データが欲しい、しかしアルバムも重要

「筆者の感覚では」小石は小石として持っていないと無理だ、と先ほど書きました。

この線引きは、世代によって、あるいはその人の感覚によって異なると思います。例えば、新しい世代であれば、ものというよりデジタルアイテムが思い出の品になるかもしれませんし、世代を問わず、保存用の本は紙じゃないと、という方もいるでしょう。

筆者も先日紙の本の方が、と思う体験がありました。Apple本『沈みゆく帝国』の著者であるケイン岩谷ゆかり氏とお会いしたので、サインを頂こうとしたのですが、どこにサインしてもらうか悩んでしまいました。結局、iPhoneのKindleアプリで書影と「100%」になっている読破ゲージを見せて、感想をお話しするに留まりました。そのときiPadを持っていれば、「Penultimate」あたりにサインして頂けば良かったかもしれませんが。

デジタルか、実態のあるものか。これは善し悪しではなく、完全に好みの問題だと思います。しかし、それを変えるには、何か衝撃的な、全く新しい体験が必要でしょう。

筆者の場合、写真はデジタルデータの方が良いと思っています。

デジタルカメラになって、1日で「写ルンです」(36枚撮り)を10本分以上撮影する事もあります。これを全て現像してプリントしたら、およそ2万円ほどかかる計算です。そもそも、写真をフィルムで撮影することを説明しないと写ルンですが何かが分からない世代が広がっていて、あまり良い例じゃなかったかもしれません。

コストだけでなく、引っ越しのことを考えると大量のアルバムを抱えるのは現実的ではないし、メールやSNSですぐに送れるメリットを考えると、データの写真を扱う方が便利でしょう。しかしだからといって、親世代が、写真をデータで楽しむ方が良い、という価値観になるとは限りません。つまり、アルバムも重要なのです。

データが欲しい、アルバムも残したい。ついでに言うと、重たいアルバムを持ち帰って、次の帰省の際に持って来たくもない。それにしても、何でアルバムってあんなに重たいんでしょうね。思い出が詰まっているからなのでしょうか。思い出入りのハードディスクも重たくなるんでしょうか。