瞬く間に浸透しているAI活用だが、手の届くところにある有名どころのAI御三家といえば、MicrosoftのCopilot、GoogleのGemini、OpenAIのChatGPTといったところだろうか。どのAIもベーシックなものは無料で使えるし、3,000円/月前後の投資で、さらに高性能な処理系が手に入る。

この金額を高いと思うか安いと思うかは、その人次第だが、仕事や勉強の生産性を高めるためにも、これからは、AIへの投資をためらってはまずいんだろうなという気もする。モトがとれるかどうかという問題以前に、高いカネを払って手に入れたパソコンやスマホを今以上に活かすことができる新たな方法でもあるからだ。

  • Microsoftが提供しているCopilotサービス。無料版のChatGPTと近しいLLMを使っているが、回答にソースが表示されるなどの違いがある

こういう質問はあいつ(AI)が得意かも

何かを調べたいときに、Google検索などの検索エンジンを使うのがポピュラーな方法だった頃には、あまり、エンジンごとの結果の違いを意識することはなかったように思う。だから、好みに応じて、Google検索を使うなり、Bing検索を使うなり、Yahoo検索を使うなりで、調べる方法は調べる内容にかかわらず固定されていたのに近かった。

調べたいことのカテゴリやジャンルに応じて検索エンジンを使い分けるということはほとんどなかった。まさに「ぐぐれかす」というセリフがそのことを象徴していた。言葉は悪いが、検索エンジンの違いによって、結果が大きく違うということはあまり感じられなかったのではないか。

ところが、AIの利用で、知りたいことをプロンプトとして入力するようになった。いや、今後は確実にそうなる。そこで戻ってくる回答がAIごとにかなり違うことを意識するようになり、なんとなく、こういう質問はあいつが得意かも、などと役割分担をさせたいと感じるようになった。まるで友だちや先輩後輩に意見を聞くようなイメージだ。

今のAIにはもっとつきあってみないと、特定ジャンルの担当を割り当てるのは難しい。でも、不謹慎かもしれないが、きっと組織の人事担当者はこういう気持ちで配属を決めているんだろうなとも思う。これはAIに人格を感じるようになったことの証拠かもしれない。

AIの回答は常に疑う必要がある

いろいろ試している中で、最近の話題について質問したときのAIの振る舞いには驚く。先日、たまたまこの秋に放送されている連続ドラマ「ライオンの隠れ家」についてCopilot、Gemini、ChatGPTに聞いてみた。

「ドラマ『ライオンの隠れ家』について教えて」とプロンプトを入れると、三者ともに知ったかぶりの答えを返してくるのだが、それがすべて見事にでたらめなのだ。立て板に水のように、あまりにももっともらしく答えを出すのだが、間違いだということはすぐにわかる。そして、間違いであることを指摘すると、かなり丁寧にあやまってくるから腹もたたない。そこにも人格を感じたりもするわけだ。

こういう話題では、明らかに違うということが聞いた側にもすぐにわかる。だが、出てくる回答について、まるで知識がない場合、それを鵜呑みにしてしまう可能性はある。すごく危険だ。だからこそ、AIの回答は常に疑う必要がある。そこが従来の検索エンジンとは異なる点だ。検索エンジンがリストアップする結果は、少なくとも入力したキーワードが含まれる点で、ある程度は確からしい。

Geminiなら「Geminiは不正確な情報を表示することがあるため、生成された回答を再確認するようにしてください」、ChatGPTなら「ChatGPTの回答は必ずしも正しいとは限りません。重要な情報は確認するようにしてください」と注意書きがある。

「検索のリテラシー」に警鐘。AIの答えにどう向き合うか

検索エンジンの時代、何かを調べるときに、キーワードに1単語しか入れず、さらにその検索結果の最上位項目だけを開いておしまいというやり方が批判されたことを思い出す。複数の単語を入力して検索し、その結果も、せめて上位5項目くらいは開いて眺めてみることが必要だともされた。それが検索という行為のリテラシーだった。

AIとのコミュニケーションでは、その「入れて開いておしまい」的な検索と同じことをやってしまいがちだ。AIは多くの場合、人間にあわせようとしてくれるので、言葉足らずな問いかけでも、なんとかそれに答えてくれようとする。それが危険をはらんでいる。

親切でやさしいAIの甘いささやきに無条件に身を委ねてはならない。必ず疑ってかかること。コンピューターリテラシーを語る上でそんなリスクを考えなければならない時代がくるとは思わなかった。電卓の計算結果がまちがっているのは、人間の入力ミスによるものだということが、AIとの対話の中では成立しない。

コンピューターの進化に対して、どう向かい合っていくかを、改めて考えなくてはなるまい。