大雨被害が続く近年、日本では毎年のように川の氾濫や浸水被害に対応しなくてはならない。災害時の緊急の対応、また災害後の将来に向けた都市計画などで必要になるのは、その検討の土台となるデータだ。このデータ作りは行政の仕事と思われがちだが、ハザードマップのない河川の氾濫リスクなどを考えれば、民間でもできることをする、データを共有するといった取り組みが必要だろう。できるだけコストをかけたくなければ、無償公開の衛星データと無料ツールを使って、大雨で浸水したエリアを個人でも調査することができる。今回は、その手法を解説する。

  • 無償公開の衛星データと無料ツールを駆使して、このような浸水エリアのマッピングが可能だ。今回はその手順を解説していく。

    無償公開の衛星データと無料ツールを駆使して、このような浸水エリアのマッピングが可能だ。今回はその手順を解説していく。

悪天候や夜間に強い「合成開口レーダー(SAR)」衛星

合成開口レーダー(SAR)とは、衛星からレーダー(マイクロ波)を照射して、その反射をアンテナで捉えて地表を観測する地球観測衛星の一種だ。日本では宇宙航空研究開発機構(JAXA)の「だいち2号(ALOS-2)」やQPS研究所の「QPS-SAR」、Synspectiveの「StriX」、NECの「ASNARO-2」などが運用中である。

地球観測衛星には、写真を撮るように画像を取得する光学衛星というタイプもある。人間が目で見た際に、地上の様子が直感的にわかりやすい方法だ。災害対策でも光学衛星を使えればよいのだが、大雨の被害が発生する場合は雲がかかっていることが多く、光学衛星で地上を撮影するのは難しい。また太陽光の反射を利用するため、夜間も撮影ができない。その点、SAR衛星は画像から情報を読み取ることが難しいという欠点はあるものの、悪天候や夜間でも衛星からマイクロ波を照射して観測できるという、欠点を補って余りあるメリットがある。

SAR衛星が照射した電波は、地表で跳ね返って衛星に戻ってくる。地表にコンクリートや金属の表面があれば戻ってくる電波は多くなり、反対に水面では電波が衛星のアンテナと反対方向に反射してしまうため、戻ってくる電波は少なくなる。受信したデータを画像化すると、水面は暗く、コンクリートの建物は明るく(白く)映る。この性質を利用して、ある基準よりも暗いところを「水面」、つまり地面が水を被った場所として判断するというのが、SAR衛星による浸水解析の基本的な仕組みだ。

日本のSAR衛星データは基本的に有償だが、欧州宇宙機関(ESA)は、2014年に打ち上げた地球観測衛星「Sentinel-1」のデータを無償で全世界に公開するという取り組みを続けている。観測の分解能は中程度だが、世界の衛星データ利用を牽引する画期的な存在だ。今回はこのデータを使ってみよう。

衛星観測はタイミング次第

衛星で大雨や浸水を観測するメリットは、広域を一度で安全に調査できることだ。ただし、浸水が起きているタイミングで衛星が上空を通過していなければ、当然その現象を観測することはできない。Sentinel-1衛星は現在1機しか活動しておらず、地表のある地点を観測できるタイミングは12日に1回とかなり間隔が長い。2021年に故障してしまった衛星に代わって2023年末に新たな衛星を打ち上げるまで、こればかりはやむを得ない問題だ。

SAR画像は、ともすればモノクロのザラザラした画像に見えてしまい、画像から情報を引き出すことが難しい。そこで宇宙機関やそれを活用する組織は、ある程度確立された手法でSARデータを処理して情報を引き出す「解析」の手法を公開している。

中でも国連は、SARの応用分野としてよく利用される浸水エリア(以下「浸水域」)の抽出手法だけでも、2種類のチュートリアルを用意している。1つ目の手法は、欧州が公開する無料の解析ツール「SNAP」を使う方法、2つ目は「Google Earth Engine(GEE)」を使う方法だ。それぞれSARの長所と短所を踏まえて使えば、大雨被害が発生した場合に迅速に浸水をビジュアライズすることができる。まずは前者のSNAPによる浸水マッピングを解説する。

大雨に伴う浸水は観測できているか? 2022年8月3日の事例

SARデータの解析を始める前に、そもそも衛星による観測データが存在するのか、情報を確認する必要がある。日本の場合は、気象庁や自治体が公表する大雨情報を確認しておこう。

