名古屋大学(名大)は、医薬品などの生体内で重要な働きをする「キラルな」化合物を作るための革新的ツールとして、「イオンの力を利用した不斉(ふせい)配位子」の開発に成功したと発表した。

成果は、名大大学院工学研究科の大井貴史教授、同大松亨介助教、同博士後期課程1年の伊藤充範氏、同博士前期課程2年の國枝友温氏らの研究グループによるもの。研究の詳細な内容は、英科学雑誌「Nature Chemistry」に近く掲載されるに先立ち、日本時間の4月2日付けでオンライン速報版に掲載された。

有機分子の中には、右手と左手のように非常に似た形をしているが、重ね合わせることができない鏡像の形をしたキラルな分子が存在する(画像1)。「キラルな」とは「キラリティーがある」という意味で、前述したように左手と右手のように、形状が非常に似通った3次元の図形や物体などが、その鏡像と重ね合わすことができないことをいう。

画像1。キラルな分子の例(互いに鏡像体の関係にある)

生体分子であるDNAやタンパク質を初め、医薬品などのヒトの体内で働く物質の多くが、キラルな有機分子である。ちなみに、これに対して鏡像を重ね合わせられることを、「アキラルな(キラルでない)」という。

このような右手型と左手型の分子は、生体内で異なる働きをすることが知られており、一方は薬として働くけれども、もう一方は毒ということもあり得る。そのため、キラルな有機分子の内、必要な鏡像対のみを選択的に作ることが重要になるが、通常の化学合成を行うと2つの鏡像体が1:1の比率で存在する混合物が得られてしまう。

この問題を解決する方法の1つが、片方の鏡像体の選択的合成を可能にする不斉合成であり、そのために必要なツールが不斉配位子および不斉触媒というわけだ。なお、配位子とは、金属原子にくっつく(配意する)ことで、化学反応を促進する触媒としての機能を引き出す化合物のことで、不斉配位子とは金属に配位子し、不斉触媒としての機能を引き出すキラルな化合物のことである。また、不斉合成とはキラルな物質を作り分ける化学合成のことだ。

精密に構造設計された不斉配位子を用いることで、医薬品、光量、生物活性物質などのキラルな化合物の化学合成が可能になるのである。不斉配位子の重要性は、2001年に、この分野に対してノーベル化学賞が授与されていることからも明らかだ。

これまでに世界中の化学者が優れた不斉配位子/不斉触媒を開発してきたが、それらはいずれも形の定まった、金属原子に配意する部位を含む1つのキラルな分子だった。化学反応を促進すると共に、生成物のキラリティーをコントロールするという、2つの役割を同時に果たすためには、配位子は形がきちんと定まった1つの分子でなければならないと考えられてきたためだ。

しかし、目的の不斉反応を完全な選択性で実現するためには、たくさんの触媒を作り、その機能を検証する試行錯誤が必要である。従来の触媒は作るのが非常に大変であるため、望みの機能を持った触媒にたどり着くまでに、膨大な労力を要するというのが問題だったのである。

今回、研究チームは不斉配位子を作る画期的な手法として、2つの分子をイオン間力で引き合わせることで1つの配位子として働かせるという考え方を提唱した(画像2)。そのための化合物として、分子内に「アンモニウムイオン」(窒素原子に4つの水素または有機基が結合した陽イオンの総称)部位を持つアキラルな「ホスフィン」(リン原子に3つの水素または有機基が結合した有機リン化合物の総称)配位子と、「光学活性ビナフトラート」からなるイオン対(画像3)を設計、合成した形である。

なお、ビナフトラートとは、1,1'-ビ-2-ナフトール(BINOL)が酸素原子上の水素を失うことで生じる陰イオン。BINOLは不斉合成でしばしば用いられる化合物の名称だ。

画像2。従来の不斉配位子と今回開発したイオン対型不斉配位子の概念図

画像3。イオン対型配位子の3次元構造と構造式

それぞれの分子は、市販の化合物から簡単に合成可能であり、さまざまな構造類縁体の合成も容易だ。このイオン対型配位子を、パラジウムを触媒とする化学反応に適用した結果、非常に優れた不在配位子として機能することが明らかになり、「イオン間力で引き合わせる」という概念が、不在触媒の設計に有効であることを実証できたのである(画像4)。

画像4。実際に行われたパラジウム触媒反応のスキーム

また、イオン間力の存在が機能発現に必須であることや、アキラルな配位子のリン原子とアンモニウムイオン部位を適切に配置することが重要であることを証明した。さらに、今回の配位子は性能面でも優れており、「遷移金属(周期表で第3族から第11族の間に存在する元素の総称)触媒反応」に利用することで、「アミノ酸誘導体」の効率的不斉合成が可能になるという具合だ。

なお、一般的にアミノ酸とは、アミノ基とカルボキシル基の両方の官能基を持つ有機化合物のことだが、今回の研究では、タンパク質の構成ユニットである「α-アミノ酸」を指す。また誘導体とは、ある有機化合物を母体として考えた時、官能基の導入、酸化、還元など、母体の構造や性質を大幅に変えない程度の改変がなされた化合物のことである。

今回の結果は、医薬品などのキラルな化合物の開発、製造に欠かせない不斉配位子/不斉触媒を創製するための新しい概念を提案し、その有効性を実証したものだ。原理的には、単純な分子の組み合わせから、数多くの配位子および触媒を簡単に作ることができるため、目的とする不斉反応の高い選択性の実現や、新たな化学反応の開発をより迅速に達成できるようになる。

今後、ほかの金属との組み合わせや、従来の配位子を凌駕する機能の創出が進むことで、有機化学の進歩に寄与すると同時に、暮らしに役立つ物質の開発、製造技術の発展に大きく貢献するものと期待されると、研究グループはコメントした。