コンピューターというハードウェアを活用するために欠かせないのが、OS(Operating System:オペレーティングシステム)の存在です。我々が何げなく使っているWindows OSやMac OS XだけがOSではありません。世界には栄枯盛衰のごとく消えていったOSや、冒険心をふんだんに持ちながらひのき舞台に上ることなく忘れられてしまったOSが数多く存在します。「世界のOSたち」では、今でもその存在を確認できる世界各国のOSを不定期に紹介していきましょう。今回は「Amiga OS」を紹介します。

初期の16ビットコンピューターシーンを飾った「Amiga」

Amiga(アミガ)という名前を聞いたことはありますか。1985年に米国のCommodore(コモドール)という会社から発売された16ビットコンピューターです。同社は「PET 2001」(1977年発売)や「VIC-20」(1981年発売)、「Commodore 64」(1982年発売)など米国の8ビットコンピューター市場をリードしてきました。しかし、創業者であるJack Tramiel(故人 ジャック・トラミエル氏 2012年4月8日死去)氏は社内動乱で同社を退社。同時に多くのエンジニアを引き抜いて、新たにTramel Technology(トラメル・テクノロジー)社を設立しました。

その一方でCommodore社はスタッフが大幅に減り、次世代コンピューターの開発で遅れを取ることに。そこで目を付けたのが、Atari(アタリ)社で「Atari 400」などを設計したJay Miner(ジェイ・マイナー)氏が独立して立ち上げたAmiga社です。同社は当初、家庭用ゲーム機として「Lorraine(ロレーヌ)」の開発を始めましたが、プロジェクトを進める上で単なるゲーム機からコンピューターへと変化し、完成した頃には会社の運営資金が底をついてしまいました。

一方、次世代コンピューターの開発に手をこまねいていたCommodore社が資金難で苦しんでいたAmiga社を買収し、子会社となる「Commodore-Amiga, Inc」を設立。これがAmigaというコンピューターの始まりです。しかし、一筋縄では行きませんでした。Tramel Technology社はAmiga社とCommodore社の契約を無効として告訴したからです。

この背景には、Atariの家庭用ゲームやコンピューター部門を買収したTramel Technology社(この時点でAtari Corp:アタリコープに社名変更)が、Amigaと同年に発売した「Atari 520ST」を市場に投入し、Amigaの発売を妨害するための戦略がありました。こういった経緯からAmiga対Atari STという構図が生まれ、同社の法廷戦争も1987年まで続きますが、この間の1985年秋に登場したのが「Amiga 1000」です。

1985年当時としてはスタイリッシュなデザインで、PC-9801シリーズやMacintosh IIに似た筐体(きょうたい)にMotorola(モトローラ)製の16ビットCPU「MC68000」を搭載。12ビットカラーパレット(4,096色)を持つグラフィック機能は、多くの映像系クリエーターに衝撃を与え、後のデモ文化につながりました。前述のAtari 520STも16ビットコンピューターであり、パーソナルコンピューターの雄に数えられていたApple(アップル)社も16ビット化したApple II GSを発売しています。ちょうど1985年はパーソナルコンピューターが16ビット化する時代でした。

後の1987年には廉価版となる「Amiga 500」を発売。当時は海外からコンピューターを並行輸入する好事家も多く、筆者が初めて目にしたAmigaも同モデルです。699ドル(当時の平均為替レートは142.72円なので約10万円)というハイスペックコンピューターとしては低価格で、筆者も友人宅で触らせてもらったことを懐かしくも覚えています。そのとき目にしたのが、鬼才Peter Molyneux(ピーター・モリニュー)の「Populous(ポピュラス)」というPCゲーム。プレイヤーが神の視点を持ち、民族を繁栄させるために神の力を振るう様は斬新でした(図01)。

図01 Amiga 500上の「Populous」。ゴッドゲーム(神のゲーム)と呼ばれるジャンルの代表格です

このようにホビー色の強いAmigaでしたが、その一方でひとつの文化を創り上げたのが「Megademo(メガデモ)」という存在です。小さいソースコードで派手なアニメーションを描き出すデモ文化は、コンピューター歴史の暗部であるクラック文化を温床に自身の技術力を誇示するユーザーの新しい舞台でした。前述した16ビットコンピューターの台頭でデモシーンは進化し、1MB足らず(Amiga 500のFDDは880KB)のディスク一枚に音楽とアニメーションを詰め込む多くのユーザーがAmigaを使うようになったのがMEGADEMO(メガデモ)の由来です。

もちろんほかのコンピューターを使ったデモも多数発表され、1991年には優れたデモを決めるThe Party、翌年からは現在に続くAssemblyが開催されるようになりました。現在では高性能なGPUが普及したため、当時ほどの熱狂的な熱はありませんが、ホビーコンピューターを語る上で欠かせない歴史のひとつです(図02)。

図02 The Party 1992で第一位となった「state of the art」。Spaceballsというデモグループの作品で、音楽にあわせて踊る女性アニメーションが画期的でした