し、実際にそこを飛んでいるということを確認し、2日後(12月9日)には、これをみなさんに発表することができると考えております」。

「あかつき」プロジェクト・マネージャーの中村 正人(なかむら まさと)さん (JAXA宇宙科学研究所 太陽系科学研究系 教授) (撮影: 渡部韻)

物理法則が間違っていない限り、噴射方向と噴射時間が計画通りならば、金星周回軌道に入っていることはほぼ疑いようがなかった。探査機から間違ったデータが送られてきて正常に噴射が行われたように見えただけだったとか、異常を示す信号が送られてきたにもかかわらず、地上での処置の段階でミスがあって正常に見えていただけだったとか、失敗のシナリオはいくらでも考えられるが、可能性としては低い。

一番可能性としてありえるのは、軌道投入には成功したものの、その前後で探査機が壊れたという場合である。ただでさえ満身創痍な上に、初めて、あるいは何年かぶりに行う動作が多く、それが引き金となり探査機が不調をきたしている恐れはあった。期待と不安の入り混じった2日間が過ぎ、12月9日がやってきた。

ヴィーナスは微笑んだ

12月9日18時、相模原キャンパスに設けられたプレスセンターには多くの報道陣が詰め掛けていた。「『あかつき』の金星周回軌道投入結果に関する記者説明会」と題されたこの会見には、プロマネの中村さん、今村剛さん(「あかつき」プロジェクト・サイエンティスト)、そして軌道設計を担当したひとりである廣瀬史子さんの3人が登壇した。

中村さんは説明会の冒頭で、次のように述べた。

説明会の冒頭で、「あかつき」の金星周回軌道投入が成功したことを発表する中村さん (撮影: 渡部韻)

「宇宙科学研究所の金星探査機『あかつき』は、探査機軌道の計測と計算の結果、金星の重力圏に捕らえられ、金星の衛星になりました。月曜日(12月7日)に行われたました、軌道投入オペレーションは成功いたしましたことをご報告させていただきたいと思います。

姿勢制御用エンジン噴射後の「あかつき」は、金星周回周期約13日14時間、金星に最も近いところで高度400km、最も遠いところで高度約44万kmの楕円軌道を、金星の自転と同じ方向に周回しています。現在、探査機の状態も正常であることも確認しております」。

続いて、軌道投入後に搭載カメラの機能確認もかねて撮影された、金星の画像も公開された。説明を担当した今村さんは熱のこもった口調で語り、「こうした観測データを組み合わせることで、金星の大気の、惑星スケールでの大気の循環の謎、雲の謎に迫っていく、金星の気象衛星としての役割を果たしていけると考えています」との期待を述べた。

「あかつき」プロジェクト・サイエンティストの今村 剛(いまむら たけし)さん (JAXA宇宙科学研究所 太陽系科学研究系 准教授) (撮影: 渡部韻)

今村さんはまた「『あかつき」のデータを見て、世界の惑星科学者が、こういうところを集中して見ると、こんなにおもしろいことがあるんだ、新しいことがわかるんだ、ということに気付くと思うんですね。それと同時に、研究をしているわけではない皆さんにとっても、惑星の大気ってこんなに大きく変化していて、動いていておもしろいんだ。ひるがえって、地球の大気はどう動いているんだろう、地球と金星の動きの違い、風の違い、雲のでき方の違いはどうなんだろう、と気付くと思うんです。そうしたところから、あらためて地球の環境、地球の大気に対する興味が高まってくるということを期待しています」とも語った。

1μmカメラ(IR1)によって撮影された画像。12月7日13時50分(日本時間)ごろ、金星から高度およそ6万8000kmのところで撮影。 (C) JAXA

中間赤外カメラ(LIR)によって撮影された画像。12月7日14時19分(日本時間)ごろ、金星から高度およそ7万2000kmのところで撮影。 (C) JAXA

紫外イメージャ (UVI)によって撮影された画像です。LIRとほぼ同時に、12月7日14時19分(日本時間)ごろ、金星から高度およそ7万2000kmのところで撮影。 (C) JAXA

廣瀬 史子(ひろせ ちかこ)さん (JAXA宇宙科学研究所 研究開発部門第一研究ユニット 主任研究員) (撮影: 渡部韻)

