一般に「電子戦」というと、レーダーや通信を対象とするものが想起されやすい。確かにこれらは電子戦の分野における主流だが、それ以外の電子戦もある。その典型例として、特に21世紀に入ってからクローズアップされているのが、各種GNSS(Global Navigation Satellite System)を対象とする妨害・欺瞞である。
なお、GNSS側の妨害対策については、すでに第300回と301回で取り上げているので、ここでは繰り返さないことにする。→連載「軍事とIT」のこれまでの回はこちらを参照。
「GNSS」とは
GNSSというと一般には、現在位置がわかる、つまり測位の手段と見なされている。実際、緯度・経度に加えて高度の情報も得られる。しかし、それだけではない。
連続的に測位を行うことで移動速度を計算できる。また、GNSSは動作原理上、衛星に高精度の原子時計を搭載しており、その電波の到達時間が測位のキモになっている。そのため、時間に関する情報も高い精度で得られる。
よって、GNSSは測位だけでなく航法や測時も加えた、PNT(Position, Navigation and Timing)の手段と位置付けられている。
具体的なシステムとしては、アメリカのGPS(Global Positioning System)に加えて、EUのガリレオ、ロシアのGLONASS(Global Orbiting Navigation Satellite System)、日本の準天頂衛星システム(QZSS : Quasi-Zenith Satellite System)、中国の北斗、といったものがある。
なぜGNSSを妨害するのか
第300回でも触れたように、GNSSは比較的安価かつコンパクトな受信機があれば高精度のPNT情報を得られるので、有用性が高い。よって軍民双方で幅広く使われているが、それはとりもなおさず、敵対勢力の側から見ると妨害する価値が高いターゲットになるということでもある。
そして、米軍がGPSを多用していることから、アメリカと対立する勢力の側ではGPSに対する妨害・欺瞞を働く電子戦装置を開発する動機ができる。その具体的な現れが、例えばロシア製のR-330Zhジーチェリ電子戦システムや、クラスーハ-2・クラスーハ-4といった電子戦システムである。
なぜかこの種のシステムは陸上配備のものばかりで、艦艇や航空機に載せる事例は聞かない。それもあって、「陸上の電波兵器」で電子戦の話に続いて取り上げることとなった。
2024年初頭に、バルト海に面したロシアの飛び地、カリーニングラードの周辺でGPSに対する妨害が行われている、との話が報じられた。この場所でGPSの妨害を企てるとすれば、犯人はロシア以外に思いつかない。
あいにくと電波に敵味方の区別はないので、なにがしかの出力を持ったGPS妨害装置を作動させれば、軍民に関係なく当該エリア内のGPS受信機がみんな影響を受けてしまう。ただし、軍用のGPSについては第300回・301回でも言及したように、耐妨害・対欺瞞の手段が取り入れられてきている。
妨害の手法とその効果
GNSSに対する妨害の手法としては、電波の受信そのものを力業で妨げる方法と、欺瞞、つまり実際とは異なる位置にいるかのように勘違いさせる手法がある。単にPNT情報の入手を妨げるだけなら力任せの妨害でも目的を達成できるが、欺瞞が可能になれば、さらに手の込んだことができる。
市販品の空撮用電動マルチコプターを、軍隊組織やその他の武装組織が偵察に使ったり、爆薬を積み込んで攻撃の手段にしたりする事例が相次いでいる。
民生目的の市販品であれば、安全対策や規制への対処として、飛行制御システムに「立ち入ってはいけない施設や場所」の情報をプログラムしておく可能性が考えられる。例えば、軍事施設、空港、原発などがそれ。そうした場所に接近したら自動的に針路を変えるとか、その場で着陸してしまうとかいったプログラムを組む運用は可能だ。
ということは、その空撮用電動マルチコプターが搭載するGNSS受信機に対して欺瞞を仕掛けて、実際にいる場所は異なるにもかかわらず「立ち入り禁止エリアの上空にいる」と勘違いさせれば、相手を無力化したり追い払ったりできると期待できる。
誘導兵器に対しては何ができるか
では、GNSSを利用する誘導爆弾やミサイルを欺瞞して、本来のターゲットとは異なる場所に突っ込ませるようなことは可能だろうか。
GNSS誘導兵器が備える命中精度の高さをもってすれば、街中にある多数の建物の中から特定の建物を狙って攻撃できる。そこで欺瞞を仕掛けて、破壊したら政治的大問題を引き起こすような場所(たとえば交戦当事国以外の国の大使館とか)に突っ込ませることができれば、問題の武器を使用した国は困った立場になる。
しかしこれは、実際には難しいかもしれない。誘導爆弾やミサイルがGNSSを使用する場合、ターゲットの座標(つまり緯度と経度)の情報を入力してから発射する。そして誘導システムはGNSSによって現在位置の緯度・経度・高度を把握して、指示された座標に向かうコースを計算した上で、そこに乗るように操縦を行う。
そこで欺瞞を仕掛けてだませたとしても、それは現在位置の情報をすり替えるだけで、発射前にプログラムした座標の情報を書き換えるわけではない。だから、実際の位置とはかけ離れた位置にいると勘違いさせて「そんな遠くまで飛べない」と判断させることはできるだろうが、欺瞞によって特定の地点に導くのは難しそうではある。
頭上から誘導兵器が降ってくるのを妨げるだけなら、それで目的は達成できる。しかし、意図的に特定の場所に向けて突っ込ませようとすると、GNSSに対する妨害・欺瞞だけでなく、別の手段が必要になるのではないか。
著者プロフィール
井上孝司
鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野で、技術分野を中心とする著述活動を展開中のテクニカルライター。
マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。『戦うコンピュータ(V)3』(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて『軍事研究』『丸』『Jwings』『航空ファン』『世界の艦船』『新幹線EX』などにも寄稿している。このほど、本連載「軍事とIT」の単行本第4弾『軍用レーダー(わかりやすい防衛テクノロジー)』が刊行された。