AMDがPresident職にあったVictor Peng氏の「引退」を発表した。大企業の要職にある人物の去就についてはその度にプレス発表文が用意されるが、そのトーンにより本人の意思によるものか、内紛/権力闘争などの結果なのかはすぐにわかる。今回の発表文を読む限り、CEOのLisa Suに次ぐナンバー2の人物であるPeng氏の引退は、本人の意思によるものなのは明らかで、業界歴が40年になるPeng氏の業界に対する多大な貢献を大いに讃える言葉が見られる。

  • Victor Peng氏

    引退するVictor Peng氏 (出所:AMD)

1.やり始めると終わりがない半導体業界

Peng氏の40年にわたる業界での経歴は見事なものである。台湾出身で米国の大学で技術を学び、DEC(Digital Equipment)を皮切りに、SGI、MIPS、AMDで数々の要職につき、Xilinxでの14年間で同社をFPGA業界のトップ企業に育て上げた。

AMDによるXilinx買収後も、FPGA技術のAMDへの取り込みを成功させ、現在ではAMDが最も力を入れるAI半導体事業立ち上げの中心的な役割を果たしてきた。1960年生まれとされるので、63-64歳ほどと思われるPeng氏にとっては堂々たる勇退と言えよう。

私自身の経歴はPeng氏と比べるべくもないが、半導体業界に長年勤めた人物の勇退については、感慨深い部分がある。特に、幹部レベルともなると責務の重圧はかなりのものだ。まず重要なのは、刻々と変化する市場の動きについての素早い状況察知能力である。市場からのシグナルは最初はごく弱いものであっても、後にそれが大きな変化をもたらす前兆である場合が多々ある。そして変化を察知したら、間髪を入れずに適切な判断を下しそれを着実に遂行することが求められる。その結果について全面的に責任を負うのは言うまでもない。「変化」が市場の原動力となっている半導体では、こうした大胆かつ細心の判断/決定とその遂行が、ビジネスでの勝敗を分ける大きな要因となる。こうした場面で適切な判断を導き出すためには、何といっても関わる案件への飽くなき情熱と、自身の判断を裏付ける充分な経験が求められる。確固としたリーダーシップを発揮して初めて人が動く。

年間を通して世界を飛び回り、大勢の聴衆を前にして自社技術の優位性を熱っぽく語る。こうした超人的な業務をこなす仕事への情熱を支えているのが、日々繰り返される技術革新だ。集積度/周波数を向上させながら新機能を追加する次世代、そのまた先の世代と、新たなものを常に追いかける技術革新がその中で働く者にモティベーションを与え、「次世代技術の成功を見届けるまでは働こう」という気にさせる。技術革新は日々継続されるので、この行動パターンには終わりというものがない。

しかし、こうした激烈な状況に長い間身を置くと、身体のあちこちがすり減ってくる。そして還暦の声を聞くころから、能力/気力の衰えを感じ始める。失敗をできるだけ回避しながら、あくまでもリスクを恐れない大胆な判断を下す為には、常に研ぎ澄まされた感覚と行動力を可能とする体力が必須である。それが充分に満たされないと感じ始めた頃から、「引退」という考えが頭に浮び始める。Victor Peng氏の心境は私には知るべくもないが、数々の業界人の活躍とその去就を見てきた経験から私が持った印象だ。

2.エンジニア職ではマイペースで長期に勤務するケースも

実際にはPeng氏のように幹部クラスまで上り詰めるのはむしろ稀で、業界は多くの職種の人が自身の領域を極める多大なハードワークにより成り立っていることは言うまでもない。その中でも、開発/設計などの技術部門のエンジニア達には独特の職業観がある。

自分に合ったエンジニアリングの仕事をコツコツとやることに専念し、その中にこそ仕事の喜びを感じるタイプの多くの優秀な人たちにも巡り合った。私がまだAMD勤務の駆け出し営業マンだった時、顧客からのややこしい質問を受けて、設計部門を訪ねていった時の話である。顧客からの質問を部門長にぶつけると、「その辺はジョンにしかわからないから、直接聞いてみたら」と紹介されたエンジニアは物静かな初老の人物で、質問について懇切丁寧に説明を受けた。その名刺にかかれていた名前で、ふと気が付いた。「XXXXの基礎と応用」などと言うコンピューター関連の入門書を書いた著者自身だった。そのことについて当人に尋ねると「大分前に書いた本だけどね……」などと言ってはにかんだ表情で、設計部門の本棚にあった一冊を差し出してくれた。思わず「お客さんにお土産として差し上げるので裏表紙に自筆サインを下さい」と頼んだら喜んでサインしてくれた。それを帰国後、顧客に届けたらかなり感激して、七面倒くさい技術の問題が一気に解決したということがあった。CAD技術が発達し、AIも動員する現在の設計部門の最前線ではもうあり得ない話だが、アナログ回路設計や半導体インゴット製造などの分野ではこうした経験に裏付けられた充分な知見を持ったエンジニアの匠の技が光ることもある。

3.後継者育成がカギとなる半導体業界

生成AIの登場で技術革新が加速する半導体業界だが、重要事項の意思決定はAIに頼るわけにはいかない。そうした熾烈な状況で何物にも代えがたいのは、年齢の積み重ねによる経験値の蓄積だ。経験の中には成功もあれば多くの失敗もある。これらが全て蓄積されて、現状に対応する際に有用な知見となる。遥かに進んだ技術革新のさなかにあっても「この風景は前にも見たことがある」と感じる時がある。業界全体が経験したことがない未知の状況に常に置かれているわけだから、経験値に基づいた判断がその正確さを上げるために有用となる事は理に適う。目先の問題解決に忙殺される毎日にありながら、自身の経験値を継承する後継者育成が成功のカギとなる。