European Union(EU)が取り組んでいる「Human Brain Project」は、人間の脳を多角的に研究し、その構造や働きに迫ろうとするプロジェクトであり、この分野では世界の最先端の研究と言ってよい。そのHuman Brain Projectの中心人物の一人であるEcole Polytechnique Fédérale de Lausanne(EPFL)のFelix Schürmann非常勤教授が、ISC 2016において、EUのHuman Brain Projectについて発表を行った。

EUのHuman Brain Projectについて発表するEPFLのSchürmann教授

脳の研究の難しさは、分子から神経細胞、シナプス、それらを接続したマイクロサーキット、メゾサーキット、マクロサーキット、脳と階層的な複雑な構造になっており、各階層を繋ぎ合わせて集積することが難しい点にあるという。

次の図は、PETイメージング、fMRIなど脳の構造を調べる手段の、サイズ(分解能)と時間の点で、カバーできる領域を表したものである。右下は1988年の状況を示す図で、1988年から2014年でカバーできる領域が増えていることが分かるが、まだ、完全なカバレージが得られているわけではない。

2014年時点で使える脳の構造を調べる手段。縦軸はサイズ、横軸は時間 (この記事の図は、すべてISC 2016でのSchürmann教授の発表スライドのコピーである)

電子顕微鏡、光学顕微鏡、Voltage Sensitive Dyeによる染色や選択的にイオンチャネルを止めるPatch Clampなどの手法で、どのような繋がりになっているのかの情報を得て、それを集積して脳のモデルを作る。

各サイズでの構造情報を総合して、脳のモデルを作る

次の図は0.28mm2分のモデルを作った例で、解剖学的な接続情報と、生理学的な信号の伝わり方などの情報を総合して、接続を推定している。この部分には31,000個のニューロンが含まれ、内部に含まれるシナプスは4000万個、外部に接続されるシナプスは1億4100万個と膨大である。

解剖学的な情報と、生理学的情報を総合してモデルを作る。右側は作られたモデル。0.28mm2分で31,000ニューロンからなる。内部のシナプス数は4000万

Human Brain ProjectはEUが推進する10年計画の研究プロジェクトである。2年半の立ち上げフェーズには24カ国112機関が参加し、予算は5400万ユーロである。そして、オペレーションフェーズは7年半で、Horizon 2020の一環としてファンディングされる。

次のヨーロッパ地図に、参加機関が示されている。なお、これ以外に米国、日本、イスラエルなどヨーロッパ以外の機関も参加している。

2023年までの10年計画。24カ国112の機関が参加している

人間の脳とその病気を理解し、究極的にはその計算能力をエミュレートできるようにするという目的に向けてのグローバルな協力を可能にするICTインフラストラクチャを構築するのが、Human Brain Projectのミッションである。

脳の理解とその計算能力のエミュレートするためのグローバルな協力を可能にするICTインフラストラクチャを作る

Human Brain Projectは、先ずはマウスの脳をターゲットにモデルを作成し、続いて人の脳に挑む。両者は独立ではなく、両者を統一したモデルの作成を目指す。そして、図の左からは神経科学のデータ、右からは医学的なデータを供給し、モデルの完成度を高めて行く。そして、モデルの作成やエミュレーションには革新的なコンピューティングを使っていく。

脳の理解とその計算能力のエミュレートするためのグローバルな協力を可能にするICTインフラストラクチャを作る

ICTに関していうと、中心には脳のシミュレーションとHPCがあり、適用分野としてニューロモルフィックなコンピューティングとニューロロボティックスがある。それに神経情報と医学情報を供給するという形になる。

Human Brain Projectを構成する6つのICTプラットフォーム

そして、この6分野のプラットフォームは相互に密に連携するようになっている。これらのプラットフォームは、2016年の3月30日にリリースされ、アカウントを持っていれば、Human Brain ProjectのWebサイトからアクセスできるようになっている。

6つのICTプラットフォームは密に連携している

サービスオリエンテッドアーキテクチャの、SaaSとしては、神経情報学、脳シミュレーション、ニューロロボティックス、医療情報学のソフトウェアがあり、DaaSとしては神経情報学のデータ、医療情報学のデータが利用できる。そして、PaaSとしてはHPCプラットフォームとニューロモルフィックなツールやプラットフォームが利用できる。IaaSとしては参加機関のHPCや脳科学関連のインフラストラクチャが利用できるようになっている。

SaaS、DaaS、PaaS、IaaSと色々な切り口のサービスを提供する

次の写真に、神経情報学のプラットフォームの初期画面と脳シミュレーションのデモ画面を示す。

神経情報学のプラットフォーム画面(左)と脳シミュレーションプラットフォームのデモ画面(右)

脳シミュレーションのプラットフォームは、ドキュメントサービス、解析やシミュレーションなどを実行するタスクサービスと、Neural Information Processingのサーチサービスから構成されている。

脳シミュレーションプラットフォームの構造

HPCのリソースとしては、Jülich、BSC、CSCS、CINECAのスパコンやEPFLのBlue Brain Projectのリソースなどが含まれている。

Human Brain ProjectではJülich、BSC、CSCS、CINECAのスパコンやEPFLのBlue Brain Projectのリソースを使用する

ロードマップであるが、開始から30カ月はランプアップフェーズで、ニューロロボティックスやSpiNNakerなどのニューロコンピューティングなどICT6分野の開発を行う。そして、60カ月で最初の足場となるマウスの脳のモデルを完成し、90カ月で、マルチスケールのマウスの脳のモデルを作り、120カ月でマルチスケールの人間の脳の最初のモデルを完成する予定である。プロジェクトは2013年10月1日の発足であるので、現在はランプアップフェーズが終わってオペレーションフェーズに入ったところである。

Human Brain Projectのロードマップ。2023年までの10年計画

マルチスケールの人間の脳のモデルができれば、脳の働きの理解が大きく進むと考えられるし、このような人工の脳が何を考えるのかは、興味深い。