2022年の8月1日から6日にかけて、日本海から東北地方・北陸地方で大気の状態が非常に不安定となり、北海道や東北地方、北陸地方を中心に大雨が続いた。山形県や福島県、新潟県などで浸水被害をもたらしたこの大雨の際には、8月3日に発生した豪雨の翌日(4日朝)に、Sentinel-1が北陸から東北を観測するという機会があった。観測時間は通常、午前6時ごろになる。

なお観測の予定と地域は、Sentinel衛星のデータ配布プラットフォーム「Sentinel Hub」でいつでも確認できる。これには無料で登録でき、画像の閲覧やダウンロードに加え、簡単な比較ならばSentinel Hubだけでも完結する。

  • Sentinel衛星のデータ配布プラットフォーム「Sentinel Hub」

    Sentinel衛星のデータ配布プラットフォーム「Sentinel Hub」。(Powered by Sentinel Hub with contributions by ESA)

まずSentinel Hubにログインし、データを検索したい地名を入力する。日本の場合は日本語の地名を入力してもOKだ。そして「Discover」タブで今回利用する「Sentinel-1」をチェックし、検索期間の日付を指定する。ここでは、観測日時などの情報はすべて協定世界時(UTC)であることに注意しよう。稼働中のSentinel-1A衛星の観測時間はUTC 21:00ごろ。日本(JST)はUTC+9時間なので、Sentinel Hub上の日付の翌日、朝6:00ごろと考えればよい。8月3日に観測機会があったということは、日本では翌日の8月4日朝のデータが撮れていることになる。該当するデータ日付のデータを見つけたら、リンクのマークをクリックして「AWS path」(データのファイル情報)をコピーしておこう。あとで必要になるのでメモ帳などに保存しておくとよい。

  • 利用したいデータの「AWS path」をコピーしておく。

    利用したいデータの「AWS path」をコピーしておく。(Powered by Sentinel Hub with contributions by ESA)

データのダウンロードを始める前に、目で確認してみよう。大雨当日と、その前の7月の観測画像を比較してみる。川の周辺などで暗く見える部分が増えていれば、浸水を捉えている可能性がある。ただし、夏季の大雨が立て続けにあった場合など、直前の段階ですでに川が増水している場合もある。また、あまり極端に遡って季節をまたぐと状況が大きく変わっている(川の水量が異なるなど)可能性があるが、雨続きの場合は気象情報を確認しつつ少し遡ってみるのもひとつの方法だ。

  • 海や川、浸水地域などは黒く表示される。

    海や川、浸水地域などは黒く表示される。(Powered by Sentinel Hub with contributions by ESA)

大雨を観測した日のデータから浸水範囲を抽出する

ここで紹介する浸水マッピングの手法は、大雨当日(一時期)のデータを使う方法だ。ESAが用意したツールを利用すると、データ公開が最も早いため、速報的な情報を必要とする場合に向いている。だがその一方で、川筋や湖、池といった元々水面だったエリアも同時に抽出することに注意する必要がある。また、ユーザーのローカルな環境でデータを処理するので、それなりのマシンパワーを必要とし、メモリは16GB以上、できれば32GBが必要になる。

  • 「Open Access Hub」で見た日本の様子。

    「Open Access Hub」で見た日本の様子。(出所:Open Access Hub)

Sentinel-1のデータは、Open Access Hubという専用のデータをホストしているWebサイト(無償で登録可能)からダウンロードする。Open Access Hubにログインして日本の上に移動し、検索ボックスにSentinel Hubでコピーしておいたファイル名を検索窓に貼り付け、検索する(ファイル名冒頭のAWSのディレクトリ情報は削除する)。エリアと日付を指定して検索する方法もあるが、ここでは観測日と必要なデータのファイル名があらかじめわかっているので、そのほうが手間が省ける。

データが見つかったら目のアイコンをクリックして、プロダクト(衛星の観測データ)情報をコピーしておこう。これも後で必要になる。データが新しい場合はダウンロードボタンをクリックすればダウンロードが始まるが、1年前など時間が経っている場合には、カートにデータを入れるリクエストを送信し、ダウンロード準備が整うのを待たなくてはならない。SARのデータは1ファイルあたり900MB程度あるので、ストレージには余裕を持つ必要があるだろう。