小売業は「顧客体験」を最も追求してきた業界のひとつである。加えて、コロナ禍を経て消費行動が大きく変わった今、そのマーケティング思想にも変革が求められている。ベイシアグループでは、グループ各社がそれぞれの顧客体験を向上させるために、各社それぞれの手法でDXに取り組んでいる。本稿では、海外の最新動向を踏まえた日本の小売業に求められるデータ活用について、同社の竹永靖氏に実施したインタビューをお届けする。
小売業には約25年従事している。日本航空やソニーミュージックグループなどを経て、2010年よりベイシアグループに加入。同社ではカインズのeコマースサイトやスマホアプリの構築、ワークマンのeコマースサイトやeコマース用シミュレーションシステムの構築、ベイシアの会員ポイント制度、お取り置きECやネットスーパーの構築などを主にプロジェクトマネジャーとして手掛けてきた。
小売業の海外最新事情と、ベイシアグループDXの歩み
──まずは竹永様のご経歴とベイシアグループの事業内容について、簡単にご紹介をお願いします。
これまで四半世紀に渡り小売業に携わってきました。最初は通販のバイヤーから入り、インターネットがiモードの時代からECサイト構築も担っていました。ベイシアグループには2010年に加わり、各社のECサイトの再構築や、顧客向けアプリ、会員ポイント制度の構築などを担当しています。
ベイシアグループは、ホームセンターのカインズやスーパーマーケットのベイシア、ワーキングウェアのワークマンなどの31社からなります。2020年には売上1兆円を突破し、店舗数は約2,000店舗、従業員数は約3万人です。
──ベイシアグループでは、どのようなIT活用を実践しているのでしょうか?
たとえばカインズでは、ベテラン社員並みに素早く在庫を探せたり、レジに行かなくともカード払いができるような業務用スマホアプリを、海外のオフシュアチームも含めて内製開発したりしています。他には、ECサイトで購入した商品を店舗で受け取れるサービスを取り入れています。これはワークマンのECサイトやベイシアのご予約ECサイトも同様です。
またベイシアでは、かなり後発で2020年にアプリをリリースしたのですが、1ヶ月経たないうちにユーザー数が100万人を突破し、今ではレジ通過客数のうち、かなりのお客様にご利用頂いています。一般的なスーパーのアプリより圧倒的に多く利用されているように思います。
──そうした取り組みは2019年のカインズの「IT小売宣言」がきっかけになっていると思いますが、この宣言に至った経緯を教えて頂けますか?
契機の一つとなったのは、海外で開催されたAWSやSalesforceのカンファレンスに、2017年から2018年にかけて経営陣や多くの担当者で一同に参加したことです。もちろん、それまでにも海外の小売店を視察したことはあるのですが、「IT」という切り口は初めてでした。
ITカンファレンスのため技術系の方たちばかりが来ているのかと思っていたのですが、驚いたことに、参加者も講演者もほとんどがITを使う側のユーザー企業でした。自社で仮説検証して、自社で開発して、自社で実践する。それが当たり前のようにおこなわれていました。
「これからはデジタルを使わないと大変なことになる」「外部のテクノロジー企業だけに頼るのはなく内製化も必要だ」と口々に言いながら帰国した事を覚えています。
そしてベイシアグループは「IT小売宣言」を発表し、小売業のDXに取り組み始めました。
──最近は、世界最大の小売業カンファレンス「NRF2023」に参加されたと伺っています。海外の小売業の最新動向はどのようになっていますか?
NRF2023は久しぶりの現地での参加でした。3年前は「スマートカメラやロボットを使った店舗のスマート化」が流行っていたのですが、もうブームが去った印象でした。ROI(Return On Investment)的に合わない、という結論のようです。その代わりに、「顧客にもっと寄り添ったことをやらなくてはいけない」という空気がありました。
コロナ禍という未曾有の事態によって、世界中で消費行動は激変しました。ひと昔前は、在庫は気にせず店に行き商品棚を眺めていましたが、今はもう違います。アメリカでは、店舗内のロッカーで受け取る「ピックアップ」や、事前に注文した商品を店舗の駐車場で受け取る「カーブサイドピックアップ」は当たり前のサービスになっていました。日本でも、小売業で、欲しい商品の在庫をネットで押さえておいて店舗で受け取りをする、飲食店で、ハンバーガーやコーヒーを事前にアプリで注文しておく、といったことが当たり前になりつつありますよね。
必要なのは、顧客を「つなぎ止める」ためのアプローチ
──日本の小売業のマーケティングが抱える課題については、どのように捉えておりますか?
未だにあるのですが、数値の捉え方が部門ごとに違っていたり、社内のデータが分断されていたりすることが課題だと思います。「私はチラシ担当だから、チラシに掲載している商品の販売動向しか見ない」「私は店舗担当だから売り場しか見ない」なんてことがよくあります。しかしお客様からすると、一つの会社として捉えた上で購入の判断をします。直近に店舗で購入した商品の広告がスマホのECサイトにずっと表示されていたり、その商品の割引クーポンメールが届いたりするのも、おかしなことです。オンラインとオフラインを統合する「OMO(Online Merges with Offline)」の考え方が、もはや必須なのです。オンラインで在庫を確認してオンラインで買う、オンラインで在庫を確認してオフライン(店舗)で実物を確認して買う。そんなシームレスでリアルタイムな購買体験を、今の消費者は当たり前に求めているのです。
またコロナ禍を経て、人は複数の店舗を巡る「ついで買い」をしなくなりました。来店の総数自体が減ってきているのです。そのため、部門横断的にお客様の行動履歴をリアルタイムに把握し、できるだけ早くアプローチしなければなりません。
──「リアルタイムにアプローチする」ことの重要性について、もう少し詳しく教えていただけないでしょうか?
