A12 Bionicがどのように開発されてきたか。なぜiPhoneが他社製品を引き離しているのかについて解説してきたが、ここまでの話はプロセッサ自体の正常進化の過程に触れたに過ぎない。ここから、非連続面を作ってジャンプする、ゲームチェンジャーの要素について言及しておこう。

Appleは2017年のA11 Bionicにニューラルエンジンを備えた。これはいわばドメイン固有プロセッサであり、iOSのCoreMLでの処理に用いられる。A11 Bionicは、毎秒6,000億回という機械学習処理性能を実現し、Face IDやアニ文字といった人間の顔の高速なトラッキングなどに活用されてきた。

2018年のA12 Bionicのニューラルエンジンは、2コアから8コア化され、毎秒5兆回の機械学習処理が行えるようになったという。実際のところ、6,000億回も5兆回も、我々にとって何か意味を持つ数字ではない。しかしそこに意味を持たせるソフトウェアを用意できるのが、ハードウェアからシリコン、ソフトウェア、アプリ、サービスまでを垂直的に提供するAppleならではの強みだ。

  • A12 Bionicの最大の進化は、2コアから8コア化されたニューラルエンジンだ

次回紹介するカメラ機能は、ニューラルエンジンの進化を端的表す、わかりやすい事例だ。iPhone XSで実現したスマートHDRは、これまでのiPhoneの写真やビデオからジャンプアップした画質の向上を実現しており、一目で違いが分かるほどだ。

またFace IDの速度向上やSiri Shortcutsによるユーザーの行動パターン認識など、様々な場面でニューラルエンジンが用いられるようになる。もちろん、iPhone X以降のモデルでは、機械学習処理の負荷をかけても、バッテリー消費の心配が少なくなっていくことから、アプリ開発者も積極的にCoreMLを活用できるようになっていく。

このようにして、iPhoneに備わる機能、Appleが提供するOSやアプリから、サードパーティーアプリへと、機械学習活用を広めていくことによって、Appleならではのスマートフォン体験を作り上げていく。A12 Bionicでニューラルエンジンの進化に注力したのは、アプリの機械学習活用の進化に向けた環境整備といえる。

繰り返しになるが、ニューラルエンジンへ集中できるようになったのも、A11 BionicまでのiPhoneの処理性能のアドバンテージによる競争への余裕があってこそのものだ。いずれにしても、iPhone専用のAシリーズチップ設計に乗り出したことで、次世代スマートフォンに必須と思われる機能や性能を、より少ない消費電力で実現できるようになっているのだ。

松村太郎(まつむらたろう)


1980年生まれ・米国カリフォルニア州バークレー在住のジャーナリスト・著者。慶應義塾大学政策・メディア研究科修士課程修了。慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)、キャスタリア株式会社取締役研究責任者、ビジネス・ブレークスルー大学講師。近著に「LinkedInスタートブック」(日経BP刊)、「スマートフォン新時代」(NTT出版刊)、「ソーシャルラーニング入門」(日経BP刊)など。ウェブサイトはこちら / Twitter @taromatsumura