だが、大久保氏の話からは、そうした省庁のビジョンとは若干異なるように感じた。

「確かに日本ではIT人材が不足気味で、そうした分野に従事する人材を増やさなくてはならない。だが、日本の経済は、機械工学や理化学、統計、金融、サービスなどなど、本人の資質に合った職業に就いた人々の集合体になるべきで、単純にIT人材だけを育てればよいというわけではない。ただ、あらゆる業種に従事するにしてもITの知識が下地として必要になってくる。プログラミング教育は、そうした意味でも重要」(大久保氏)とした。

以前に取材したある企業経営者が、「日本ではジェネラリストばかりが重宝されてきたが、これからの企業は、スペシャリストの集まりであるべき」と話していたのを思い出した。

大久保氏の話からは、それぞれがスペシャリストになるとしても、ITに関わる知識は“基礎的”に持ち合わせているべき、と感じた。そのためにも“国語”“算数”“理科”“社会”などといった教科と同様に、“プログラミング”も小学生から学ぶのが当然、ということなのかもしれない。

教育のICT化が現場に“断層”を生み出す懸念

一方、大久保氏はこうも振り返る。「過去にもBASICを使ってロボを動かすプログラミング教育を行う試みはあった。ただ、このときは、コンピュータを扱える人とそうでない人が“断層化”してしまい、うまく進まなかった」という。当時の企業も、コンピュータを扱える人材とそうでない人材とで断層があり、プログラミング教育の推進に関われなかった。

大久保氏は、今回のプログラミング教育への取り組みは“好機”とみるべきだと話す。すでにシンガポールや韓国、フィンランド、イギリスなどではプログラミング教育が当然のように学ばれている。そうした国々との“競争”というわけではないが、今回の取り組みを成功させ、“イノベーション”を生み出す人材を育てなくてはならない。

ただ“今後はデジタル教科書だけで、紙の教科書は要らない”というような極端な議論が出てくる心配も大久保氏は示唆する。こうした議論は、逆にプログラミング必修化への推進スピードが鈍ってしまうのではないかと懸念するからだ。コンピュータに関心が少ない人を切り捨てるような断層を生む議論ではないことを願いたい。

左は内田洋行が推進する「フューチャークラスルーム」。多面照射のプロジェクターや少ない力で移動できるイスなど、プログラミング教育やアクティブ・ラーニングで期待されている。一方で、国産ヒノキ製のデスクを手がけるなど環境への配慮もみせる

また、今回のプログラミング教育必修化には、企業が積極的に関わるべきだという。その意味でも“学びの空間”“学ぶためのハードウェア”“教師と生徒を結ぶソフトウェア・通信”“教育コンテンツ”を一気通貫で手がけている内田洋行の役割は重要だ。また、大久保氏は「われわれ1社だけではなく、多くのハード・ソフトウェアベンダー、ほかの教育コンテンツ企業と手を携えなくてはならない」と強調する。