最先端のCGレンダリング技術を動員(ネタバレ含む)

実はかなりのゴジラファンである私自身であるが、映画好きの娘に誘われて久々に映画館に足を運び最新のゴジラ映画を観た。これはモンスターバース制作(いわゆるハリウッド作とは違い、東宝と提携している)の最新作で、4DXのバージョンもあるようだが、目が回るので通常のバージョンで観た。それでも最先端のコンピュータ・グラフィック(CG)技術を駆使した迫力ある映像と耳をつんざく効果音の連続で正直圧倒された。さぞかしたくさんのCPU/GPUを動員して制作されたと思われる大迫力のCGイメージで際立つのは、画面中央で暴れまわる怪獣たちだけでなく、必要以上と思われるようなディテールに富んだオブジェクトを画面の隅まで再現しようとするこだわりである。

また、それはゴジラ、キングギドラ、モスラ、ラドンといった、名前を聞くだけでわくわくするような代表的怪獣たちが持っているそれぞれの独特の質感を精緻に再現することによって可能となる圧倒的な存在感であろう。実際には3次元内に存在する仮想的な立体物を、映画のスクリーンという2次元の世界でこれだけの存在感を持たせて再現する最先端のCG技術は、その映像の奥行などの基本的な要素だけでなく、光の当たり具合、それぞれの物体が特有に持つ質感をマニアックなまでに突き詰めることである。それによって実際には存在しないゴジラという怪獣が、あたかもそこにいて暴れてるような錯覚を起こさせる。コンピュータ・プログラムの高速実行によって、画像・映像・音声などを生成する"レンダリング"技術を駆使したクリエータの現場では、「より豊富なデータを基に、より精緻なイメージを、より早く生成したい」という欲求は限りなく高い。そこにはより高速なCPU/GPU、そしてより大容量のメモリデバイスが常に求められる半導体技術の真骨頂が発揮されている。

  • ゴジラ

    著者所有の数あるゴジラ・フィギュアの1つ。これは65年にもわたる長いゴジラ映画歴史の中でも中期に登場したバージョン (著者撮影)

歴代ゴジラ映画におけるメッセージの変遷

いきなり最新作を観た若い方々にはあまりピンとこないかもしれないが、ゴジラ映画には65年に及ぶ長い歴史がある。日本で昭和・平成にわたって東宝映画によって製作されたゴジラシリーズ、アニメバージョン、ハリウッドバージョン、そして今回のモンスターバースバージョンのすべて含めるとゴジラおよびゴジラ関連映画は30作以上におよぶ。この中でゴジラは多くの名勝負を演じてきた。しかし、これらのゴジラ映画に込められたメッセージは時代とともに下記のように変遷してきている。

第1作(1954年)

ゴジラ第1作が発表されたのはなんと1954年で、1956年生まれの私はこの第1作はリアルタイムには見ていない。私の最初のゴジラ映画鑑賞は多分1962年作の「キングコング対ゴジラ」(第3作)であったと思う。当時6歳の私は大きな衝撃にとらわれた。もちろんコンピュータ・グラフィックスなどの技術はない時代で、人間が等身大の着ぐるみに入ってミニチュア仕立ての街の上で暴れまわるという手法であるが、この時から東宝の"特撮"の技術はかなり秀逸なものであった。

名古屋城を挟んで対峙するゴジラとキングコングの巨大さと超現実性は6歳の私を瞬時に虜にした。もちろん、第1作の「ゴジラ」誕生の背景などは知る由もなかった。その後、ある程度社会の仕組みがわかるようになって何となくわかるようになった第1作のメッセージは、当時の映画ポスターなどに登場する下記の記述に集約される。

