急成長する「威客」サイト

中国で著名なブログ評価サイト「博拉網(Bolaa)」と、猪八戒威客網がこのほど提携した。猪八戒威客網が運営する「猪八戒」と呼ばれる個人サイトは、すでに重慶のソフトウェア企業、博恩科技から1,000万元のベンチャー投資を受けている。同サイトへの登録会員数は30万人を超えており、毎日のアクセス数も10万回程度に達するといわれる。

威客(witkey)とは、ネットワーク上で自らの無形資産を売る人のこと。威客サイトは人々に自らの知識、経験、能力を公開できる場を提供し、個人もしくは企業に有償あるいは無償の支援をおこなう。例えば、ある企業が広告フレーズを制作しようとする際、従来のやり方では幾つかの広告会社に制作を依頼するわけだが、威客サイトではネットユーザーに制作を委託する。当然、発注側の企業にとっては選択範囲が大いに広がるわけで、最終的に支払う費用を、従来の方式よりはるかに低く抑えることが可能となる。

威客は、一種の「兼職」といえる新たな形式で、ますます多くの人を引き付けており、威客サイトが急速に成長している。猪八戒威客網は、中国国内で最も影響力のある威客サイトの1つだ。彼らは自らの作り上げたタスクプラットフォームを通じ、創造力があり、かつ人助けが好きなネットユーザーにさまざまなタスクを公開していく。威客は自らの持つ才能ごとに異なるタスクを引き受けて収入を得、個人ノウハウを「ビジネス」に変えていくことができる。

「メディア広告モデル」が最も一般的に

一方、ブログ評価サイト「博拉網」は、ブログビジネスモデル研究の先駆けで、中国で初めてブログ広告モデルを打ち出しただけでなく、中国で初のブログ広告連盟の設立を主導した。

今回の博拉網と猪八戒威客網との提携は、双方が得意とする領域での主導的ポジションとプラットフォームの優位性、さらには背後のユーザー群を見定めた上でのリソースの相互補完性を認めたからにほかならない。

個人サイトの生存と発展という問題は、中国でも長い間、業界の注目を集める話題だった。本稿で取り上げた猪八戒サイトは、個人サイト成功の代表例である。

中国における個人サイトの営利モデルを検討してみると、次のパターンが一般的といえるだろう。

まず、2000年以前のプレ・インターネット時代においては、Webサイトを製作する技術はHTML、CGIが主流であったため、ネットワーク上で豊富なコンテンツを提供することができなかった。この時期のネットワークは純粋な「メディア」であり、情報を発信し伝播するが、それ以上のサービスを提供することはなかった。しかし、メディアの収入源は広告なので、当時は電子商取引や無料スペース、ダウンロードサイトはほとんど発展しなかった。発展が最も早かったのはニュースサイトや情報源サイトで、その後これらのサイトは総合的な方向へと発展し、「門戸(ポータルサイト)」に進化したのだった。

インターネットの発展と共にネットワークメディアも成長し、ネットワーク広告が注目を集めるようになってきた。2000年から現在までのインターネット時代の到来である。ネットアクセスの利便性が高まり、長時間に渡るオンラインが可能となる環境が整備されるなか、多彩なサービスの提供が可能となった。ネットバンキング、第三者支払決済プラットフォームの登場などにより、ネットワークは単なるメディアを超え、重要な社会的意義を持つようになった。

こうした背景に沿って個人サイトの営利モデルも多様化してきたが、最も一般的なモデルはメディア広告モデルだ。これは過去、中国のインターネットを救ったモデルだが、依然として最も一般的なモデルで、しかも多くのサイト管理者に気に入られているモデルでもある。

このモデルは、とにもかくにも巨大なスループット(単位時間の処理能力)をベースにしなければならない。さらにこれらのスループットは、常に何らかの「情報獲得」が目的であるはずだ。このような例はたくさんある。例えば無料スペース提供、商品発送、無料ショートメッセージ提供などで、スループット押し上げを図る。そして、こうした状況を背景として、「広告連盟」というネット時代の鬼っ子が生まれたのである。

個人サイトへの”押し付け”が生んだ広告連盟

2005年、中国で設立された広告連盟は、象徴的な存在だった。同年はネットワーク広告の黄金期で、ブロードバンドユーザー数の増加や、中国互聯網絡信息中心(CNNIC)の調査結果が広告主の神経を刺激、大量の広告が大手ポータルサイトへ殺到した。しかし、これらポータルサイトはあるジレンマに陥った。それは、広告へのアクセスが実態としては意外にも少なかったからだ。

もちろんネット企業は自ら進んでやってきたユーザーを拒否するわけにはいかなかった。結果としてネット企業側はこの難題を、広告の個人サイトへの移転で解決させようとした。要するにエージェントを介する形で、広告業務を無理やり個人サイトのほうへ押し付けることにしたのである。これが、広告連盟誕生の背景であった。

広告連盟に関する宣伝は、中国の個人サイトを大きく誤った方向へと誘導し、1日のアクセス数が1,000回にも足りない個人サイトに広告が溢れることも珍しいことではなかった。今日では、ネットユーザーの悩みの種である「3721インターネット接続助手」、検索バー、ツールバーなどの「ならず者ソフトウェア」の拡大過程で、個人サイト管理者たちが大きな役割を果たしたことがわかっている。中国のインターネットの歴史にこの一幕は記録され、残されるはずだ。個人サイトをだました連盟創立者たちは、最終的には、信用のための代価を払うことになるだろう。

真の意味での広告モデルは、サイトと企業ユーザーの共同経営が必要。だが、このようなモデルを広めるには、その前提として各サイトがメディアになる必要がある。前述のように巨大なスループットが求められてくるからだ。だが、資金、技術と人的資源の欠乏により、個人サイトはメディアが必要とするスループットに達することができない。同時に、こうしたモデルは相対的に産業として成熟しており、主要分野にはそれぞれ強力な競争相手がいる。総合ポータルサイトをやろうとすれば捜狐、新浪、網易などと競争しなければならず、IT情報サイトを狙えば天極などと衝突しなければならない。彼らの縄張りで一旗挙げるには、相当の勇気と知恵が必要となってくる。