いくつかの難関を乗り越え、宿願の電波ソーラー化を果たしたPRO TREK。アウトドアウオッチとして、もはやひとつの完成型と思われた「PRW-1000」の発売にようやくこぎ着けたころ、牛山氏はプロ登山家の竹内洋岳氏と出会う。この出会いが、PRO TREKと牛山氏が進む道を大きく変えることとなる。

カシオのアウトドアウオッチ「PRO TREK」、20年の進化を紐解く

■第1回 PRO TREK黎明期
■第2回 PRO TREK転換期
■第3回 PRO TREKアナログ化
■第4回 さらなる進化へ - トリプルセンサー Ver.3
■第5回 アウトドアウオッチのパイオニアでありトップランナー

PRO TREK転換期 ~ 薄型化で本当のアウトドアウオッチを目指せ!

プロ登山家の竹内洋岳氏(左)とカシオ計算機の牛山和人氏(右)

竹内洋岳氏は、当時、日本人初の8,000メートル峰全14座の登頂を目指していた(2012年5月26日に達成)。牛山氏は、当時を振り返って語る。

牛山氏「私たちはPRW-1000の完成度に自信を持っていました。そこで、その完成度の高さを竹内さんに登山の現場で確認していただき、PRO TREKの信頼性を証明していただきたいと、そういう狙いがあったんです。」

2006年、竹内氏はPRW-1000を携え、ヒマラヤの8,000m峰カンチェンジェンガに登頂。しかし、帰国後の報告会で竹内氏の口から語られたのは、牛山氏をはじめ、開発スタッフの期待を打ち砕く驚愕の事実だった。

牛山氏「信頼性どうこう以前に、PRW-1000は腕に付けてさえもらえなかったんです。」

その理由は「厚さ」。14.2mmというPRW-1000の厚みが、ピッケルやロープを操る大切な手首の動きを妨げたのだ。竹内氏は、この腕時計を首からぶらさげて使った。肝心の腕には、PRW-1000とは異なる、使い慣れたアナログ時計を巻いていたいう。

竹内氏は言った。
「(PRW-1000は)時計として厚すぎるだけでなく、見やすいともいえない。」

自分が腕にしていたアナログ時計の古めかしいデザインを越える機能があるのかと言ったら、高度計以外に見あたらなかった。だから高度計として使った。高度計としては非常に高性能だし、それまで使っていた機械式の高度計に比べればずっと小さくて軽い。それに、デジタルだから分かりやすい。だから首から提げて使ったのだ。

PRW-1000は、ケース厚のせいで竹内氏の腕には装着してもらえなかった

牛山氏「開発スタッフ一同、この言葉に奮起しました。PRO TREKは、まだ本物のアウトドアウオッチとはいえない。なんとか竹内さんの腕に付けてもらえる時計を目指そう、と。」

そのためには、山の現場を正しく理解できないとダメだと、牛山氏は痛感したという。PRO TREKの開発を通して、また、アドバイザー役の登山家と交流する中で得た知識はある。ボーイスカウトの経験もある。

が、その程度では足りない。竹内氏からのアドバイスを、PRO TREKという製品に落とし込むための"翻訳力"が足りないのだ。「現場で使うものは現場を経験して開発するべき」というフィールドワークの開発思想。この、カシオ時計事業部の原点に立ち返るために、自ら山に登らなくては!

牛山氏「会社の承諾を得て、アドバイザーとしてお世話になっていた岩崎元郎さんの山岳会に入れていただきました。そして、雪山から岩山まで登るようになったんです。積雪期の槍ヶ岳、北岳のバットレス、ネパール(ヒマラヤ)にも行って製品のテストをしました。こうしてどっぷり山にハマったことで、新しいPRO TREK像が見えてきたといえるかもしれません。

仕事でネパールに出張したのは、カシオの中でもおそらく私だけでしょうね。ネパールに販売店はありませんし(笑)。」

本格的な登山を実際に体験したことで、時計の厚みは非常に大きな問題であることを実感したと、牛山氏は言う。こうして、次期PRO TREKの開発目標は薄型化と位置付けられた。

