いまとなっては信じられないことかもしれないが、過去のAIBOは「通信連携する」ことを前提として設計されていなかった。実質的な最終モデルである「ERS-7」になってようやく無線LANが標準搭載になったものの、あくまでAIBOにコマンドを送ったり、AIBO内蔵のカメラが撮影した写真を受け取るために使うくらいのものだった。

ペットとして学んだ個性や周囲を認識する能力、四肢を制御するための能力も、すべてはローカル(ロボット筐体)での処理に依存していた。

例えば、現在のスマホが4GB、場合によっては6GBのものを搭載しているメインメモリーも、初代モデルの「ERS-110」では16MB、ERS-7であっても64MBに過ぎなかった(どちらも「メガバイト」だ!)。ストレージについても、お尻に収納されたメモリースティックは初代モデルで8MBしかなく、最新のiPhone Xが256GBのストレージを内蔵していることを考えれば、まさに「隔世の感」がある。

もちろん、メモリー容量の小ささは「AIBOの登場から16年」という時間の経過によるものであり、さして大きな意味をもたない。何よりも重要なのは、「すべての処理をこの領域にもたせていた」ことであり、パッケージをあけた直後の「何も知らない子犬的な時期」から「ずっと暮らしたあと」の状態まで、すべての状態をごく小さな容量で実現していた……という点である。

ペットロボットとして個性を持ち、飼い主から大きな愛を受けて生活していたAIBOだが、その認識・学習能力はきわめて小さなものであった。物体識別は「色」を手掛かりにする必要があり、周囲の地図を覚える能力もない。充電ステーションへ自走することもできない。

最新のaiboではスマートフォンで利用されるチップセットを活用。そのため、低消費電力かつパワフルな能力を持つ

飼い主がどの仕草を好むのか、といったことを学習する能力は備えているが、あくまでごくシンプルなものである。暮らし始めてから「成犬」に至るまでの過程も、あらかじめ作られていたパターンを、若干の学習に合わせて順に呼び出しているに過ぎない。ペットとしての「シナリオ」が存在しており、それをうまく提示することで、AIBOは「ペットっぽい」動きをしていた。学習して育っているように見えたが、あくまで「出荷時に決められた範囲」のことしか出来ていなかったのである。

AIBOはけっして「生命のように多彩な動きをするロボット」ではなかったが、オーナーに愛された製品だった。それは、「犬のような形であり、オーナーと一緒に暮らした」ものであった結果、オーナー側が自らの思い入れによって「自分の心の中で感じる、自分のAIBOが持つ個性」を生み出していったからだ。

AIBOが自分の思い通りに動いても、そうでなくても、「まあ、ペットも気分によって来る時と来ない時がある」と、勝手に思い込んでいたものだ。多くの場合、AIBOの行動は偶然に過ぎないのだが。それを「思い込み」や「妄想」と切り捨てるのは簡単なことだが、「思い入れをもたらすだけの存在」をつくりあげたことが、AIBOの特別な部分だったのである。

当時の技術力でも、あれだけ自然な動きのロボットを「量産して販売する」のは困難なことだった。AIBOはそれを実現した時点で特異な製品だったのだが、生命的な動きを司る「コンピュータ」としての能力には、やはり限界が大きかった。