「海底深くに潜んでいたジュラ紀の怪獣ゴジラが度重なる水爆実験で安住の地を追われ東京に上陸し大暴れする」

公開当時はそれまでになかった「怪獣映画」のジャンルの目新しさにより大きなヒットを記録した。しかし、1954年に米軍がビキニ環礁で行った水爆実験によってマグロ漁船員が被曝した「第5福竜丸」事件と同じ年に公開されたこともあって、その後かなり政治的なメッセージ性を持つようになった。このメッセージは人間の環境破壊に対する世界の関心の高まりと相まって、日本のみならず世界に知られるようになり、その後のゴジラ映画(すべてではないが)にはこのメッセージが繰り返し登場する。

第3作「キングコング対ゴジラ」(1962年)から以降28作「ゴジラ FINAL WARS」(2004年)までの中期

第1作の単独の登場以降、第2作からはゴジラはアンギラス、キングコング、モスラ、ラドンなどの古典的な怪獣と単純にバトルロワイアル的に戦うことになるが、その立ち位置は宇宙怪獣「キングギドラ」やヘドロ怪獣「ヘドラ」などの登場によって、「地球人類の守護神として戦うモンスター」へと微妙に変化してくる。また他の既存の地球怪獣たちとの共闘化も見られるようになる。

  • ゴジラ

    著者所有の全長1mの巨大ゴジラフィギュア (著者撮影)

第29作「シン・ゴジラ」(2016年)

2004年作の「ゴジラ FINAL WARS」から12年のブランクを経て制作された「シン・ゴジラ」では福島原発事故の衝撃を色濃く反映して、人類による核開発の無責任さを告発する第1作の重厚な政治的メッセージに回帰する。この映画ではコンピュータ・グラフィックスが全面的に活躍し、ゴジラが蹂躙する東京の街角のディテールがかなり印象的であった。巨大生物の出現を前になす術がない日本政府のふがいなさ、安全保障を担保するはずの米軍の無力さとあっけない裏切り等、かなり風刺のきいたメッセージで高い興行成績を上げた。

モンスターバース最新作「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」(2019年)

さすがに東宝と提携しているだけにオリジナルのゴジラ映画を意識したオマージュに満ちている。ゴジラと他の地球の怪獣たちのポジショニングはかなり東宝版に近いし、ゴジラの宿敵のキングギドラが宇宙怪獣であるという設定も全く同じである。

しかも、渡辺謙扮する暗い影を持つ芹沢猪四郎博士は、第1作で"オキシジェンデストロイヤー"なる兵器でゴジラとともに自死する芹沢大助博士と役割が大変に似ている。確かに環境問題への関心などのオリジナルのゴジラとのメッセージの共有はあるものの、仕上がった映画はかなり違う印象を持った。タイトルが示すように、「ゴジラ=怪獣の王」というのが本来のテーマで宇宙怪獣キングギドラを大格闘の末倒したゴジラに他の怪獣たちがひれ伏すという、往年のゴジラファンとしてはどうもしっくりこない結末となっている。典型的にアメリカ的な単純明快なストーリー展開ではあるが、興行成績はかなりいいようである。

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    著者の愛犬ゴジラ。ちなみにもう1匹の兄弟犬の名はラドン (著者撮影)

日本発信のコンテンツとして進化するゴジラ

あらためて実感するのは日本発で世界的に成功し、65年の長きにわたり未だに通用するコンテンツとしてのゴジラである。

マニアック的に申し添えれば、原始的な強烈なリズムでストラビンスキーの音楽を想起させる伊福部昭の傑作であるゴジラのテーマ曲もゴジラをゴジラたらしめる大きな要素でもある。ともすれば下向き加減の日本の産業界もゴジラの相変わらずの快進撃にあやかりたいものである。因みに、次回作は「Godzilla vs. Kong(ゴジラ対キングコング)」だそうである。往年のゴジラファンとしては、かなり気になる設定ではある。私にとってのゴジラはあくまでも”ゴジラ”であって”Godzilla"ではないのである。このこだわりは、芹沢博士役の渡辺謙も譲れなかった点であろう。

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、2016年に還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。

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