陸戦に限らず、海戦でも航空戦でも通信は必要不可欠な要素。それを実現する手段が通信機だが、陸戦用の通信機には、他の戦闘空間とは異なる要件がある。まずはそんなところから話を始めてみたい。→連載「軍事とIT」のこれまでの回はこちらを参照。
陸戦用通信機における要件 - 個人携行とバッテリ駆動
海戦なら、通信機は艦艇に搭載する。航空戦なら、通信機は航空機に搭載する。いずれもなにがしかの「プラットフォーム」があり、そこに設置場所や電源を確保する。
陸戦でも、通信機を各種車両という「プラットフォーム」に載せる場面はあるが、それだけでは済まない。徒歩で行動する兵士が存在する以上、個人で携行できる通信機も不可欠なものとなる。
これはさらに、複数のカテゴリーがある。まず、市販品のトランシーバーみたいにコンパクトな個人レベル向けの通信機(handheld radio)。こうした通信機は、見通し線圏内の短距離通信だけ行えれば用が足りる。一般的には、電波の周波数としてVHFとUHFを用いている。
その一例が、L3ハリス・テクノロジーズ製のAN/PRC-163。見た目は「ちょっと大きなトランシーバー」という感じだが、底面に取り付けたバッテリの大きさが、求められるバッテリ容量の大きさを暗示している。サイズは15.24cm×7.62cm×5.08cm、重量1.25kg。
もうひとつが、個人携行用と比べると大柄で、背中に背負って歩くタイプの通信機、いわゆる背負式通信機(manpack radio)。ポピュラーな背負式通信機というと、L3ハリス・テクノロジーズ製のAN/PRC-117シリーズがある。
シリーズ最新モデルはAN/PRC-117G(V)1(C)で、サイズはバッテリがない状態で9.3cm×18.7cm×22.3cm、重量3.72kg。バッテリを取り付けた状態で、9.3cm×18.7cm×34.3cm、重量5.44kg。つまり、筐体の底面に脱着式のバッテリパックを取り付ける構成で、バッテリは消耗したら充電済みのものと取り替える。
この「個人携行」と「バッテリ駆動」が、陸戦用通信機における重要な要件となる。何かのプラットフォームに載せた通信機なら、そのプラットフォームに電源を依存できるが、個人レベルでは発電機まで持ち歩くわけには行かないから、バッテリは不可欠。
陸戦用通信機における要件 - 頑健で防塵防滴構造
しかも野戦環境で使用するものだから、振動・衝撃に加えて、雨で濡れたり、砂塵や降雪の中で使ったりすることも考えなければならない。極地の寒冷環境下でも、中東やアフリカの砂漠でも、東南アジアのジャングルでも使えないとダメ。そんなイメージか。
例えばAN/PRC-117のデータシートを見ると、温度環境が-40~+70度(運用時)と幅広いだけでなく、耐衝撃・耐振動についてはMIL-STD-810G規格、砂塵や水濡れについてはMIL-STD-810F規格に対応、とある。
したがって、陸戦用の通信機は単に性能が良いだけでは不十分で、小型軽量・低消費電力、つまりSWaP(Size, Weight, Power)が小さくなければ仕事にならない。そこに、頑健で防塵防滴構造という要件が加わる。
小さくても多様な通信に対応
陸戦用通信機のうち背負式通信機は、指揮官に随伴する通信士が背負って歩くのが一般的な使い方。そして、指揮官からの命令を発信したり、部下からの通信を受けて指揮官に伝えたりする。
したがって、指揮官に随伴する通信士が持つ背負式通信機は、指揮下にある部隊の長が持っている個人携行用の通信機と同じ周波数、同じ変調方式に対応している必要がある。
しかしそれだけでなく、上級司令部とも連絡できなければならないので、対応する通信方式や周波数帯が増える。AN/PRC-117の場合、見通し線圏内で使用するVHF/UHF通信だけでなく、見通し線の圏外にいる相手と通信するために、UHF衛星通信にも対応している。もちろん、通信保全のために暗号化機能も備えている。
衛星通信にも対応、ただしアンテナを連れて歩く必要あり
ところがなんと、個人携行用のAN/PRC-163でもUHF衛星通信に対応しているというからびっくりだ。小さな筐体に近距離用VHF/UHF通信と遠距離用UHF衛星通信の機能を押し込めるのは、簡単な仕事ではないだろう。他社も含めて、すべての個人携行用通信機がUHF衛星通信に対応しているわけではないが、こういう製品もあるという話である。
「衛星携帯電話というものがあるのだから、個人携行用の通信機が衛星通信に対応していても不思議はない」という見方もあろう。だが、衛星通信だけでなく地上波(?)にも対応するマルチバンドにしなければならない分だけ実装のハードルが高い。
昔なら、後方の上級司令部あるいは本国とやりとりする場面ではHF(短波)を使用するところだが、近年では衛星通信を用いる場面が増えている。すると、衛星通信用の外付けアンテナを連れて行かなければならない。
しかし艦載あるいは固定設置なら多少大きくてもいいが、陸戦で連れて歩くアンテナであれば、小型化あるいは折り畳み式といった工夫が必要になる。そのせいか、衛星通信用のアンテナというと一般に想起されるパラボラ・アンテナを使用するとは限らず、八木アンテナみたいなアンテナも登場する。
通信機にGPS(Global Positioning System)の受信機を組み込む製品も増えてきている。その一例が先に挙げたAN/PRC-163。GPSの測位情報を自動的に送信すれば、それを受けた側は、部下の所在を把握するのが容易になる。
著者プロフィール
井上孝司
鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野で、技術分野を中心とする著述活動を展開中のテクニカルライター。
マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。『戦うコンピュータ(V)3』(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて『軍事研究』『丸』『Jwings』『航空ファン』『世界の艦船』『新幹線EX』などにも寄稿している。このほど、本連載「軍事とIT」の単行本第4弾『軍用レーダー(わかりやすい防衛テクノロジー)』が刊行された。