スランプを乗り越えた森山大道氏は、「Daido Hysteric 三部作」以降、より自由に、自信を持って写真を撮っていると飯沢氏は語る。森山大道シリーズの最終回は『新宿』、『ハワイ』など2000年以降の森山の写真について伺った。

新宿 2001-02年

森山大道の原点の街

森山大道さんは、2000年代に入って『新宿』(2002年)を出版する。これまた分厚い本で600ページ以上あるんだけど、これは『にっぽん劇場写真帖』以来の新宿の写真の集大成なんだ。森山さんのホームグラウンドである新宿をもう1回きちんと歩こうとしている。この写真集では、新宿という街があらゆるモノ、ヒト、建物などが混じり合ったカオスになっていて、それ自体が非常に独特な生命感を発する「生きもの」であることが見事に捉えられているんだ。

森山さんから話を聞いて面白かったのは、最初はタイトルを『新宿』ではなく「唇の街」にしようと思っていたんだって。たしかに『新宿』を見ていると唇のイメージがけっこう出てくる。それはきっと森山さんが新宿に対して女性的なイメージを持っているからなんだろうね。新宿という街自体が持つエロスを意識して撮っているところがある。「Daido Hysteric 三部作」のどちらかといえばクールな印象に比べると、写真がかなり生々しくてエロチックなんだ。「三部作」以降、森山さんの写真はいろんなことに対してすごく自由になっている。いい意味で自分の仕事に自信を持っていて、これをやるしかないと開き直っているんだ。

森山さんは保険会社に勤めていた父親の仕事の関係で、小さいころは全国をいろいろと渡り歩いている。その名残からか、1ヶ所に留まって写真を撮るんじゃなくて、移動しながら撮ることが基本スタイルになっている。だいたい5年くらい同じ場所にいると、周囲を撮り尽くして違う場所に移動したくなるらしい。新宿という街は『にっぽん劇場写真帖』から何度も出ていっては戻ってきて撮っているから、思い入れが特別に強いのがよくわかる。この前お会いしたときも「新宿はもう1回撮るような予感がある」と言っていたから、やっぱり特別な場所なんだろうね。

『新宿』(2002年/月曜社)

『新宿』より

『新宿』より

記憶の風景を写し取る写真

森山さんの新しい写真集『ハワイ』もすごく面白かったね。森山さんは以前からハワイに憧れがあったらしい。「憧れのハワイ航路」という歌があるくらいだから、彼の世代だと海の彼方にある憧れの土地になるんだろうね。だけど、実際にハワイを撮ってみたら、誰が見ても熱海にしか見えない(笑)。『ハワイ』には「晴れた空、そよぐ風」じゃなくて、真っ黒で暗い風景が写っている。

森山さんは、生まれる前の原記憶みたいなことに対してすごいこだわりがある。写真を撮りながら"記憶とは何か?"とよく考えているらしい。だから森山さんの写真には、単なる過去の一場面というよりは、母親の胎内みたいな人間全てに共通する「始まり」の記憶が写り込んでいるところがある。始源的とか初源的というような言い方ができるかもしれない。そこに見えてくる世界は懐かしいけれども、同時にどこか怖いところもある。そういう原記憶の光景を森山さんは写真を通じて探り出しているような気がする。僕はハワイには1回しか行ったことがないけど、見ているとどこか懐かしい感じがする写真が何枚も含まれている。それはたぶん人類の記憶とでもいうべきものが写真に写り込んでいるからなんだろうね。そういう記憶の光景を喚起する力がすごく強い。初めて見たはずなのに、以前にも見たことがあるような気がする既視感(デジャ=ヴュ)みたいなものかな。モノクロームのプリントの方が、カラーよりもそういう誘い出す力が強い気がする。『ハワイ』はそれがはっきり現われている写真集だと思う。

『ハワイ』(2007年/月曜社)

ハワイ 2007年

ハワイ 2007年

印刷媒体から展示媒体へ

90年代以降、森山さんは海外で展覧会を開催することが増えてきて、その評価はものすごく上がっている。とくに2003年にパリのカルティエ現代美術館で行なわれた「DAIDO MORIYAMA」展はすごかった。僕も今までいろいろな写真展を見ているけど、カルティエの展覧会は最高レベルだったと思う。巨大サイズの写真がぎっしり並んでいる様はまさに圧巻。『にっぽん劇場写真帖』の最後にある胎児の写真を壁紙にして、その上に写真を並べたインスタレーションは見ていて感動した。展示についてはタカ・イシイギャラリーの石井孝之さんや、カルティエ現代美術館のキュレーターも関わっていると思うけど、基本的には森山さんのアイディアだと思う。

森山さんは90年代までは、写真集を作ることが最終的な発表手段だとずっと考えていたようだ。展示はおまけだってね。でも2000年代に入ると展覧会の面白さに気がついたんじゃないかな。90年代以降、写真家たちの考え方がずいぶん変わってきて、写真集や雑誌のような印刷媒体だけでなく、美術館やギャラリーのような展示メディアで作品を発表する人が増えてきた。見る側も写真に包み込まれるような空間体験を意識し始めたころだね。森山さんの意識の変化はそういう時代状況に対応している。インスタレーションとして展覧会の空間を構築する喜びを感じて、もともとデザイン感覚があるから、空間を構築するセンスや能力も非常に高いね。だから今回開催される森山大道展も、きっと空間として面白い作品になっていくと思う。開催する東京都写真美術館では、2階と3階の2フロアを展覧会に使用するけど、これほど大きな展覧会は今までほとんどなかったから、森山大道展に力を入れていることは間違いない。現在、森山大道という写真家についての関心が、若い世代も含めて再び高まっている時期だから、かなり盛り上がりそうだ。今年を代表する展覧会になるのは間違いないよ。

【これから森山大道を知りたい人へオススメな本】

文庫版『新宿+』(2006年/月曜社)。2002年に刊行された『新宿』を再編集+増ページした復刻版

文庫版『大阪+』(2007年/月曜社)。1997年に刊行された『Daido Hysteric no.8』を再編集+増ページした復刻版

飯沢耕太郎(いいざわこうたろう)

写真評論家。日本大学芸術学部写真学科卒業、筑波大学大学院芸術学研究科博士課程 修了。
『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書)でサントリー学芸賞、『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房)で日本写真協会年度賞受賞。『写真を愉しむ』(岩波新書)、『都市の視線 増補』(平凡社)、『眼から眼へ』(みすず書房)、『世界のキノコ切手』(プチグラパブリッシング)など著書多数。「キヤノン写真新世紀」などの公募展の審査員や、学校講師、写真展の企画など多方面で活躍している。

まとめ:加藤真貴子 (WINDY Co.)