昨年6月10日の全米ボックスオフィスで「Unsubscribe」という短編ホラーが全米1位になった。Zoomのオンライン会議に参加した5人の有名YouTuberが、謎のインターネットトロールに悩まされ、追われることになるというストーリー。観たことがあるどころか、作品の存在を知らなかったという方ばかりだと思う。それもそのはずで、予算ゼロ、Zoomを通じて数日で撮影したインディ中のインディ作品なのだ。1日だけとはいえ、なぜそんなB級ミステリーが興行成績トップになったのかというと、新型コロナ禍でほぼ全ての映画館が閉まっていたからだ。この作品を手がけた映像作家のクリスチャン・ニルソン氏とユーチューバーのエリック・タバック氏が全てのチケットを自分達で購入してトップの座を獲得した。

  • 昨年6月10日、全米ボックスオフィスのランキングに「Unsubscribe」が突如登場

    昨年6月10日、全米ボックスオフィスのランキングに「Unsubscribe」が突如登場

「Unsubscribe」は、コロナ禍中の全米映画ランキングを眺めていたニルソン氏と多バック氏が「こんなに興行成績が落ち込んでいたら自分達の力だけで1位を取れる」と思いつき、ジョークを行動に移したものだ。コロナ禍でも上映してくれる映画館を見つけ、それぞれ9,000ドルと15,000ドルを出して全てのチケットを購入した。

2020年6月10日(水)の「Unsubscribe」の興行収入は25,489ドル (約275万円)。その日の2位の「Becky」は19,530ドル、3位の「Max Minslow and the House of Secrets」はわずか446ドルである。米国では子供の誕生パーティに小さな映画館を借りきったりするが、その程度のコストで全米3位に食い込めた。1年前はそんな状況だったのだ。

今はどうかというと、同じ水曜日で比較すると、2021年4月21日(水)のトップは「Nobody」で189,170ドルだ。昨年の6月時点と比べると改善しているものの、米国ではまだ多くの映画館が閉まったままである。ちなみに2年前、2019年4月17日(水)のトップは「Shazam!」で1,919,686ドルだった。桁が違う。

  • 閉館が続く米国の映画館、コロナ禍が過ぎても古いスタイルの映画館に客足が戻るかは議論が分かれる

そうした中、4月25日に第93回アカデミー賞授賞式が行われた。劇場が閉館のまま、またハリウッドのメジャースタジオの作品が軒並み公開を延期や中止にし、劇場で鑑賞された話題作がほとんど存在しなかった。そのため、例年2月に行われる授賞式が4月に延期された。

アカデミー賞は昨年(2020年2月10日)、コロナ禍の影響を受ける前にもかかわらず、視聴者数が前年比20%減の2,360万人と過去最低だった。原因はさまざまだが、中でも劇場映画のエンターテインメント色の強まりとストリーミングサービスの成長の影響が大きい。自宅に50インチを超える大きなテレビを持つ家庭が増え、対策として劇場は3Dやリクライニングシート、バーサービスといった劇場ならではの贅沢な体験を強化。そうしたエンタメ性の強い楽しみ方には、アカデミー賞にノミネートされるような作品よりMarvelの映画のような作品の方がシンプルに適している。一方、家庭では主要なストリーミングサービスが質の高いオリジナル作品を競い、家族で楽しめる作品だけではなく、オンデマンドのメリットを活かして利用者の視聴動向を敏感に捉え、視聴者のニッチなニーズにも応える。アカデミー賞ノミネート作品が大きなヒットになりづらい傾向が強まり、アカデミー賞に対する人々の関心が薄れていた。

そんな状況だったところに、今年はコロナ禍の影響がプラスされた。報道によると、今年の授賞式の視聴者数はわずか985万人。最低だった前年から約58%減だった。減少は予想されていたものの、予想以上の落ち込みだ。小粒な作品とストリーミング向けに公開された作品ばかり。新たなスターも現れず、例年に比べて地味になった影響は大きかった。

ところが、そんな授賞式なのに、テレビCM枠は完売だった。しかも、30秒枠の広告費が過去最高に近い200万ドルという強気な価格設定のまま完売である。

  • 2002年~2019年のアカデミー賞授賞式 30秒CM枠の価格、順調に上昇しており、これだけで判断したら授賞式に対する人々の関心が高いように思うが…

授賞式が例年の2月から4月に延期され、その間にCOVID-19ワクチン接種が高齢者以外の層にも拡大し、バイデン大統領が今年の独立記念日(7月4日)を「ウイルスからの独立記念日」にすると宣言した。経済活動の再開(リオープン)への期待が高まっている。人々の関心が薄れているとはいえ、通常の日曜プライムタイムの番組よりアカデミー賞授賞式の方が多くの視聴者を集められる。旅行のExpediaやAirbnb、飲食のPaneraやSubwayなど、リオープン準備を進める企業が積極的に広告を展開した。Googleは広告だけではなく、聴覚障害者のためのクローズドキャプションや視覚障害者のための音声ガイドにも協賛。多様と包括を重んじるハリウッドの最大のイベントにおいて、アクセシビリティの取り組みをアピールした。また、General MotorsがCadillacのEV(電気自動車)「Lyriq」を宣伝するなど、2023年以降の景気上昇を見据えたCMも目立った。

アカデミー賞授賞式のCM枠完売は経済活動の本格再開への期待の大きさを示す。だが、アカデミー賞から人々の心が離れている現状とのギャップには違和感を覚える。

劇場と封切りの再開で来年の授賞式は視聴者数を増加させられる可能性が高い。でも、それは ”腐っても鯛”のようなもので、一時的に華やかなオスカーが戻ってきても、ノミネート作品への関心が低いままではいずれ見向きされなくなる。今年のCM枠完売は「Unsubscribe」が全米ボックスオフィスでトップを取ったようなもので、コンテンツそのものの価値を示すものではない。経済活動再開のタイミングに合わせられたから広告収益面では成功できたものの、視聴者数が減少している本当の理由はコロナ禍ではない。アカデミー賞と伝統的な映画産業がコロナ禍前から抱えていた問題はむしろ深刻度を増している。