AMDと富士通がフラッシュメモリーのジョイントベンチャーを立ち上げる
1993年4月、AMDと富士通はNOR型フラッシュメモリー生産のためのジョイントベンチャーを立ち上げることを発表した。フラッシュメモリーは今ではDRAMと並ぶ半導体メモリーデバイスとしてその地位を確立しているが、その当時は非常に新しいメモリー技術であった。ここでちょっと半導体メモリーデバイスについて解説する。
- 半導体の記憶素子は大別してDRAMなどの揮発性(電源を切ると記憶内容が消える)と、フラッシュメモリーを含むROMなどの不揮発性(電源を切っても記憶内容は保存される)に分かれる。半導体素子ベースの固体素子なので機構部品を必要としないため、信頼性は高く、記憶領域にアクセスするスピードも非常に速いという優位性がある。
- 半導体ベースの不揮発性メモリーはスマホなどの携帯デバイスでは大きな優位性がある。スマホなどの携帯デバイスではスペースが限られていて、常に振動にさらされているし、消費電力も低くなくてはならない。ハードディスクなどの代わりに主記憶装置としてフラッシュメモリーが使われている。これには半導体集積度の向上で容量が向上し値段が下がったことが大きく貢献している。現在ではクラウド・コンピューティングの主役であるサーバーの主記憶装置として使われているハードディスクでさえもフラッシュメモリーに移行する傾向にある。集積度の飛躍的向上の結果値段が下がったからだ。
- フラッシュメモリーにも二種類ある。集積度を飛躍的に高めやすいNAND型(SSDのような主記憶装置として使われる)と、アクセスタイムに優れるNOR型(主にコンピューター・プロトコルを制御するソフトウェアを格納するために使われる)に分かれる。AMDと富士通が合弁会社で目指したのは、このうちNOR型の方である。
AMDと富士通が発表したのは、2社で合弁会社FASL(Fujitsu AMD Semiconductor Limited)を設立し、もともと富士通の工場がある会津若松に巨大ファブを建設する計画だ。当時としては業界で最大規模のジョイントベンチャーであった。日米半導体摩擦でいがみ合った日米のメジャー企業同士の初の合弁プロジェクトとしても大きく注目された。その後FASLはSpansionという会社になり独立することになる。
AMD・富士通の幹部が会津若松に集結
ここまで読んでいただいた読者の中には"半導体メモリーの解説などいいから、タイトルの浴衣とはどういう関係になっているのだ?"、と訝る方も多いと思うのでこれから展開する。その事件は会津温泉きっての豪華旅館大川荘で起こった。
両社はその当時世界最大級の半導体合弁会社の工場建設の発表を、工場建設予定地である会津若松で大々的に行うことを決定、発表日の前日の晩にAMD/富士通両社の最高幹部連中が会津に集結し、ジョイントベンチャー発表の前祝いをやろうということになった。その会場となったのが会津有数の温泉旅館大川荘であったわけだ。基本的には本社同士のイベントであるので、 日本AMDからは当時の社長と私を含めたPRの限られた人員のみがサポート要員として参加が許された。AMD本社からはCEOのサンダースを筆頭に、COO兼社長のプレヴィット、CFOのバケット、営業、製造、技術、R&D各部門のSVP達が大挙して来日した。お抱えの旅行代理店を伴っての大名行列だ。富士通側もCEO以下同じ地位のメンバーが集結するので、大川荘はこのイベントのために2泊3日貸し切りになった。AMD始まって以来の大型合弁会社設立だし、何しろ、日本旅館に泊まるのは初めての連中ばかりであるので皆興奮している。東京から会津へ行く新幹線ではグリーン車を借り切り、皆ビールを飲み始める。旅館に着いてチェックインを果たした後、私が呼ばれた理由がよく分かった。私はAMDの幹部からこんな具合に質問攻めにあった。
幹部:ここにはベッドがないが、どこに寝るのだ?
私:FUTONというのを敷いてTATAMI MATで寝るのですよ。
幹部:なんでこんなに部屋が平らでだだっ広いのだ?
私:普通日本人はこの広い部屋を複数人数でシェアするのです。でも今回は一人一部屋なのでとても広いですよね(笑)。
幹部:本社に電話をかけたいのだがどうすればいいのだ?
