ChatGPTやGPT-4など言語モデルAIが話題です。私もChatGPTで遊んでみましたが、仕事がとられるというより、遊んでいると「無限に時間が溶けてしまいそう」な恐怖を感じますな。ところで、AIといえば即座に思い出すSFが「未来の二つの顔」です。古い作品なんですが、ヒット作で、コンパクトにAIが変える社会の疑似体験ができます。作品の中身をとうとうと語るのはなんですが、これ今読むと、なかなかおもしろいんでないかいというというのでご紹介いたしますね。

「未来の二つの顔」は、アメリカの作家、ジェームズ・P・ホーガンの代表作です。1979年に発表され、テーマはAIがある社会の反乱。さらにAIの手足として空中を飛ぶ工作機械「ドローン」が登場します。あ、もうちょっとちゃんというと、AIの反乱といいますが、AIが反乱を起こすかどうかのテストをするというテーマですが、そのうち人間の対応がエスカレートして果たして、というのがあらすじです。

AIとドローンの組み合わせは、今では産業、というか商売レベル、いやオモチャレベルで「どこでも」世の中に入ってきていますね。AIについては、どこでAIというのかというのは議論があるところで、深層学習をAIというか? 大規模言語モデル(LLM)はAIなんかい? というのはかまびすかしいのですが、ノンポリ東明はAI(人工知能)は、知能を感じさせるものであれば、AIだという考えで書いてまいりますよ。それくらいでおもしろいですから。

AIそのものは、昔から「ピノキオ」とか「フランケンシュタイン」とかで物語の中で登場しておりますな。ピノキオはもともと物言う丸木、フランケンシュタイン(の怪物)はマッド・サイエンティストが死体から人造人間(怪物)を作り、その怪物が人間に危害を加えたことから、神ならぬ人間がさらに知性を作る恐怖を感じてやめるという話です。後にSF作家でロボット3原則(人間に危害を加えず、そのうえで人間に奉仕し、そのうえでロボット自身を守る)を提唱したアイザック・アシモフが「フランケンシュタイン・コンプレックス」という考えを提唱していますね。

また、AIの反乱といえば「2001年宇宙の旅」(1968年)の宇宙船搭載コンピュータ「HAL9000」も上げられますね。

一方、人類の味方のAIといえば「鉄腕アトム」です。ただ操られる鉄人28号とちがって、アトムは自分で考え、行動するのです。アトムの作中にはアシモフのロボット3原則が登場しており、手塚治虫は当たり前のようにロボットにAIを入れたのですな。

ロボットとAIはイコールではないのですが、日本人はアトムのおかげで、産業ロボットを見ても萌えないところがあるのではないかと思うわけです。

ところで創作物ではなく研究でAIというとやはりチューリングテストですな。これは英国の数学者アラン・チューリングが「機械(AIとされるもの)が人間のように行動する」かどうかを測定するというので1950年に発表したものです。最近になって人間と見分けがつかない(チューリングテスト合格)のコンピュータプログラムが作れたという話があったような気がするのですが……うーむ、諸説ありか……ですね。

さらに英国出身の米国のコンピュータ科学者スチュワート・ラッセルらが教科書でAIのあり方を語っています「人間のように思考」「人間のように行動」「合理的に思考」「合理的に行動」。あたり人間っぽいだけでなく合理的というのがポイントですね。

日本の新井紀子は、AIと人間を入試というフィールドで競わせ、大半の人間(受験生)が実はあまり知性的に問題を解いていないということを示して、AIってどこまででAIなのかい? という問題提起をしていますな。

あ、これ、全部私がAIについて学ぶためのメモです。はい。

さて、AI登場小説「未来の二つの顔」です。AIの反乱は、前に書いたようにフランケンシュタインもあるし、2001年宇宙の旅だってそうなのであり、あまり目新しいわけではありません。鉄腕アトムにも「地上最大のロボット」という1964~1965年発表の神回があり(浦沢直樹が「PLUTO」のタイトルでリメイクしたものも神作)、人の思考ができるロボットのある意味悲劇が描かれています。が、そのなんというか、世の中を巻き込む感じではないのですね。

ところが「未来の二つの顔」は、「未来」という巨大な主語が示すように、社会全体に対するAIのインパクトを示すのがポイントになります。発端は、AIに任せた月の資源採掘現場で、AIの合理的思考に基づくとんでもない「勘違い」による事故が起こることです。これは、あくまで事故なのですが、AIに大きな仕事を任せる危険性を象徴的に示します。

そこで考えられるのは、さらに高度な「勘違い」を起こさない「人間に危害を加えない」AIができるのか? それともそうならないのか、未来の二つの選択肢を判断するために、実験を行うということになるのです。実験の舞台まで話をすると、ちょっとネタバレが過ぎるのでこの辺にしておきますが、私たちが様々なことをコンピュータプログラムに任せ、さらに人間の想定ができないAIの振る舞いが、人類の未来に明るさをもたらすのか? どうなのか? どうしたらAIと一緒に幸せになるのか、というモデルを端的に問いかけるものとなっています。

作者のジェームズ・P・ホーガンは、PC登場前夜に、ミニコンピュータで一世を風靡したDEC社でコンピュータのセールスエンジニアをしていた人で、これまた話題作となったファーストコンタクトSF「星を継ぐもの」で一躍ヒットメーカーに踊りでた人です(余談ですが、これの続編を読もうとつぶやいたら、先輩SFファン複数から「第一作でやめとけ」と強く止められました。読んだけど)。

PCは1974年に登場し、ポピュラーになったのは1977年の「Apple II」や日本では1979年の「PC-8001」です。1979年発表のこの作品は、まだコンピュータが何者か、多くの人が想像でしかわからなかったような時代でした。これにたいしてコンピュータに関わっていたホーガンは、人工知能研究者マーヴィン・ミンスキーなどの仕事を参照しながら、現在でも腐らない、AI、ネットワーク、ドローンなどのガジェットを縦横に駆使した作品を作り上げたのですな。もちろん、細かいところでは突っ込みどころがあるわけですが、そんなことは気にならないエンタメ作品になっています。

なお、この作品は文庫で現在でも入手できます。電子書籍にもなっています。一方で、講談社から星野之宣さんによるコミック判もあり、これもほぼ原作に忠実でおもしろいものになっていますが、えーとコミック判は入手がうむ中古でしかできませんな。電子書籍にもなっていないですな。

ということで、よろしければ読んで見て下さいませ。