「地理空間情報」(GEOINT : Geospatial Intelligence)というと、ついつい陸の上のことばかり考えてしまいそうになるが、海にも関わりがある。軍民問わず必要になる項目としては、海図を初めとする各種図面の作成がある。

海図とは

海というと「真っ平らな水面」というイメージがあるし、実際、水面だけ見ていればその通りである。しかし、海底の地形には起伏があれば地質の違い(岩とか砂とか)もある。水深が5mしかないところに吃水が6mあるフネを突っ込ませれば、座礁する。しかも海では潮の満ち干があるから、同じ場所なら水深が常に同じというわけではない。

そこで、船舶の安全な航行のために、海図が必要になる。海図には、水深、底質、海底の危険物、航路標識などといった情報が描かれている。

日本では、海図の作成と、それに必要なデータの収集を海上保安庁が担当しており、海図を作成するためのデータ収集に必要な機材を搭載した「測量船」を運用している。例えば水深の測定であれば、音響測深儀というものを使う。海中では電波は使えないので音響センサーを使うが、これは潜水艦を捜索するのに、レーダーではなくソナーを使うのと同じ図式。

音響測深儀は海底に向けて音波を発信して、それが戻ってくるまでの時間を使って水深を調べる。基本的には真下に向けて音波を出すから「点」あるいは「線」のデータしかとれない。

だが、マルチビーム音響測深儀というものがあって、これは左右方向に広がりを持つ扇形の音波を出す。海上保安庁の水路部が1983年に導入したマルチビーム音響測深儀は、左右40度ずつの範囲に合計16本の音響ビームを出すものだったという。これを作動させながら船を前進させれば、前後・左右を同時に走査できて海底地形の調査が迅速になる。

海図だけでなく、海流や潮汐など、さまざまな情報が必要になるのだが、本連載は「軍事とIT」だから、そこまで踏み込むのは止めておく。

軍事に関わる海洋情報

軍艦とて「船」の一種だから、航行の際には海図をはじめとする各種図面の御厄介になる。海上自衛隊の艦艇一般公開で艦橋に立ち入らせてもらうことができれば、艦橋の片隅に海図台があるのを見ることができる。

  • 砕氷艦「しらせ」の海図台(一般公開時に撮影)

艦船が航行している時は、海図を常に参照しているし、そこに現在位置を書き込んでいく作業もある。だから海図台がある一角には、GPS(Global Positioning System)を初めとする測位機材の表示器も置かれている。

ここまでは軍民に関係なく共通する話だが、特に軍艦の場合、海底地形や水深の情報が問題になる。潜水艦というものがあるからだ。

水上艦なら、座礁するかどうかが問題だから、水深が吃水よりも大きい分には、水深が50mだろうが5,000mだろうが大差はない。しかし潜水艦の場合、水深は「どこまで潜航できるか」に関わる大問題である。だから、正確な海底地形情報がないと、潜水艦の運用に差し障りがある。

また、潜水艦にとっても水上艦にとっても、ソナーの動作に影響する要因、つまり海底地形だけでなく水温や塩分濃度のデータが重要になる。海底からのソナー音波の反射、海中でのソナー音波の偏向・湾曲・反射といった話があるからだ。

よって、潜水艦を運用する国なら、大抵は海洋観測艦を配備して独自にデータ収集に当たらせている。海上保安庁(日本の場合)が収集しているデータだけでは足りないし、情報の管理・保全という問題もあるので、内輪で情報を集める必要がある。

米海軍みたいな「大手」だと、海洋観測艦と測量艦を別々に保有・運用している。海水そのものを相手にするか、海底や周囲の陸地を相手にするか、という違いだろうか。それに対して、我が海上自衛隊は海洋観測艦だけである。

  • 米海軍の測量艦「モーリー」(T-AGS-66) Photo : US Navy

  • 米海軍の海洋観測艦「ニール・アームストロング」(T-AGOR-27) Photo : US Navy

そしてこの分野では近年、無人潜水艇(UUV : Unmanned Underwater Vehicle)、あるいはAUV : Autonomous Underwater Vehicle)の利用事例が増えている。ソナーや測深儀などのセンサー機器を搭載した無人艇を目標海域に放ち、自動的に走り回らせてデータを収集、最後に無人艇を揚収してデータを取り出すという図式。

海底の地形がわからないと困る場面は、まだある。潜水艦を探知するために、海底にパッシブ・ソナー・アレイ、いわゆるSOSUS(Sound Surveillance System)を設置しようとすれば、当然ながら設置する場所の海底地形がわかっていないと話にならない。

浅くて平らなつもりでいたら、実は深い落ち込みがありました、ということになれば、SOSUSの敷設そのものがやりづらくなるし、SOSUSで探知できる範囲にも影響がある。この辺は、民間で実施する海底ケーブルの敷設と共通する部分がありそうである。

これでようやく「軍事とIT」らしい話に行き着いた。

その場で水温を観測

海洋観測艦や測量艦を平時から走り回らせて収集したデータは、いわば「基本資料」である。海底地形は、大地震や海底火山の大噴火でもない限り、そうコロコロ変動するものではないだろうから、それでも用が足りる。

しかしそれとは別に、「いま現在」のデータが欲しい場合もある。その一例が水温。そこで、ソナーを扱う艦艇や航空機は、海中に投入する温度計を備え付けている。

つまり、海面から下に温度計を降ろしていって、深度に応じて水温がどう変化するかをその場で調べるというわけだ。

そういう機材の一例が、AN/SSQ-36 BT(Bathythermograph)ブイ。形は第100回で取り上げたソノブイと同じだが、機能はまるで異なる。着水したブイから水温計をケーブルで海中に降ろして、そのデータを無線で送るというものである。これも一種の海洋観測といえるだろうか?

もしも広い外洋でBTを投下して、「深度○○メートルで急に温度が変化する」ということになれば、「その変温層の下に敵潜が隠れているかもしれない」となる可能性があるわけだ。

著者プロフィール

井上孝司


鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野で、技術分野を中心とする著述活動を展開中のテクニカルライター。
マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。『戦うコンピュータ(V)3』(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて『軍事研究』『丸』『Jwings』『航空ファン』『世界の艦船』『新幹線EX』などにも寄稿している。