上海、南京、大連を8日間で周ってきた。今回のコラムは、筆者が中国で感じた点を中心に書くことにする。上海ではホテルに缶詰となっていた。仕事の都合もあったが、それ以上に実は街に出る気がしなかったからである。
上海は貧しい街である!?
昨年11月、上海に来て驚いた。
ビジネス街の地下鉄を出ると、どの駅でもマクドナルド、隣はケンタッキーフライドチキン……といった光景を目にすることになる。中華料理の店などどこにもない。コンビニはファミリーマートである。
日本ではどちらも世話になっているが、中国に来てまで行く気はしない。街の中心部には美味しい中華料理の店があるのは知っている。しかし仕事の合間、昼食のためにそんなところまでは行けない。
上海のビジネスマンはハンバーグを食べて働いているのか。美味しい中華料理を彼らが口にすることはできない。しかし東京は違う。駅を降りるとたしかにマクドナルドがあるが、その隣には必ずと言っていいほど蕎麦屋がある。兜町でもそうだ。地下街には和・洋・中、何でもそろっている。急激に発展するのは良いが、中国第一の都市としては寂しい限りである。
これはあくまでも上海だけの話である。大連などは「物流の街」であると同時に「食文化の街」だ。歴史はない。しかし、東北地方屈指の貿易港であり、かつ海鮮料理の本場である。街中で見渡せば必ず海鮮料理や東北料理の店を見かける。中心部はもちろん、ソフトウェアパークでも、コンビナートである開発区でも同じである。
上海の友人達からは怒られるが、「中国で最も"貧しい街"上海」と思ってしまう。ホテルの部屋からテレビ塔と外灘(ワイタン)の夜景を見下ろすだけで十分である。
ビジネス情報の街・上海で何が生まれるか
上海には世界中から企業が集まっている。ビジネス情報の塊が、さらにビジネス情報を生む。資金も集まる。街はさらに拡大する。古い中華料理の店など存続できる余地はない。万博まで開催した。
筆者は5月に上海を訪れた時に、万博会場の入り口まで行った。しかし、入場する気はなかった。愛知万博には行ったが、同じようなものであろう。北京オリンピックには行った。タクシーを乗り継いで女子マラソンの先頭集団を追いかけた。しかし、上海万博だけは見る気がしない。この街から何か新しいものが生まれる気がしない。
東京も同じである。日本のビジネスや情報の中心である。しかし東京で新しい技術が生まれるか。違う。いまは少し落ち込んではいるが、製造業では愛知である。新しい技術は京都の方が素晴らしい。数々の新しい企業が京都から生まれた。歴史のある街の方が新しい技術を貪欲に吸収している。東京も上海もマネーゲームが激し過ぎる。
内陸部の街に期待が持てる
筆者は、内陸部の街は西安と湖南省の省都である長沙しか行ったことがない。どちらも歴史の街である。世界国家・唐の首都である長安(西安)には昨年行った。市内の中心は鐘楼と鼓楼。城壁の南には三蔵法師のお寺、郊外の兵馬俑……。すべてを周ると1週間でも足りない。
しかし、現在の西安は内陸部開拓の中心都市であり、中国科学技術の中心都市でもある。宇宙開発、軍事研究、次世代移動体通信の中国独自通信手順TD-SCDMA(中国独自の第3世代携帯電話の通信規格)用製品開発など、西安の技術力を抜きにしては語れない。約50の大学、500の研究機関が西安に集中する。人口は840万人と聞くが、そのうち、大学生が80万人にのぼる。
長沙はどうか。三国志の小説を読むと、当時の中国の地図があった。当時は北京も上海もない。当時と変わらない街の名前は長沙だけである。長江の中流、中国最大の湖といわれた洞庭湖。湖畔には杜甫の詩で有名な岳陽楼がある。この洞庭湖の南に位置する長沙。街の中心には洞庭湖に注ぐ湘江が流れる。約2000年前に築城された古城跡、頂上には関羽と黄忠が戦った天心閣が現在も街を見下ろす。
湘江の西岸、岳麓山の麓には古代四大書院の1つで千年の歴史を持つ岳麓書院(湖南大学の前身)がある。ここから中国の数多くの偉人、学者が生み出された。
西安と比べると長沙の科学技術への取り組みは遅れた感がする。しかし、中国一の水稲生産高やレアメタルの産出などで豊かな省である。当然、進学率も高いだろう。また湖南大学の歴史、毛沢東・劉少奇・胡耀邦をはじめとした中国共産党の指導者を数多く生みだしたように、学力は高いと思われる。
長沙を訪問した時に驚いた。筆者は23名を採用面接したが、そのうち3名がインド研修に参加した経験を持っていた。これらを考えると長沙は、急速に西安に追いつく土壌がある。何よりも物価も人件費も安いし、技術に対する考えが真面目である。他省への異動を嫌う省民性(?)のために定着率が良い。西安も長沙も上海に比べて非常に楽しみである。
高速列車で南京へ
さて、今回の出張の話に戻る。
南京へは高速列車「和諧号」で向かった。発車9分後に時速330kmに達したのには驚いた。日本の新幹線に比べて揺れが非常に少ない。乗り心地は良い。ただ、発車予定時刻の1分前には発車した。なぜかはわからない。
南京も歴史のある街だ。それと、他の街と比べて非常に緑が多い。ホテルの部屋から眺めるとインドのバンガロールやマイソールを思い出す。もっとも、バンガロールより暑かった。その点を考えると、同じインドでもチェンナイのようだ。しかし1泊ではよくわからない。
今回は、前回書いた大連新港には時間がなくて行けなかった。港の閉鎖は2日間ですんだようだ。しかし漁業への影響がどれだけ大きくなるのかはまだ誰にも想像できない。
著者紹介
竹田孝治 (Koji Takeda)
エターナル・テクノロジーズ(ET)社社長。日本システムウエア(NSW)にてソフトウェア開発業務に従事。1996年にインドオフショア開発と日本で初となる自社社員に対するインド研修を立ち上げる。2004年、ET社設立。グローバル人材育成のためのインド研修をメイン事業とする。2006年、インドに子会社を設立。日本、インド、中国の技術者を結び付けることを目指す。独自コラム「[(続)インド・中国IT見聞録]」も掲載中。