Illiac IVの悲劇

Illiac IVは256台のPEを持つ並列コンピュータで、必要なロジック回路の数は膨大である。できるだけ回路密度を高めて配線を短くするためには、高密度のロジックICが必要である。そして、できるだけ高速のロジックということからゲート遅延が2~3nsの20ゲートのECLを採用した。

このロジックチップの開発を担当したのはTexas Instrumentsである。しかし、出来上がったチップはクロストークが大きく、ノイズマージン不足で正常に動作しなかった。これが悲劇の始まりである。

Texas Instrumentsは、ECLロジックチップの問題を修正するのに1年の時間が欲しいと申し出たが、検討の結果、チップ当たり7ゲートの集積度の低いECLを使う設計に変更するという方針に決まった。これが本当の悲劇の幕開けである。集積度の低い7ゲートECLを使うことで、全体の物量が増え、設計全体に大きな影響を与えた。

さらに悪いことに、7ゲートのECLのプラスティックパッケージは湿度の変化に弱いという問題を抱えており、最終的にIlliac IVが設置されたNASAのコンピュータルームは精密な湿度管理が必要であった。また、ECLパッケージの端子とピンの間のショートという問題にも悩まされた。このショートは時間がたつと発生するので、定期的にチェックする手順を確立した。

Illiac IVのPEMは64bit×2048語でサイクルタイム240nsであり、磁性薄膜メモリを使うというのが最初の計画であった。BurroughsはB8501コンピュータに使うため磁性薄膜メモリを開発しており、Illiac IVのメモリのプロトタイプはすでに完成し、使えるようになっていた。しかし、集積度の低い7ゲートECLを使うことにしたため、クロックを16MHzまで下げて筐体を大きくしても、磁性薄膜メモリを搭載するスペースがなくなってしまった。

しかし、幸運なことに半導体メモリのテクノロジが進歩してきており、FairchildがIlliac IVの仕様を満たす半導体メモリの供給を行うことになった。

それらの変更の結果、技術的にも費用的にも、当初の計画の256PEを作るのは無理で、64PEに縮小し、性能も200MFlopsに変更することになった。これらの問題に対処するため、開発スケジュールは2年遅れ、開発費も200万ドル膨らんでしまった。

なお、Texas Instrumentsはほぼ1年遅れで、Illiac IVが使う予定であった20ゲートのECLチップのテクノロジを完成しており、後から振り返れば、Texas Instrumentsの中集積度ECLチップの完成を待った方がスケジュールの遅延は少なく、低集積度のECLへの設計変更の手間や費用も少なく、ずっとスムースであったのではないかと思われる。

また、1970年には反戦運動が高まり、新聞にIlliac IVは核兵器の開発に使用するという記事が載ったりして、学生らが不穏な情勢になった。このため、DARPAはIlliac IVをイリノイ大のキャンパスに設置するのではなく、カリフォルニア州のシリコンバレーにある海兵隊のMoffet Field基地の中にあるNASAのAmes Researchに設置場所を移すことにした。

Illiac IVの設計を開始した1966年には開発予算は800万ドルで1970年に完成という計画であったが、1970年1月の時点では開発費は2400万ドル以上に膨れ上がっており、一応、マシンが出来上がったのは1972年に遅れ、開発費も3100万ドルに膨らんでいた。なお、エンジニアの給与などの上昇率から見ると当時の3100万ドルは、現在では数百億円に相当すると思われる。

しかし、NASAに納入されたこのマシンも、プリント基板のひび割れや不良の抵抗などが多発していて正常に動作せず、大量の部品を交換するなどして、安定して動作するようになったのは1975年になってからである。この予算の大幅超過と完成の大幅遅延から、ヘネパタ本では、Illiac IVの開発はコンピュータの歴史で最も不名誉な開発であると言っている。

完成したIlliac IVのクロックは13MHzまで下がったとは言え、文献によっては15MFlopsと書かれた性能も、超並列のプログラミングに習熟するにつれて、最大50MFlops程度まで改善され、その時点では世界最高性能であった。しかし、Seymour Crayは、田畑を耕すとき、2匹の力強い雄牛(CRAY X/MP)と1024羽の鶏(Illiac VI)のどちらを使いたいか? と言っていたという。

Illiac IVは部品数が多いのでNASAに設置されたQuadrantのサイズは高さ10フィート、厚みは8フィートで長さは50フィートと巨大であった。

また、NASAは制御用のB6500をDEC PDP-10に入れ替え、Illiac IVをARPANETに接続した。これにより、Illiac IVはネット経由で使える初めてのスパコンとなった。

  • Illiac IV

    図3.4 Computer History Museumに展示されているIlliac IVの一部 (筆者撮影)

(次回は9月6日の掲載予定です)