私は自分の部屋にセルフ無期懲役中の身なので、世間の動向には極めて疎い。

よって、連載のテーマはほとんど編集部が拾ってきているのだが、今回提示されたのは我らが「岸田総理」の話題である。

しかし、このテーマには「別に政治批判とかそんな話ではない」と驚くべき注釈がついていたのだ。

岸田総理の名前を出しておきながら政治批判、少なくとも政治の話をしないというのは、大谷翔平や藤井聡太を呼んでおいて、野球や将棋の話を避けるような斬新かつ意味が感じられない制約である。

そもそも縛りプレイに意味などないのだが、唯一の成果物である達成感ですら「政治なし縛りで岸田トーク2000字」では得られそうにない。

一体何を思って、編集が政治的な意味でなく岸田総理の名を出してきたかというと「最近の岸田総理から『あだ名』の暴力性などに関し今一度考えて見て欲しい」とのことだった。

ちなみに、担当編集者の子ども時代のあだ名は「尊師」だったそうだ、この時点であだ名という文化に対し言いたいことがあるのは明白である。

「あだ名」付けが上手すぎる同級生っていたよね

  • 増税を憎んでメガネを憎まず、秀逸すぎた「あだ名」の罪

    なんか国会討論でもこの「あだ名」が出てたりしていますが、こんなのも公的な議事録に残っちゃうんですかね?

確かに最近の岸田総理と言えば、X上で「増税メガネ」「増税レーシック」「銭ゲバメガネ」など華々しいあだ名進化を遂げていた。

正確には「増税クソメガネ」や「増税クソレーシック」などで、どれだけ変遷してもクソだけは盤石だったりもする。

もちろん、突然こんなあだ名をつけられたわけではなく、総理の政治に対する国民のアンサーがこのあだ名なので、結局政治批判の一種ではある。

ちなみに「増税レーシック」は、「増税メガネ」というあだ名に心を痛めた総理がレーシックを受けたことにより生まれたあだ名ではない。

真偽は定かでないが、増税メガネに対して「じゃあレーシックでも受ければ良いのか」と悪態をついたらしい総理に、「何とかするのは増税の方だろ」と国民がさらに激怒したことで生まれたという、良い構成作家がついているとしか思えない経緯があったそうだ。

ともかく国民の強い不満を端的に表したあだ名である。

しかし、総理大臣ならどんな暴言を吐かれても仕方がないのか、百歩譲って選挙に行って政治への悪口権を取得し、税金という悪口料を払っている国民個人がXというタン壺に吐き捨てる言葉としては適当であったとしても、第3の権力者様たる大マスコミ様のテレビ局や新聞社までもが「増税メガネ」を使っているのはいかがなものか、と元尊師は苦言を呈している。

だが元尊師は一方で、政治とか倫理を抜きにして「増税クソメガネ」というあだ名自体を「秀逸」と感じてしまう自分も否定できないという。

確かに私も増税クソメガネという文字列を見た時、善悪を抜きで「語呂が良い」と感じた。

「クソ」というのは単なる罵倒ではなく、これを挟むことによりリズム感が増し、あだ名の完成度が格段に上がるのだ。

そもそもあだ名に「増税」とつく奴がこの世に何人いるだろうか、メガネをかけてない奴にメガネというあだ名がつくことが稀なように「増税」というあだ名がつけられるのは増税できる立場にいる人間しかいないだろう。

そういった意味では「称号」と言っても過言ではなく、口に出した時の小気味よさも相まって、もはや誇っていいレベルの唯一無二なあだ名である。

「増税メガネ」が流行語大賞にならないことを願うメガネっ子

しかし、他人が感じるあだ名の秀逸さと、そう呼ばれた本人が感じる不快が全く別モノなのが、あだ名文化の闇深さとも言われている。

まだあだ名の中に「クソ」が混入していたら、人を大便呼ばわりするのはやめろと至極当然のことを言えるし、それでやめてもらえなかったとしても、法廷まで行けば勝てる案件である。

しかし、周囲が本気で愛称のつもりで言っており、ネガティブな意味もワードも一切入っていないが、本人は不快に感じているというケースも多い。

法廷で勝てそうなあだ名と言えばキテレツ大百科の「ブタゴリラ」を想像する人も多いだろうが実はあれは本人が「薫」という本名を嫌い、自ら「ブタゴリラと呼べ」と周囲に促しているという経緯があるらしい。

しかも、薫と呼ばれないためだけの苦肉の策というわけではなく「ゴリラブタ」と呼ばれた際は「ブタゴリラである」と自ら訂正するなど、ブタゴリラであることに愛着とこだわりを感じているようだ。

ちなみに私も「薫」だが、同じノリでブタゴリラと呼ばれたら、おもむろにボイレコを取り出し「上に報告させてもらいます」と言うだろう。

このように、秀逸だろうが悪意があろうがなかろうが、呼ばれた本人がどう思うかは本人次第なので、本人が嫌だと言ったものはやめておいた方がいい。

そして「増税クソメガネ」というあだ名に対しては、メガネの人からも苦情があがっている。

確かに「増税」や「クソ」「銭ゲバ」など決して良いとは言えないワードと同列で並べられたせいで、まるで「メガネ」であることさえ悪のようである。

増税や銭ゲバ、クソは本人の行動により発生したワードと言えなくないが、メガネは「視力」という本人の努力だけではどうにもならない生まれついての身体的特徴とも言える。

総理が「レーシックにすれば」いいのかと、まずメガネ部分に怒りを露わにしたのも増税より、ルッキズムによる人権侵害の方が大きな問題であると捉えたからかもしれない。