2016年9月28日(日本時間)、スペースXのイーロン・マスクCEOは、2020年代から人類を火星に移民させるという壮大な構想を明らかにした。巨大なロケットと宇宙船からなる「惑星間輸送システム」(ITS, Interplanetary Transport System)を開発し、早ければ2022年から移民を開始し、そして40~100年かけて火星に人口100万人以上の自立した文明を築くという。マスク氏が思い描く「火星移民構想」はどのようなものなのか、そして実現する見込みはあるのかについて解説する。
第1回では、構想の概要について紹介した。第2回では、この壮大な構想を実現させる鍵となる4つの要素について紹介した。第3回では惑星間輸送システムの、ブースターと宇宙船の詳細について紹介した。第4回となる今回は、開発コストや、開発のための資金調達方法、火星移民のスケジュールなどについて紹介したい。
コスト計算と資金調達
マスク氏は技術的な事柄だけでなく、開発や運用にかかるコストや、開発費の捻出方法についても触れた。
たとえばそれぞれの建造費は、ブースターが2億3000万ドル、タンカーが1億3000万ドル、宇宙船が2億ドルという見積もりを出している。
運用においては、宇宙船1機が1回火星へ行くにあたり、タンカーは5機を使用し、すべてを打ち上げるためにブースターを6回使用するとしている。そしてブースターは1000回、タンカーは100回、宇宙船は12回の再使用が可能で、そのメンテンナンスにはブースターが20万ドル、タンカーが50万ドル、宇宙船は1000万ドルかかる。
このほか、推進剤のコストや発射場のコストなどもすべて合計した結果、1回の火星行きにかかるコストは、ブースターが1100万ドル、タンカーが800万ドル、そして宇宙船が4300万ドルとなり、計6200万ドル。1回の打ち上げで合計450トンの人や物資を運べるため、1トンあたりにすると14万ドルとなる。
ちなみに、ひとり暮らしの引っ越しでは1トン車や、それよりも小さい軽トラックがよく使われる。つまり人ひとりが火星へ引っ越す場合、その人の体重と生活用品とを合わせても1トンに収まると考えられ、つまり"引越し費用"はおおよそ14万ドルということになる。そのほか、もろもろの追加費用はかかるだろうし、そもそも捕らぬ狸の皮算用と言ってしまえばそれまでだが、マスク氏の掲げる「ひとりあたりの火星までの運賃を20万ドル(家が買えるくらい)にしたい」という考えの根拠が、一応は示されている。
一方、お金に関するもうひとつの大きな問題である開発費の捻出方法については、軽く触れるにとどまった。まず軽くギャグを飛ばしたあと、商業打ち上げなどの人工衛星の打ち上げや、国際宇宙ステーションへの補給物資や宇宙飛行士の輸送、またキックスターター(クラウド・ファンディング)、そのほかの利益などを投じるとした。
商業打ち上げについては、すでに何度も実施しており、今も多くのバックオーダーを抱えている。国際宇宙ステーションへの輸送も、米国航空宇宙局(NASA)との契約に基づき、「ドラゴン」補給船で物資補給を行うのと引き換えに料金を得ている。現在開発が進む有人の「ドラゴン2」宇宙船の運用が始まれば、宇宙飛行士の輸送でも同じように資金が得られる。
ただ、商業打ち上げやNASAとの契約がどこまで履行できるかはわからない。スペースXはこれまでにロケットの打ち上げ失敗を1回、打ち上げ前の試験中に爆発する事故を1回起こしている。今のところ大きな影響は出ていないようだが、今後も失敗が続くようなら、市場やNASAから見限られる可能性もある。打ち上げに成功し続けても、ほかに安価なロケットが出てくれば、客がそちらに流れる可能性もある。
ただもちろん、マスク氏やスペースXはそんなことは百も承知だろう。それでも彼らはスペースXの利益を火星に突っ込むと表明し、実際すでにエンジンやタンクの試作も行っている。それは彼らが、それだけ本気で火星を狙い、そのために必要な資金もどうにかして工面するつもりであるという証拠だろう。
早ければ2022年にも打ち上げ
マスク氏が示した計画表によれば、2019年ごろまでに宇宙船とブースターの開発を行い、その後2020年ごろから地球軌道上での試験飛行を開始。そして2022年から火星への飛行を開始したいという見通しが語られている。つまり東京オリンピックが行われ、小惑星探査機「はやぶさ2」が地球に帰還するころに、あの巨大ロケットが無人ながら初飛行を迎え、さらにその約2年後に火星へ向けて(おそらく無人の試験機が)飛び立つということになる。
地球と火星との位置関係から、火星行きのロケットが打ち上げられる最適なタイミング(ウィンドウという)は2年2カ月ごとにしか巡ってこないため、打ち上げ可能な間隔も2年2カ月おきになる。火星までの所要時間は最短3カ月ほどかかるが、宇宙船のなかには映画館やレストランなど娯楽施設が用意されるため、快適な旅になるだろうとしている。
ひとまずの目標である"人口100万人の移民"が完了するまでには、この2年2カ月おきのウィンドウを、20回から50回ほど迎える必要があるという。年数でいえば40年~100年かかることになる。1回の打ち上げごとに100人を運ぶとして、40年で完了させるには2年2カ月おきに500機、100年なら200機のITSが地球を旅立つという計算になる。