たとえばクラスに自分の好きな人がいて、その子に好かれるためには、どうしたら良いと思いますか?まずはみんなが当然やっているように、挨拶をして、話しかけることですよね。しかしそれだけでは、ほかのみんなと同質化してしまいます。もちろん、同質化自体はやらないとダメです。さらに、複数のライバルがいる中で自分を選んでもらうためには、その子が困ったときに素早く手を差し伸べたり、気に入りそうなことをリサーチして行動したりすることで、他のライバルと差別化できる行動をする必要があります。
お客様も同じです。ただでさえ日本は「店舗過剰(店舗の数が人口に対して多い)」な状況ですから、できるだけ早く「あなたのことが好きです。いつも気にかけていますよ」と言わなければなりません。そのためには、その人のことをよく知っておく必要がありますよね。だからこそ、部門やデータのリアルタイムな連携が重要なのです。
かつてはポイントやクーポンによる「囲い込み」が大事だと言われていましたが、今やそれだけでは通用しなくなってきています。どうか行かないでと、お客様を「つなぎ止め」なければならないのです。
「そんな小手先のアプローチより『商品力』だ」と思われる方がいるかもしれません。しかし、商品を新たに作るとき、既存商品は誰が・いつ・どんなときに買っているのか。今どんな商品が必要なのか。知らないままで新商品を開発することができるでしょうか? 結局は、お客様の行動をきちんと理解しなければならないのです。つまり、商品起点ではなく「お客様起点」でさまざまな施策を実施していくことが、今まで以上に重要になってきているわけですね。
データ分析による顧客理解と、内製開発の可能性
──ベイシアグループでは、どのように顧客理解を進めてきたのでしょうか?
ホームセンターであるカインズは、とくに幅広いお客様が来店する業態のため、どんなアプローチをすればいいのか、悩んだ時期がありました。そこで、消費行動をもとにクラスター分析を行い、「子育てを終えた愛猫家」や「お酒好きな工事関係者」など、13のお客様像を浮かび上がらせたのです。このデータ分析が、「IT小売宣言」の時期に行った初の内製化の試みです。
業種や業態によっても来店頻度は異なりますし、過剰な広告やメッセージの配信は「鬱陶(うっとう)しい」と思われてしまいます。半年後に商品の使い勝手を聞くのか、食材を買った当日にレシピを提案するのか、手探りで進めてきました。そのために内製化によるスピード感が必要と考えており、現在の開発体制は、カインズで数百人規模、ベイシアでも今後同じ規模で拡大していくものと思います。
──なぜそこまでベイシアグループは、デジタルの内製化にこだわるのでしょうか?
PDCAサイクルを回す速度が圧倒的に違うからです。たとえば、外部ベンダーに任せきりだと、例えて言えば、1週間前のデータが上がってきたりするため、「やりながら考える」というPDCAのサイクルも遅くなります。
テクノロジーが進歩し、我々はリアルタイムに情報を得て、リアルタイムに発信することができるようになりました。お客様の解像度を上げつつ、それぞれに適したコミュニケーションシナリオを考えることに専念できるようになっているのです。属性だけではなく、行動履歴といった顧客データの真の有効活用ができるようになってきています。そのためのプラットフォームとして「CDP(Customer Data Platform)」の活用も重要になってくるでしょう。データを蓄積するだけでは意味がありません。リアルタイムにデータを収集・統合・分析し、それをマーケティングに活かす必要があるのです。
──IT活用やデジタル内製化を当たり前のものにするためには、社内文化の変革が必要だったと思いますが、それはどのように実現させたのでしょうか?
みんなが同じ言葉で話せるようにすること。そして体感させることです。「デジタルの人たちの言葉」が誰でも分かるように、勉強会や社内広報を徹底的に継続してきました。「ローンチ」「アジャイル開発」などの意味を教えたり、個人情報保護などについて学ぶ打ち合わせを、かなりの頻度で実施したりしています。これを「データの民主化」といって、今でも日々みんなで学んでいます。
あとは、社内にいわばエバンジェリスト的に動ける人材を作ることです。その人を海外に行かせて、色々な気づきを得て帰ってもらいます。海外が常に進んでいるわけでもなく、日本の小売業の良さにも気づくことができます。
──最後に、これからの日本の小売業の展望や、企業やマーケターに必要なことについて、お聞かせいただけないでしょうか。
真っ先にお伝えしたいことは「他人に任せないこと」です。自社で仮説を立てて実証してください。使うテクノロジーは、身の丈に合ったものであれば何でも構いません。そして社内広報・教育の継続です。ITと言ってもその中身はどんどん変わっていきますので、常にマインドをアップデートしていく必要があります。
そして、今年のNRF2023でもキーノートの一つになっていたのですが、お客様だけでなく、従業員の働きやすい環境作り(ウェルビーング)を大切にしなければならないと思います。「小売業をやりたい」という人は、接客が楽しかったり、誰かを笑顔にするのが好きだったり、何かを伝えることに喜びを感じる人たちです。こうした人たちの素晴らしさを発揮できる職場でなければ、お客様どころか、今後は従業員を確保することが難しくなってくるでしょう。
テクノロジーで自動化できることは自動化して、人間はお客様のために仮説検証を繰り返し、試行錯誤する。それをやり抜けるところが、日本で生き残っていくのだと思います。
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