2019年レッドブル・エアレース第1戦、アブダビ大会。室屋義秀選手が2017年最終戦以来1年ぶりの優勝で快進撃の口火を切ったこの大会は、筆者にとっても記念となる大きなイベントだった。エアレース会場で、その飛行を体験することができたのだ。選ばれたレッドブル・エアレースパイロットだけが駆ける空を垣間見た、貴重な経験をご紹介しよう。
2人乗りのアクロバット機
搭乗する機体は「エクストラ300LX」。エクストラ300はエアショーなどで活躍するベストセラーのアクロバット機で、レッドブル・エアレースでも2017年までは、チャレンジャークラスでエクストラ300が使われていた。LXはその2人乗りバージョンで、レッドブル・エアレースでは体験搭乗のためにわざわざ用意されている。
通常、メディアは格納庫エリアの先の駐機場エリアまでは入れないのだが、今回はもちろん特別。スタッフが機体を手で押して行くのに同行する。見送りに来てくれた室屋選手がヴィーニュ選手に「その人なら12G掛けちゃっていいよ」とジョークを飛ばすので、「いやいや、室屋さ~ん」と苦笑いで返す。エクストラ300のコックピットには「Max 6G」と書かれているが、エッジ540の制限荷重は12Gだから、エアレース選手にとっては6Gなんて序の口もいいところだ。
ここで、案内と撮影をしてくれていたレッドブルジャパンのスタッフとはお別れ。この先は機体に搭載された小型カメラの映像しかないので、機体を外から撮影したような写真はない。また飛行機の動きなどはレッドブル・エアレースの写真を参考にしていただきたい。
搭乗前に、まずハーネス状のパラシュートを背中に装備する。筆者はパラグライダーのパイロットでもあるのだが、ふだん使っているパラグライダー用ハーネスとよく似ている。しっかりした作りだが、それほど重くはない。ただ、左肩の赤いハンドルの位置だけはしっかり確認しておく。
コックピットを覗いてみると、内部は驚くほどシンプルだ。胴体は鋼管製トラス構造の上から強化プラスチック(FRP)製の外装パネルを張っているため、中はトラス構造がむき出し。その中に宙吊りのように座席があるが、武骨で平板的なグレーのプラスチック一体成型品で、良く言えば実用本位、悪く言えば安っぽい。飛行機というよりは観光地のボートのようだ。
練習用に2人乗りで作られているエクストラ300LXの座席は前後に並んでおり、パイロットは後部に、筆者は前部に搭乗する。映画「王立宇宙軍」を観たことがある人なら、決して間違うことはないだろう。床と言えるスペースがほとんどないので、まず座席の上に立ち、しゃがみ込むようにしてコックピットに潜り込む。この機体は体験搭乗専用のせいか、前席には計器も最低限のもの2つ、速度計と高度計しかない。
コックピットに収まると、外からスタッフがシートベルトをしっかり固定してくれる。両腿と両肩のベルトを腹の前でがっちり固定する、4点式ベルトだ。両足の間には箱型の部分があるので、これを靴で挟むように両足を内に向け、そのうえで両膝を目いっぱい開く。これは、前席にも操縦装置があって後席とつながっており、後席でパイロットが操縦すると前席も同じように動いてしまうからだ。膝の間では操縦桿が前後左右に大きく動くので、少しでも膝を閉じると当たってしまう。ペダルは方向舵の操作に使われるため、どんなに緊張しても「足を踏ん張る」のは厳禁だ。
鼻歌まじりでアクロバットへ出発
いよいよ機体が滑走路へと移動を開始する。エクストラ300は、エアレース機のエッジ540や昔の零戦などと同様の「尾輪式」。「前輪式」の旅客機と異なり、地上ではお尻を地面について頭を上げた姿勢なので、コックピットからは真正面を見ることができない。今回は駐機場から滑走路まで管制の管制に従って走るだけだが、エアレースで滑走路手前に並ぶ場合はわざとジグザグに走行して前の機体が見えるようにしていることがある。その状況を実感した。
航空管制の声を聞きながら滑走路に入る。普通の飛行機なら滑走路の端まで行って折り返すが、アクロバット機には滑走路の半分もあれば充分なようだ。
「準備はいいかい?」「いいよ!」「では行くよ!」
