前回は、地理空間情報(GEOINT : Geospatial Intelligence または Geospatial Information)の総論というか、サワリのような話を書いた。今回はその続きで、「地理」といえば欠かすことができない、地図の話を取り上げてみたい。

地図を軍が扱う国は少なくない

「国土地理院」が測量や地図を扱っている日本にいるとピンとこないが、国によっては軍、なかんずく陸軍が地図の担当部門になっていることがある。地形や施設の状況が一目で分かる地図は、軍事作戦を実施する際に不可欠なものだからだ。

地形だけでなく、地質や植生も問題になる。実際には湿地や沼沢地なのに、それと知らずに戦車なんか送り込んだ日には、身動きがとれなくなってカメになる。そんなことにならないように、地形・地勢に加えて地質や植生も調べて、それらを位置情報とリンクして管理すれば、これもまた地理空間情報である。

陸上の地図に限らず、海で使用する海図も事情は同じ。海底の地形や水深が分かっていないと、艦船が座礁したり、潜水艦が海底にぶつかったりという事故になりかねない。上陸作戦をやる場面になると、海岸の地形・地質や水深だけでなく、潮汐のデータも問題になる。干潮のときと満潮のときでは状況が変わるからだ。

こういう事情があるのと、ことに発展途上の国では軍隊が最も組織化されて人手がそろった強力な部門であるという事情から、軍が測量や地図の作成を担当することが多くなる。そして閉鎖的な国、民主化や情報公開が進んでいない国ほど、軍が扱う地図データは表に出てきにくくなる。

こうしてみると、軍事施設の所在地までちゃんと書かれた地図が街中で普通に売られている日本という国は、どちらかというと希少な存在である。もっとも最近は、インターネット上でさまざまな地図情報が、それも衛星写真・航空写真付きで公開されるようになってきているが、それとて国によって情報の粗密はある。

「密林」

だいぶ昔の話になるが、NHKの番組で太平洋戦争中にガダルカナル島で発生した日米軍の戦闘を取り上げたことがある。そこで地図の話が出てきた。

日本軍も米軍も、ガダルカナル島なんていう初めて戦う場所については、当初はあまり充実した地図を持っていなかったという。米軍ですら、地形や水深がちゃんとわからない、いい加減な手書きの地図しか持っていなかったというから、日本軍についても推して知るべし。甚だしきは、内陸部になると「密林」と書いてあるだけの代物だったという。

地形や植生がわからないのでは、当然、どこが緊要地形なのかもわからない。それでは、どこにどういう風に布陣するのか、そこまで部隊や物資をどうやって送り込むのかといったことも決められない。強引に決めたところで机上の空論となる。

「地図は兵器である」と書いたのは、そういう意味だ。火を噴く兵器だけで戦争ができるわけではない。その兵器をどこにどうやって動かして、どこに布陣させるか、どこから攻め込むか、といったことを決めるには、ちゃんとした地図がいる。

記述のルールと測地系

その地図も、紙に手書きしたものから始まり、ガリ版印刷になり、等高線を初めとする各種の情報がきちんと規格化された形で描かれて印刷されたものに発達してきた。

しかし当節はデジタル時代。作戦計画の立案でもウェポン・システムの目標指示でも何でも、コンピュータがしゃしゃり出てきてデジタル化されている。すると当然ながら、地図の情報もコンピュータが扱えるようにデジタル化しなければならない。

すると、どういう形でデータを記述するか、という課題が生じる。単にデジタル化するだけでなく、軍種同士、同盟国同士でデータ形式を共通化しておかないと、相互運用性の妨げになる。

無論、地図上で使用する記号や標記の方法を統一するのは当たり前の話だ。極端な話、同じ施設なのに軍種や国によって記号が違ったり、等高線の間隔や描き方が違っていたりしたら、大混乱である。

また、GPS(Global Positioning System)や慣性航法システム(INS : Inertial Navigation System)は、測位情報を緯度・経度の数字で出してくる。飛行機のコックピットに設置するムービング・マップ・ディスプレイ(カーナビの地図画面みたいなもの)みたいなデバイスでは、地図のプロットに関するルールを決めておかないと具合が悪い。

その地図にしても、球面になっている地球の表面を平面に描き表すのだから、描き方によっては実情に反した妙なことが起きる。メルカトル図法を使うと、南北の極地に近づくほど実際よりも大きく描かれてしまうのは、その一例か。

そんなこんなの事情があるので、紙の地図にしろデジタル化された地図にしろ、何を基準にして、どういう風に位置を表すのか、という基本ルールをきちんと決めておく必要がある。

参考 : 日本の測地系(国土地理院)
http://www.gsi.go.jp/sokuchikijun/datum-main.html

  • 国土地理院のWebサイトでは地図を閲覧できる 出典:国土地理院

方位測定の計算を間違えて、あわや大惨事

第2次世界大戦中に面白い(?)出来事があった。1941年5月のことである。

大西洋を行動中の、ドイツ海軍の戦艦「ビスマルク」が、無線封止を破って本国に長文の電文を送った。当然、それはイギリスの傍受ステーションもキャッチしていて、複数の傍受ステーションがそれぞれ発信源の方位を割り出した。単純に考えれば、異なる2地点にある傍受ステーションからそれぞれ方位線を伸ばし、それが交差した場所が発信源の位置である。

ところが、「ビスマルク」追跡のために洋上に出ていた英艦隊に対して、割り出した位置の情報を送ればいいのに、なぜか方位探知のデータを送った。艦側ではそれに基づいて作図をやり直したのだが、手違いにより、実際の艦位とは大きく異なる位置を出してしまった。

それで間違った場所に向かってしまい、「ビスマルク」からどんどん離れる進路をとってしまったのだから洒落にならない。結果的には「ビスマルク」を捕捉できたものの、取り逃がす可能性があったことは否定できない。

その間違いの原因については諸説があるが、それがなんであれ、「地理空間情報の扱いに手抜かりがあると作戦がひとつ台無しになりかねない」という一例ではある。

著者プロフィール

井上孝司


鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野で、技術分野を中心とする著述活動を展開中のテクニカルライター。
マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。『戦うコンピュータ(V)3』(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて『軍事研究』『丸』『Jwings』『航空ファン』『世界の艦船』『新幹線EX』などにも寄稿している。