カシオ計算機が世界で初めて作り上げたパーソナル電卓、「カシオミニ」のLSI設計などを担当したのが、カシオ計算機の元常務、羽方将之氏である。どのような想いで開発にあたったのか、そして開発秘話やその後の電卓開発について伺った。
―― カシオミニの開発を始められたのはいつ頃だったのでしょうか。
羽方氏「カシオミニの開発に着手したのは、1971年の夏から秋にかけてでした。当時は電卓戦争と言われた時代で、電卓の値段が急速に下がっていました。カシオにとって脅威だったのは、半導体メーカーから電卓用の標準LSIが出てきたことです。結果、今まで電卓を開発してこなかったメーカーでも、標準LSI、表示用部品、電源などを用意して組み立てれば、見よう見まねでも電卓を作れる時代になりました。
カシオや他の電卓メーカーのように、いろいろな知恵を出しながら自社で開発と設計を行ってきた流れが、大きく変化したのです。ただ私は、標準LSIを使った電卓は機能的な限界が見えていることもあり、価格が安くなってもせいぜい30,000円くらいだろうと考えていました。
一方で、標準LSIでは実現不可能な、複雑な計算ができる電卓の開発にも取り組んでいました。これは現在『関数電卓』として定着している商品ジャンルで、1972年3月発売の『fx-1』がそのルーツです。『fx-1』は科学技術計算を日常的に行うエンジニアの方々から支持を集め、32万5千円と高価でしたが、よく売れました」
―― 「部品をそろえて組み立てればよい」というのは、現在のPCみたいですね。登場してきた電卓用の標準LSIによって、開発の考え方も変わったのではないかと思います。
羽方氏「画期的なカスタムLSIを自社で設計することで、標準LSIを使った電卓を越えるような『超電卓』が実現できるのではと考え、個人が手軽に使える電卓の構想へと発展しました。
それまでは、より高機能な電卓を開発しようとの思いから回路設計にあたってきましたから、大きな発想の転換ですね」
―― そのような背景があって、カシオミニのような電卓の発想がひらめいたのですね。
羽方氏「当時はボーリングがとても流行していました。仕事場のすぐそばにもボーリング場があり、仕事が終わると、みんなで夜中までボーリングをしていました。スコアも200点以上というハイレベルでしたね。
ボーリングの点数計算をしているうちに、計算機は誰にでも必要だなと感じるようになりました。しかも、そんなに難しい計算はいらないから、安くて簡単に使えるものが欲しいと、我々自身が思うようになってきました」
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