もっとも、これらの予定はマスク氏自身「これはあくまで楽観的なものです。私は可能性のなかの抱負として、このスケジュールを説明しています」と語っている。この構想の発表後には「2024年後半に有人でITSを打ち上げ、2025年前半に火星に到着させたい」と語ったそうだが、それもまた楽観的すぎる予測だろう。前述の開発資金がどうなるかにもよるだろうが、2030年代にずれ込むことも十分考えられる。
NASAの有人火星探査計画への影響
しかし、2020年代に実現するにしても、30年代になるにしても、NASAが進める有人火星探査計画へは大きな影響を与えることになるだろう。
現在NASAは、国際宇宙ステーションなどがまわる地球低軌道は民間に開放し、月や火星などの深宇宙探査はNASAが担うという方針を取っている。そして実際に、スペースXなどに国際宇宙ステーションへの物資や宇宙飛行士の輸送を委託しており、一方でNASAは月・火星探査に使える新型宇宙船「オライオン」と、超大型ロケット「スペース・ローンチ・システム」の開発に注力しており、NASAでは2030年代に宇宙飛行士を火星に送り込むことを目標としている。
しかし、もしマスク氏のこの構想が実現すれば、NASAが基調とする方針が根底から崩れ、何百人もの一般人が生活する火星へ宇宙飛行士が仰々しく降り立つ、という間抜けなことになってしまう。
マスク氏はNASAに大いなる敬意を持っているとし、また火星への道は複数あるべきとして、今回の構想によってNASAの有人火星探査の意義が失われるわけではないとしている。また構想実現のためにNASAはもちろん、さまざまな人や企業、機関などと協力したいとも語っている。
ただいずれにしろ、マスク氏の計画が進めば進むほど、NASAの計画が霞むことは間違いなく、どこかで計画を変更せざるを得なくなるだろう。
NASAが開発中の超大型ロケット「SLS」。月や火星、小惑星へ、人が乗った宇宙船や物資を運べる能力をもつ (C) NASA |
NASAが開発中の有人宇宙船「オライオン」。SLSによって打ち上げられる予定の宇宙船で、月や火星、小惑星に行ける能力をもつ。2014年には無人での試験飛行を行っている (C) NASA |
昨日の夢は今日の希望となり、そして明日の現実となる
はたしてマスク氏のこの構想が実現するのかは、難しい問題である。炭素繊維で固めたブースターや宇宙船が造れるのか、エンジンは完成するのか、スペースXにそれだけの開発資金が出せるのかといった、これまでに挙げた問題はもちろん、問題はほかにもまだまだ残っている。
たとえば、火星にある水の量はまだ正確にわかっておらず、仮に地下に大量に埋まっているとしても、どうやって取り出すかという問題もある。また宇宙船の中に100人もの一般人が乗り、数カ月ものあいだ共同生活をすることにになるが、客船とは違って寄港する場所もなく、いざというときヘリコプターで搬送することもできないため、病気やストレスなど医学の問題はより大きくのしかかる。また、万が一死亡事故が発生した場合の責任や倫理的な問題も出てくるだろうし、火星の土地の権利や、宇宙船や火星での法律の問題もある。
少し別の問題として、科学的にまだ謎が多く残る火星を、人間が移住することで"汚染"してしまう危惧も科学者らから提示されている。
とにかく問題は挙げ始めるときりがない。しかし、今回のマスク氏の発表は、人類の火星への移住という途方もない構想が、少なくとも頭ごなしに否定できるほど不可能なものではないということを示した。
そして今回の講演には会場がいっぱいになるほどの人が集まり、始まる前から高い関心をよんだ。質疑応答でも「私はロシア人だが、スペースXで働きたい」(現在スペースXは、基本的に米国籍を持つ人以外の雇用を行っていない)といった声が飛び出すなど、多くの科学者や技術者をはじめ、他分野の専門家、さらに子どもなど、多くの人々の心を揺り動かした。「皆さんの協力が必要だ」と語ったマスク氏の狙いどおりにことは進みつつあり、上に挙げたような問題は、ひとつずつ、たとえ時間はかかっても、取り除かれていくことになるだろう。
「ロケットの父」とも呼ばれるロバート・ハッチングズ・ゴダード(1882~1945)は、1920年代に月世界旅行を目指して、世界初の液体燃料ロケットを開発した。当時は誰もが不可能と考え、嘲笑されたものの、その約50年後の1969年に人類は月に降り立った。彼は「昨日の夢は今日の希望となり、そして明日の現実となる」という言葉を残したとされる。その歴史になぞらえるなら、今や火星移民構想は夢と希望のときを超え、現実へ向けた途上にある。
【参考】
・Mars | SpaceX
http://www.spacex.com/mars
・NINA_5_ FINAL_draft_MarsTalkRevised_v4_17_nm_112716 copy 12 - mars_presentation.pdf
http://www.spacex.com/sites/spacex/files/mars_presentation.pdf
・SpaceX Interplanetary Transport System - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=0qo78R_yYFA
・SpaceX’s Elon Musk announces vision for colonizing Mars - Spaceflight Now
http://spaceflightnow.com/2016/09/27/spacexs-elon-musk-announces-vision-for-colonizing-mars/