デジタル決算プラットフォームのSquareが音楽ストリーミングサービスTidalの株式過半数を取得することで合意した。Tidalはアーティストから最も支持されている音楽ストリーミングサービスといえるが、利用者が伸び悩み、サービス売却や終了の噂が絶えなかった。そのTidalを成長著しいSquareが買収するが、フィンテックのSquareが音楽ストリーミングサービスを手に入れて一体どうするのか?
Tidalは契約数を正式に公表しておらず、アナリストなどの予想では100万〜500万人だ。ちなみにSpotifyの有料ユーザーは1億4400万人、Apple Musicは6000万人である。トップ5入りはほど遠く、なんとかトップ10に入れるといったところだ。
Tidalは起業家でもあるヒップホップアーティストのジェイ・Zが率いており、そのつながりでアリシア・キーズ、ビヨンセ、カニエ・ウエスト、ニッキー・ミナージュ、リアーナ、クリス・マーチン(コールドプレイ)といった数多くのアーティストが株主になって運営を支えている。そして他の音楽サービスに比べて、売り上げからのアーティストへの分配率が高い。
Tidalをサポートするアーティストが提供する独占コンテンツ、そしてサービス開始当初から取り組んできた高音質ストリーミングが、音楽ファンに対する差別化要因になっていた。しかしながら、AmazonやSpotifyも高音質配信を展開し、ライバルも独占的なコンテンツの開拓に力を注いでいる。契約者数が増えて再生回数が増えなければ、高いロイヤリティも魅力にはならない。Tidalはじり貧状態で赤字を積み上げており、Squareの支援を得ても急成長が期待できないどころか、音楽ストリーミングサービスとしての将来性は変わらず見通しにくい。
そんなお荷物をなぜSquareは抱え込んだのか。そこにはジャック・ドーシー氏(Square CEO、彼はTwitterのCEOでもある)らしい考えがあった。
2017年にCHM Liveにおいて、ジャック・ドーシー氏は誰もが金融サービスにアクセスできるようになることで、チャンスが広がり、社会が豊かになると述べていた。「誰もがアクセスできるようにすること」がSquareの企業哲学であり、今回のTidal買収のポイントでもある。
Squareの歴史を簡単にふり返ると、同社は2009年創業。申請の手間やコストからクレジットカードをサポートできなかった個人事業主やスモールビジネスでも、スマートフォンを用いて簡単にクレジットカード支払いを受け取れる決済サービスからスタートした。誰でもクレジットカード決済を利用できるようにしたのだ。
そして次に、全ての個人が金融サービスを利用できるようにした。「Cash App」だ。スマートフォンを使った個人間送金アプリと紹介されていることが多いが、デジタルウォレット機能から始まって、ATMで現金を引き出せるデビットカードを発行、今では株や暗号資産の購入も可能になっている。銀行口座を持てないような人でも、Cash Appで資産を管理し、投資も行える。SquareはCash Appで、銀行口座に代わって一連の金融サービスを提供しようとしている。
前置きが長くなってしまったが、Cash Appのような金融サービスを提供する時、あなたならどのように販促するだろうか。資産形成や家計管理に関心を持つ比較的高い年齢層をターゲットに接点を探るのが従来の方法だ。今はソーシャルメディアも欠かせないが、伝統的メディアが利用されることが多い。
Squareは金融サービスの伝統的なマーケティング手法を用いていない。なぜなら、金融サービスを利用していない、または利用できない人達を取り込むサービスだから。むしろ資産形成や家計管理の関心が薄く、ビットコインに反応するような若い層がターゲットになる。そのため同社は、口コミを活用してサービスを拡大する"バイラル"キャンペーンに力を注いでいる。
例えば、「#CashAppFridayキャンペーン」だ。毎週金曜日、ツイッターおよびインスタグラムで同アプリ名を投稿したCash Appのユーザーに抽選で100〜400ドルの賞金を提供する。これが数百万規模のユーザー投稿を集め、既存ユーザーの関心を集めると共に新規ユーザー獲得の勢いを加速させた。
2019年のCash App Fridayの費用は約60,000ドル。ばらまきのようで、ターゲットを絞ったマーケティングに比べて効率が悪そうに思えるが、2019年のユーザーの伸びからCash Appの顧客獲得コストは約20ドルと分析されている。これは金融サービスの伝統的なマーケティングの顧客獲得コストを大きく下回っている。
そしてクチコミ戦略からSquareも予想しなかったことが起こった。Cash Appがモダンな決済の代名詞のように見なされ、音楽の歌詞やミュージックビデオで取り上げられるようになったのだ。中でもヒップホップ・アーティストはフィンテックに関心が強く、それを機と見たSquareはトラヴィス・スコットやLil Bと組み、Cash Appを通じて彼らがファンに懸賞を配るキャンペーンを展開した。今や200人を超えるヒップホップ・アーティストが歌詞の中で「Cash App」を取り上げており、Cash Appという曲もいくつかある。
Squareにとって一見畑違いに思えるヒップホップ・コミュニティは、同社にとってCash App利用者獲得の大きなチャンネルであり、アーティストから支持されるTidalとCash Appは互いを利用できる関係にある。
買収に関するツイートの中で、ドーシー氏はアーティストを起業家と見なし、アーティストの金融サービスを活用できるツールを提供する考えを示している。
音楽を作るにも、コンサートツアーに出るにもまとまった資金が必要になる。大手レコード会社と契約していなかったらアーティストが自ら事業を計画し、資金繰りを行わなければならない。それは不可能なことではない。今は個人で作品を作り、ダウンロード販売やストリーミングサービスで配信し、著作権を自分で管理することが可能だ。直接ファンとつながり、コンサートチケットやグッズをD2Cで販売することだってできる。だが、できるとは言っても簡単ではない。それを容易にするサービスやツールをSquareが提供すると予想される。同社が個人事業主や中小事業のために提供しているビジネスソリューションのアーティスト版であり、個人やインディを含む全てのアーティストがアクセスできるソリューションの提供だ。ジェイ・ZもTidalをアーティストのキャリアのサポートするプラットフォームに成長させていくと述べている。
1つ気になるのは、Square傘下のTidalがアーティストの事業活動をサポートする新たな仕組みを提供するために、音楽ストリーミングサービスを継続していく必要はないということ。音楽サービスは他にもいくつもあるから、数年後にTidalが音楽ストリーミングから撤退ということが起こっても不思議ではない。