そのためには仕様変更が必要であることもまた、明確となった。PRO TREKの基本性能として守ってきた3本柱のひとつ、「二層液晶」の不採用である。当時の技術では、二層液晶を使いながらの薄型化は不可能だったのだ。

牛山氏「ところが、話はそう簡単に行きませんでした。液晶パネルを重ねることで、時計表示の上に東西南北をグラフィックで表すニ層液晶の表現方法は、非常に面白いし見やすいと好評だったからです。

時計を薄くするために、二層液晶を外して(販売面は)大丈夫なのかと、上司からも問いただされました。でも、今のPRO TREKに必要なのは薄型化です、これは越えなければいけないハードルなんです、と熱心に説明をして、なんとか周囲の理解を得ることができました。」

PRW-1300

こうして2007年に発売されたのが、二層液晶を外した「PRW-1300」である。厚みはPRW-1000より2.7mm薄い11.5mmとなり、課題だった方位計は、液晶パネルの外側にリング状で表現された。

二層液晶の十字に比べると、お世辞にも見やすいとは言えなかったが、一般ユーザーからは好評だった方位計を削除することはできず、このような形で搭載したのだ。

実際、市場からは二層液晶の不採用を惜しむ声が多く聞かれたという。登山中にわざわざコンパスを取り出すのは面倒だし、ハイキングやドライブ、サイクリングなどのシーンで便利に使われていたからだ。

PRW-1300は、二層液晶を使わないという選択から生まれた製品でありながら、二層液晶のニーズを改めて認識させたPRO TREKでもあったといえる。

二層液晶を採用しないという大英断で薄型化を実現したPRW-1300(写真はPRW-1300T)。写真右のPRW-1000と比較すると、薄さがよく分かる

PRO TREK MANASLU(マナスル)の誕生

この年(2007年)、竹内氏は、チタンバンドのPRW-1300Tを装着してヒマラヤの8000m峰マナスルに登頂。続く同年のガッシャブルムII峰への登山にも、同じくPRW-1300Tを装着してのぞんだ。

ところが、ここで雪崩事故に遭遇。

ほとんどの荷物が押し流され、竹内氏の手元に残ったのはPRW-1300Tと衛星携帯電話だけだったという。彼は奇跡的に救助され、腰椎破裂骨折など重傷を負った(その後のリハビリを経て回復している)。写真のPRW-1300Tは、そのとき竹内氏が装着していた実物だ。ベゼルの傷は、岩などにヒットして付いたものと推測される。竹内氏とともに生還したPRW-1300Tは、現在もすべての機能がきちんと動作する状態であり、時を刻み続けている。

ガッシャブルムII峰で竹内氏が実際に使用したPRW-1300T

ベゼルの傷が事故の壮絶さを物語る

PRW-1300のブラックチタンモデル「PRW-1300YT」。風防はサファイヤガラス

竹内氏は2009年、PRX-2000T MANASLUを装着してローツェ登頂に成功。メモリー機能を用いて、登頂時刻と高度を記録した。このメモリーは今も残っている

PRX-2000T MANASLUは、PRW-1300同様にケース厚を抑えながら二層液晶の搭載に成功

時を経て2009年、竹内氏によるマナスル登頂時のフィードバックを得て開発された製品がリリースされた。その名も「PRX-2000T MANASLU」。開発中に使われていたコードネーム「マナスル」がそのままサブブランド名に使用された。

PRX-2000T MANASLUは、チタンケースにザラツ研磨、サファイヤガラス風防など高級時計の仕様を盛り込んだ、PRO TREKシリーズ初のプレミアムラインとなった。以降、PRO TREKの高級モデルには、このMANASLUの名がサブネームとして冠されることになる。

ところで、PRX-2000Tはこれら高級仕様のほかに、もうひとつの挑戦的な意味合いを持っていた。それは「ケース厚を維持しながら二層液晶の復活」である。二層液晶による方位計表現の復活を望む声は、依然として大きかったのだ。

この雪辱ともいえる二層液晶の再搭載を果たしたPRO TREKは、カシオ腕時計のもうひとつの流れ「アナログ化」に進化の針を進めることとなる。しかしそこにもまた、いくつもの障壁が立ち塞がっていた。
(続く)