「あかつき」を工学面で支え続け、今回の軌道計画を立てたひとりでもある廣瀬さんは「まずは家族に感謝したいと思います。娘は夜遅く帰ってきても大はしゃぎで、がまんしているんだなと思います。夫は軌道投入前(6日)に、豆乳鍋を作ってくれました。そうした支えの連続でした。そしてチームのメンバー。これまで5年間、観測成果を解析して研究するというのがサイエンス・チームの目標でした。彼らが『あかつき』の運用を5年間支えてくださりました。そして米航空宇宙局(NASA)とジェット推進研究所(JPL)が、『あかつき』の運用や軌道決定を支えてくれています。海外の協力があってこそ、今回の投入が成功しました」と語り、この5年間を振り返った。

また「軌道計算は4人でチームとなり、一丸となってやりました。それぞれが何万ものケースを計算し続け、2年半ほど延々と解析を止めることができず、良い答えが見つかるまで、みんな寝ても覚めても計算し続けていました」と、軌道設計の苦労を語った。

探検を終わらせるな

かくして「あかつき」は5年前の失敗から甦り、ついに金星を回る衛星になった。

この成功はまた、日本にとって初めてとなる惑星探査機が誕生したことも意味している。本来、日本初の惑星探査機となるはずだった火星探査機「のぞみ」は、この発表のちょうど12年前である2003年12月9日に、火星周回軌道への投入を断念している。中村さんは「我々はやっとこれで、惑星探査の世界への仲間入りができました。これは日本が世界にデータを供給できるようになったということ意味しています。これが一番大きなことです」と語る。

「あかつき」はこれから約3カ月、各機器の機能確認を行う。また並行し、金星から最も遠いところの高度を31~34万kmまで下げ、周期約9日間という観測しやすい軌道に整えた上で、2016年4月から「気象観測衛星」としての定常観測が開始されることになっている。

現在のところ、「あかつき」の観測期間は2年間が予定されている。しかし、すでに設計寿命を超えた探査機にとっては、これから毎日が苦労の連続となる。少しでも長く、そしてできれば2年間、無事に動き続けてくれることを願いたい。

中村さんは「これからも厳しい運用が続いてまいりますが、どうぞ皆さまのご支援をお願いしたいと思います」と延べ、会見を締めくくった。


英国の詩人T.S. エリオットが書いた『四つの四重奏』の「リトル・ギディング」の中に、次のような有名な一節がある。

We shall not cease from exploration
And the end of all our exploring
Will be to arrive where we started
And know the place for the first time.

(探検を終わらせるな
すべての探検の結末は
我々が足を踏み出した場所に至るだろう
そして私たちは、初めてその出発点を知ることになる)

金星探査機「あかつき」の探検により、私たちは金星の新しい姿を知ることができるだろう。そして私たちが暮らしているこの地球のことさえも、より深く知ることができるようになるに違いない。

私たちは、さらなる未知の世界へ足を踏み出すことができるのである。

金星軌道に入る「あかつき」の想像図。この想像図は5年前に作られたものだが、奇しくも今回の軌道投入と同じように、上面側を前方に向け、金星の影でエンジンを噴射し、夜明けに向かって飛ぶ様子が描かれている。 (C) JAXA/池下章裕

12月9日の記者説明会後の記念撮影にて。中村さんは「V」、今村さんは「C」、廣瀬さんは「O」と手で形作り、「あかつき」のもうひとつの名前である「VCO」(金星気象衛星)を表現している。 (撮影: 渡部韻)

脚注

・JAXA | 金星探査機「あかつき」の金星周回軌道投入における姿勢制御用エンジン噴射結果について
 http://www.jaxa.jp/press/2015/12/20151207_akatsuki_j.html
・JAXA | 金星探査機「あかつき」の金星周回軌道投入結果について
 http://www.jaxa.jp/press/2015/12/20151209_akatsuki_j.html
・Live from Sagamihara: Akatsuki Orbit Insertion Success! | The Planetary Society
 http://www.planetary.org/blogs/guest-blogs/2015/1207-live-from-sagamihara.html
・Live from Sagamihara: Akatsuki in Orbit, Day 1 | The Planetary Society
 http://www.planetary.org/blogs/guest-blogs/2015/1208-live-from-sagamihara.html
・金星探査機「あかつき」の金星周回軌道投入結果に関する記者説明会 - YouTube
 https://www.youtube.com/watch?v=O3PFCSi7qPw