私:旅館の交換台に電話してください(怒)。
要するに、旅館サイドには英語を話すスタッフもほとんどいなかったので私は通訳代わりに呼ばれたわけだ。しかしAMD始まって以来の大きなイベントだったので私も緊張して張り切って働いた。
浴衣事件発生
さて、両社幹部が一堂会いまみえる会食の時間が迫る。私は事前に富士通側からせっかく温泉旅館でやるのだから"宴会スタイル"でやりたいという打診を受けていたのでAMDの連中にもその旨伝えておいた(何か説明文を作成して送っておいた記憶がある)。富士通側から特別誂えの浴衣を作るから各人の浴衣のサイズを事前に教えてほしいという気の使いようである。因みに、サンダースは190センチに届く長身、ほかの連中も恰幅のいい人たちばかりであるので、温泉旅館備え付けの浴衣では小さすぎるのである。
宴会の時間が迫る。いつも事前準備を怠らない生真面目なCOO兼社長のプレヴィットから突然電話があった、"このガウン(浴衣)はこの着方でいいのか?このベルト(帯)を締めても胸元がはだけてしまうが、ちょっと来てくれ"。プレヴィットの部屋まで行ってみると、確かに浴衣はツンツルテンである。次第に、他の大柄な幹部からも同じような質問を受けたので行ってみたのだが同じ状況である。そこで分かったのは浴衣はすべて旅館に備えてある“特大"を用意しているだけであった。 富士通側に聞いてみると、"事前に誂えるのは非常にコストが高いので特大を用意した。多少はツンツルテンでもいいからそのままで宴会場に来てくれ、会津のうまい酒と特別料理を用意しているから楽しく盛り上がろう"、ということだった。日本人的に考えれば"まあいいっか"、ということになるが、律儀なプレヴィットは全く予想外の反応をした。"両社の幹部が一堂に会するExecutive Dinner Meetingにこんな格好では出席できない、私はスーツで出席する、部下にも皆そうするように指令する"、ということだった。私は呆気にとられたが、アメリカ人ビジネスマンの感覚で考えてみると確かにそうだと思った。
富士通側にその旨を伝えると"せっかく日本流にもてなそうと準備したのに、浴衣ごときでその反応はちょっとおかしくないか?"、と色を成した。一時険悪な雰囲気になった。米国から同行した旅行代理店が控える"コントロール・ルーム"は完全にパニックに陥った。
そこで当時の日本AMD社長が機転を利かして、宴会の直前まで露天風呂で素っ裸で他の幹部連中とはしゃぎまわっていたCEOのサンダースを探し出し、事情を説明した。サンダースは状況を瞬時に判断して"OK、皆で浴衣で出席しよう。ただし、このバスローブ(浴衣)は濡れてしまったので(洋式ではバスローブは濡れた体にそのまま来てしまうものである)新しいものをよこしてくれ"と言って"心配するな"という感じでウィンクする。その後、旅行代理店が皆に"ドレスコードまた変更、スーツでなく、浴衣で出席"、と指令を出した。混乱した幹部連中から電話が鳴りだした。"一体どっちなんだ?"。
そのうち時間切れで、宴会が始まりAMD側はサンダースの浴衣派とプレヴィットのスーツ派が混合する珍妙な風景となった。ぎこちない始まりだったが、会津の日本酒の酔いが回ってくるにつれ宴会はだんだん打ち解けて、結局盛大に終了した。その晩、宴会後、旅館の貸し切りバーではAMDと富士通の幹部が気勢を上げる盛り上がりだった。その中でほっとしながらウイスキーを飲んでいた私に、CFOのバケットが満足しきった顔で隣に座り話しかけてきた、"ご苦労様、今晩のイベントは大成功だ。でも一体何があったんだい、説明してくれないか?"。私は笑って答えた"両社の更なる理解が進んだということでしょう"。
文化の違いを超えた企業連携がいかに難しいか、それを成功に導くリーダーシップの重要性を象徴する出来事として私の記憶に残る、今となっては楽しい思い出である。今でさえ、ビジネス・カジュアルは当たり前になったが、ほんの20年前までは半導体業界は社内ミーティングでも皆スーツを着ていた時代なのである。
著者プロフィール
吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
・連載「巨人Intelに挑め!」記事一覧へ