正月明けから世の中は昨年にも増したペースでガラガラッと激変しているようなので、シリアスな話題から今回は箸休め(なんという日本的響き…….)として閑話を書くことにした。

デジタル世界に生きるどこまでもアナログな私

ポストを開けるとあるメジャーな米国航空会社からの毎年の定期便が来ていた。私はAMDに勤務していた24年での数限りない海外出張の際にこの航空会社を集中して利用していたので、総マイル数が優に百万マイルを超えて永久プレミア会員になっている。いわゆるゴールドカードというやつである。

現役時代、私はピーク時には年間20回という頻繁な海外出張を強いられていた。そういった状況にあっては、プレミア待遇というのはビジネスをする際での実質的な大きな意味を持ったことは明らかである。しかし、2年前に還暦を迎えて半導体業界の仕事人生から完全に引退した現在の私には、社会的なステータスを表すものは運転免許証と、引退と同時に通い始めたある大学の学生証だけである。以前はゴールドカードのようなビジネス・ステータスは当たり前のものとあまり関心がなかったが、皮肉なことに、今では使わなくなってしまったゴールドカードでも、それを携帯することには今の私にとっては密かな楽しみのようなものがあった。

さてその毎年の案内状であるが、その独特の形状の封筒を開ける前に予感のようなものがあった。封筒を開けてその予感は見事に的中した。案内状にマイレージ支配人からのメッセージ、「お客様の皆様のご利用をさらに便利にするために、カードはデジタルになりました! 携帯電話のアプリからカードをダウンロードしてください。Enjoy your trip!!」、と書いてある。やっぱり、という感想とともに落胆を禁じえなかった。財布に入れて使わないままになっているプラスチックのゴールドカードはこれからはデジタルのバーチャルカードとなったわけだ。

その支配人からの挨拶もいかにもそっけなく、「スマホを持っていない人はどうするの?」などという間の抜けた質問には答える用意もないという感じで、こちらもいかにもデジタルな対応である。

デジタルワールドでのアナログの痕跡

先日マイナビニュースの記事でIntelの次世代CPUの話題を読んでいたら、懐かしい表現に行き当たった。「Intelはこの次世代CPUデザインのテープアウトを今年の第3四半期頃と発表している」、というようなものだったと記憶している。

CPU設計に携わった人なら当たり前に使う言葉であるがその意味を考えると面白い。かつてCPU設計は非常に機能が限られたCADワークステーションで、開発を終えると、その設計情報を昔のSF映画に出てくるような大リールのアナログの磁気テープに記録し、そのテープが製造現場に渡されて設計完了ということになる。この瞬間を「テープアウト」と呼び、次期CPUへの期待が膨らむエキサイティングな時である。もちろん現在ではCADから製造現場への設計データのやり取りはネットワークを通してやり取りするのであろうから、この表現は実際的な意味を持たないが今でも象徴的に使われている。現代に生きる我々は徹底的にデジタルな世界で生きているようではあるが、人間そのものがアナログな存在である限り実際はデジタル処理を通して提供される経験でもアナログ的に理解するのであろう。例えば、よくテレビのドラマなどで主人公がノリノリになっている最中に何かにつまずいて倒れる瞬間、シーンがスローモーションになって、音声が急に低くなるような場面がある。しかしよく考えてみると、音が再生機の回転数(レコードの回転数)を変えることによって高くなったり低くなったりするというのは、初めからデジタル世界で生きている若い人たちは経験しようもない状況であるのに、ドラマなどの手法で繰り返し象徴的に使われることによってきちんと伝わるようになるのだろう。そういえば、この前テレビの料理番組である有名な年配の料理家が素晴らしい出来栄えで完成した料理を前にして「カメラさん、これ、4Kで撮ってくださいね」、などとお茶目に言っていたのを見て思わず笑ってしまった。ほとんどのデータが高速デジタル処理されるこの世の中だが、メッセージの受け側が人間である限りアナログの部分は確実に存在する。しかも、そのアナログ化された情報が実際は重要なのであって、その中間で行われる超高速なデジタル処理は一般人にとってはブラックボックスであり、知る必要のない物なのかもしれない。

半導体世界で仕事人生の30年間を過ごした私は、デジタル技術の発達により急加速化する環境変化を目の当たりにして未だにアナログ思考を続けている。

  • AMDの創業者の1人で、後にAMDを飛び出しMaxim Integratedを立ち上げたJack Gifford

    AMDの創業者の1人で、後にAMDを飛び出しMaxim Integratedを立ち上げたJack Gifford (著者所蔵イメージ)

アナログICが躍進する現在と米国老舗企業のレジェンドたち

半導体市場の成長が著しい。主要なアプリケーションの対象が従来のコンピューティングからIoTやAI、そして自動運転へと広がり成長する中、特に成長しているのがパワー系も含めたアナログ半導体であるという。報道ではどちらかというと派手な話題が多いメモリやCPUの話に偏りがちだが、電気信号を正確なレベルで増幅・変調する高性能オペアンプ、電圧を微妙に調整するレギュレータなどのいわゆるアナログ半導体は、電子機器のハード設計には必須のものであり、その発展過程は非常に長い歴史を持っている。

私がAMDに入社したころにはAMDはすっかりデジタル半導体オンリーの会社になってしまっていたので、アナログ製品のビジネスの経験はまったくない。しかし、シリコンバレーを車で走っていると、アナログ製品の会社も軒を連ねていて、それらの企業で働く人たちはAMDのようなど派手な会社の従業員とは違って、どこか職人的な雰囲気を持っていたし、同じ半導体業界の隣町に住んでいる人たちのような印象を持っていた。米国のアナログ半導体御三家と言えば、Analog Devices(1965年にMIT:マサチューセッツ工科大学の人たちによって立ち上げられた老舗)、Maxim Integrated(1983年にAMDから飛び出したJack Giffordたちが立ち上げたシリコンバレーの老舗)、そしてシリコンバレー企業のレジェンドCharlie Sporck率いるNational Semiconductor(NS、後にTexas Instrumentsに買収される)であろう。

その独特の設計手法から、アナログ半導体の技術には多分に職人芸のようなところがあり、この方面の技術者は恒常的に不足しているのが現状である。その中でも何と言っても異色のレジェンド・エンジニアはFairchild Semiconductor(後にNSに買収される)のBob Widlarであろう。天才的なアナログ回路設計者のWidlarは現在のオペアンプ、電圧レギュレータの原型を考案したが、数々の武勇伝を残した破天荒な生活で51歳の若さでこの世を去った。

  • 天才的なアナログ回路設計者Widlar

    天才的なアナログ回路設計者Widlar (著者所蔵イメージ)

デジタルでもアナログでも半導体回路設計の基礎技術は、そのほぼすべてが1970年代、当時は一面サクランボ畑であったカリフォルニアのシリコンバレーのベンチャー企業で活躍したエンジニア達の試行錯誤の結果生まれたことは非常に感慨深い。

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。

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