今年の1月に50周年を迎え、7月1日に社名を変更したアイオーデータ(旧アイ・オー・データ機器)。Windowsよりも前のPC-98時代からさまざまな周辺機器を世に送り出しており、アイオー製品にお世話になった人も多いはず。そこで、PC&デジタル業界で長年活躍してきたライターさんに、思い出に残っているアイオー製品を挙げてもらい、選んだ理由や気に入っていたポイントなど、当時のエピソードを振り返ってもらいました。さらに、そのアイオー製品を開発した“中の人”にも開発の裏話を聞いてみました。今回は、マイコン時代からコンピュータに親しんできた山田祥平さんです。
RAMディスクを使いたくて無理してメモリーボードを買った
ハードウェアとソフトウェアは、パーソナルコンピューティングを支える重要な要素だ。どちらが欠けても成立しないし、うまくいけば、パーソナルコンピューティング環境に多大な価値を与える。アイオーは、そういうことを実践で教えてくれた会社だと自分の中では記憶に残っている。
最初に手にしたアイオー製品は、IOバンク方式の増設メモリーボードだったはずだ。この製品が発売された1984年当時、国民機だったPC-9800シリーズでMS-DOSを使う場合、管理できるメモリーは640KBにすぎなかった。GBどころかMBですらない。KBだ。ただ、ぼく自身はもっと広大なメモリー空間を扱いたいと思ったわけではない。欲しかったのは、より広いメモリー空間ではなく「RAMディスク」だった。
つまり、メモリーをディスク(当時はフロッピーディスク)の代わりに使う贅沢なソリューションである。ハードディスクなど高嶺の花だった時代に、RAMディスクを使えば、爆速のストレージが手に入る。フロッピーディスクに収録した辞書ファイルをRAMディスクに転送して使うことで、ストレスなく日本語入力ができるのだ。変換のためにスペースキーを叩くごとに、ジーコジーコと音をたてて変換候補を探し出す日本語入力システムはけなげではあったが、軽快とは言い難かったし、効率の点でも決してよくなかった。今から思えば、ドライブの負荷も高かったに違いない。
RAMディスクに辞書を置けば、高価なハードディスクを買わなくても高速ドライブが手に入る。1984年に登場したこのボードは、その後1987年に一太郎Ver.3(ATOK6)を使うようになるころまで、自分の環境では最大の武器になったと思う。製品の容量としては256KB、512KB、1MBといったところがラインアップされていた。辞書サイズは500KBに満たないくらいだったろうか。たぶん、相当無理して1MBのボードを購入した。ハードディスクを購入するまでは、このソリューションを手放せるはずもなかった。
RAMディスクに辞書を転送することで、狙い通り、入力環境は爆速になり、打ち出の小槌のように原稿を量産することができるようになった…らいいのだが、そうは問屋がおろさない。でも、ぼくの「戦うMS-DOS」の日々は、このころから始まった。毎日のようにconfig.sysを書き換えていたのを思い出す。MS-DOSの時代をそうして過ごしながら、やがて時代は90年代へと移る。
当時、メモリーのソフトウエア開発を担当していた東崎俊久さんのもとに、細野昭雄社長が「パソコンで画像処理の作業をしている際、読み書きが遅いフロッピーディスクへ頻繁にアクセスしていてストレスがたまる。データをRAMディスクに移して処理させれば格段に高速になるんじゃないか」と提案してきました。東崎さんは「RAMは電源を切ったら消えてしまうので、RAMディスクはデータの媒体としては不向きではないか」と否定的な考えを持っていたそう。
RAMディスクの実用性に半信半疑な気持ちを持ちつつも、増設メモリーの一部をRAMディスクとして利用できる機能を開発して製品化。当時20万円以上もする高価な製品でしたが、マイコンショーに製品を出展したところ、「売ってほしい!」と声をかけてくる来場者に驚いたそう。その後も改良を続け、フロッピーディスク時代のパソコンの使い勝手を高めてくれる存在となったのです。
グラフィックスボードがもたらしたXGA解像度がPC-98を変えた
90年代に入ってWindowsを使うようになった。そこでもアイオーの製品がパーソナルコンピューティングを大きく変えてくれた。いつのまにかPC-9800シリーズのパソコンはPC-9821に生まれ変わり、主役を交代した。そして、そこでつきつけられた課題が640×400 16色の貧しさだ。PC-9821は、いわゆるVGA(640×480)をサポートしていたが、ほとんど焼け石に水状態。
でも、アイオーのGA-1024Aがあれば、XGA解像度(1024×768)でWindowsを使えた。モニタも高解像度のものを買い足す必要があったが、背に腹は代えられなかった。NEC純正のボードに対して半額以下、3万円ちょっとという価格設定が背中を押してくれた。しかも、それで得られたパーソナルコンピューティング環境の変化は驚異的に素晴らしかった。昨日までのキューハチ(PC-98)が生まれ変わったように見えた。
ソフトとハード、その両輪が環境を駆動し、付加価値を高める。当時、そのきっかけをくれたのは、いつもアイオーだったように思う。
当時、640×400ドットの低い解像度しか扱えなかったPC-9800シリーズ。ソフトメーカーから「高解像度で表示できる安価なグラフィックスボードを開発してもらえないか」と相談を受けた城之前伸一さんは、右も左も分からないまま開発をスタート。PC-9800シリーズは、PC/AT互換機とはまるでデータ処理の方法が異なるなど壁もあったものの、第1弾製品「GA-1024i/GA-1024W」の開発に成功。描画用のアクセラレータを搭載した第2弾「GA-1024A/GA-1280A」も送り出しました。
アイオーデータのグラフィックスボードは、Windows環境だけでなく、当時高いシェアを誇ったワープロソフト「一太郎」や表計算ソフト「ロータス1-2-3」などのMS-DOSソフトでも高解像度の表示を可能にした点が特徴で、多くのユーザーに評価されました。