騒音で耳を傷めないよう防音を兼ねているヘルメットを突き抜けて、「ビィーン」という高いエンジン音が聞こえてくる。アクロバット機と言ってもプロペラ機、加速のGはそれほど大きなものではなく、背中に押し付けられるほどではないが、あっというまに機首を上げ急角度で空へ駆け上がる。ずっしりと昇っていく旅客機と違い、自転車に2人乗りしているような軽やかさだ。ヘッドセット越しにヴィーニュ選手の鼻歌が聞こえる。興奮の最高潮にある筆者と違って、ヴィーニュ選手にとってはちょっとしたドライブのような気軽さなのだろう。サッカーファンにはおなじみのシェイク・ザーイド・サッカースタジアムを中心にくるりと旋回し、機首をエアレース会場へ向けた。
眼下に見えるアブダビ市は、東京の山手線エリアより一回り大きいほどの島に約90万人が住む、アラブ首長国連邦の首都だ。東京と違うのは、その島の外へ出れば陸側は砂漠、海はエメラルドグリーンのペルシャ湾ということ。空から見るアブダビはまるで、砂と海の惑星に建設されたオアシス都市のように幻想的だ。あまりにも現実感に乏しくて、コンピューターゲームの画面を見ているような気分にすらなる。
エクストラ300には天井がなく、卵のような流線形のプラスチック製キャノピーひとつで前後の座席を覆っているから、肩から上には視界を遮るものは何もない。がっちりと体を固定されているので、キャノピーに顔を近付けて下を見ることは難しいこともあり、あまり高さによる恐怖は感じない。ただ、少し舗装の悪い高速道路を走っているように小刻みな揺れがあり、ここが現実の空だということを感じさせる。
市街地を避けてアブダビ市南側の海上を西へ進むと、前方にレッドブル・エアレース会場のあるコーニッシュ地区の超高層ビル群が近付いてくる。ひときわ大きなアラブ石油公社本社ビルの向こうに、レッドブル・エアレースの特徴的なパイロンが覗くのを見て、ついビーニュ選手に「エアレースコースが見えるよ!」と当たり前のことを叫ぶ。するとバティストは「素晴らしいパレスも見えるだろう?」と教えてくれた。ここで言うパレスとは、アブダビ最大の高級ホテル「エミレーツ・パレス」と、日本で言えば皇居と首相官邸を兼ねたような施設「UAE大統領宮殿」のどちらの意味にもとれるのだが、その2つが眼下に並んでいるのだからいずれにせよ絶景だ。
時速300kmのジェットコースター
「パレス」の横を通過すると、目の前に広がるのは一面のペルシャ湾だ。そこで右へ90度旋回し、レッドブル・エアレースのコースを右下に見て通過する。事前の説明で「エアレースのパイロンを通過する体験もできる」と聞いていたので、あれ、コースへ行くんじゃないの?と疑問が浮かぶが数分で解消した。エアレース会場から数km離れた防波堤の上に、1組のパイロンが見えたからだ。なるほど、体験や練習のためにコースとは別に用意してあったわけだ。
「メディアボックスに到着した」
ヴィーニュ選手が航空管制に無線を入れた。体験飛行空域は「メディアボックス」という名前で確保されていて、その空域内では自由に飛ぶことができるようだ。たった今、「アブダビ・メディアボックス」は筆者専用の「見えないジェットコースター」になった。
「速度計と高度計を見ていてね」
遊覧飛行機のように飛んでいたエクストラ300が、その本来の姿を見せ始めた。機首を持ち上げ、景色が後ろへと消えていく。視界が中東の真っ青な空とまぶしい太陽だけになったと思うと、頭の上からペルシャ湾の海面が降りてくる。砂漠の白い砂を透かした海水は、宝石よりずっと美しいと思えるほどのエメラルドグリーン。垂直降下からさらに機首を引き起こして、何事もなかったかのように水平飛行へ戻る。宙返りだ。
あまりにも素晴らしい景色に、目はずっとコックピットの外へ向けっぱなしで計器を見るのを忘れてしまっていた。管制に伝えていた高度は1000フィート(304m)なので、そこからスタートしたはずだ。単純な宙返りはレッドブル・エアレースのコースにはなく、むしろ雄大な遊覧飛行に近い。これで体調を崩すようであれば、激しい機動を体験するのは無理だ。
「大丈夫かい?」 「Yes!素晴らしいよ!」 「パーフェクト!」
このあとも1回のアクロ課目ごとに、ヴィーニュ選手は筆者の体調を確認してくれる。筆者は初めて遊園地へ来た幼児のように、満面の笑顔で返事をする。前後に座っているのでお互いの顔は見えないのだが、ヴィーニュ選手の上機嫌は声の調子からも伝わってくる。 ここからが本当の、レッドブル・エアレースのアクロバットの始まりだ。
(次回は4月11日に掲載します)