1957年に、人類初の人工衛星「スプートニク1号」をソビエト連邦が打ち上げてからおよそ70年。現在の宇宙空間では数多く人工衛星が運用されており、2022年だけでも2368機もの打ち上げが行われている。
過去10年間で約11倍にも増加している人工衛星の打ち上げ機数だが、増加の中心を占めるのは商業衛星であり、中でもSpaceXが運用する衛星コンステレーション「Starlink」は4年間で3564機が打ち上げられた。この数は、人類がこれまでに打ち上げた衛星機数の2割強にあたるという。
SpaceXに限らず、数十機から数百機規模のコンステレーション構築に向け、複数の欧米企業や中国政府・企業による競争が活発化する中、日本の宇宙スタートアップ「Synspective」も小型SAR衛星の開発・運用を手掛けており、これまでに計4機の衛星を打ち上げ、現在はそのうち3機の運用を行っている。
そこで今回は、Synspectiveの取締役 兼 技術戦略室 室長を務める小畑俊裕氏に、人工衛星開発・運用の現状について話を伺った。
Synspectiveの事業概要
2018年2月に創業したSynspectiveは、SAR画像データ販売、小型SAR衛星の開発・運用、そして衛星から得られたデータを利用したソリューションサービスを手掛けるスタートアップ企業。同社自らSAR衛星コンステレーションを持っているのが特徴で、各国政府や解析事業者、インフラ・メンテナンス業界、防災・損害保険業界、資源・エネルギー業界など、SARデータや解析ソリューションの活用が期待できる幅広い顧客を抱えているという。
SAR衛星の“SAR”は“Synthetic Aperture Rader”の略で、日本語では「合成開口レーダー」と呼ばれ、マイクロ波を使って地表面を観測する方式を意味する。SARの技術自体は以前から活用されていたが、これまでは大型の衛星が主流だった。しかしSynspectiveが開発・運用する衛星は、軌道投入前は約0.8m×1.0m×0.8m、軌道投入後は約5.0m×1.0m×0.8mという非常に小さなもの。従来の大型衛星が1t級であったのに対し、100kg級という革新的なサイズ感で、開発から打ち上げまでのコストを1/10~1/20程度に抑えられるほか、小型化によって複数機の打ち上げが可能となり、コンステレーションを構築することでより多くのデータを提供することができる。
SynspectiveのSAR衛星「StriX」は、波長の長いマイクロ波を使うことによって、夜間や雲のかかっているような状況でも地上の様子を捉えることができるといい、天候や時間帯よらずデータの取得が可能。地球上のどこでも1000km2以上のデータを3mの解像度で一度に観測できる広域性も大きな特徴で、能登半島地震など、さまざまな分野で活用されている。
衛星開発とデータ処理の融合
Synspectiveにおける自らの業務について小畑氏は、「衛星だけでなく、さまざまなデータ処理も含め、全体像を見てハーモナイズしていく仕事」と表現する。衛星開発とデータ処理というまったく異なるテクノロジーの事業をひとつにまとめているのは業界的にもかなり珍しく、逆にこの融合こそが同社の大きなアドバンテージとなっている。
「例えば、衛星がいつどこの上を飛んでいるかといった情報は、衛星屋にとっては当然の情報ですが、データ処理をやっている人、ビジネスをやっている人はまったくわかっていません。それをちゃんと伝えるのが自分の仕事。どこでも自由に飛んでいるわけではなく、いつどこを飛ぶか、どこを観測できるかといった情報をしっかり伝える。そうすれば、どこに売り込めば良いかもわかってくるわけです。そして逆に、ある顧客に売り込むためには、どういった衛星を開発しなければならないか。そういったフィードバックも重要になってきます。」
マーケットのニーズにあわせて衛星を開発し、それを正しくビジネスに活かすことで売り上げを立てる。お互いが共通の認識を持つことによって、最適なループが構築される。通常、衛星の開発・運用とデータ活用は異なる会社によって行われることが多い中、その両方を手掛けているSynspectiveだからこその強みであり、小畑氏が昨年7月からこの“技術戦略”という取り組みを手掛けて以来、社内での認識もかなり高まっているという。
「この両方を一社で行うには、いろいろなキャラクターを揃えなければならないので、非常に大変ではあります。しかし、衛星の制約を知った上での売り上げ最大化を目指す一方で、売り上げを伸ばすために、衛星をどこに飛ばすかを検討する。そういった会話を社内で積み重ねることによって、我々ならではの答えを導き出すことができるわけです。」
衛星開発を目指すきっかけ
小畑氏が宇宙に興味を持ったのは、3歳のころに父親から渡された一冊の本がきっかけであり、その後にスペースシャトルの初飛行を見たことが大きなトリガーになっていると振り返る。
「SFやアニメの世界では、地球と宇宙を普通に行き交っているじゃないですか。しかしリアルな世界においては、スペースシャトルでようやく、アポロではなく、まさに飛行機のような形のものが宇宙に飛んだ。すごく遅れているわけですよ。じゃあ、次のバージョンは俺が作ってやろうと(笑)。」
次世代スペースシャトルの開発を夢見た当時小学2年生の小畑少年は、その後、兄の受験資料を見て、航空宇宙工学科の存在を知る。
「もうこれはドンピシャじゃないですか。だから高校に入ったころには、自分は航空宇宙工学科に入るんだと決めていました。それで航空宇宙工学科では、スペースシャトルを作りたかったので、ロケットの勉強をするつもりだったのですが、なぜか人工衛星をやることになって……。ただ、実際にやってみたらすごく面白くて、結局はハマってしまいました。」
東京大学大学院 工学系研究科 航空宇宙工学専攻 中須賀研究室を卒業後、三菱電機に入社し、20年近く姿勢制御を中心とする衛星開発に従事することになった小畑氏。三菱電機時代には海外技術交換でドイツに赴き、「TerraSAR-X」の開発にも携わったというが、今でももっとも印象に残っているのは、一番最初に手掛けたデータ中継技術衛星(DRTS)の開発だったと振り返る。
「最初の開発で、本当にいろいろな基礎を学びました。その後は、国のプロジェクトで観測衛星をずっとやっていたのですが、今思い返しても“不具合の歴史”。うまくいったという思い出以上に、うまくいかずに、お客さんに怒られて、修正して納品することの繰り返し。もう二度と衛星の開発なんかやらないと思って会社を辞めたはずだったのですが、なぜか今もやっています(笑)。」