先日、北米で発見された気球がニュースになりました。中国の気球で、太平洋を渡って到達したものとされています。スパイだなんだと話題ですが、ここではそれはおいて「遊園地で手を離した風船も、太平洋を渡ることがあるのかね」というフワフワしたお話をいたします。気球だけに。

太平洋。パシフィック・オーシャン。世界最大の海洋でございますな。面積は1.7億平方kmで2位大西洋と3位インド洋をあわせた広さです。ちなみに面積最大の国家ロシア連邦が1700万平方kmですから10倍ですな。なんだロシアちっちゃいじゃんと、面積38万平方kmで太平洋の400分の1の国に住みながら思っちゃいますよ。

さて、その太平洋を渡って、中国の気球がアメリカの領空に侵入して「アメリカ激おこ」なのでございます。で、どんくらいとんだのか? 放球地がわからんのですが、仮に北京だとしますと、太平洋岸のアメリカ・ロサンゼルスまでは、カシオ計算機の提供する楽しい計算サイトを使って調べると1万kmでございます。これ大圏航路だとして、仮に(あくまで仮に)時速20kmで、500時間。20日間あまり、3週間はかかる計算ですな。時速60kmでも1週間です。いやー、どんだけ~。

とここまで書いてニュースをチェックしたら、え? 東海岸で撃墜されたの? えーと、CNNの報道では、発見はアラスカのあたりで、カナダを横断して、モンタナでアメリカの領空に入り、4日後にサウスカロライナ沖の「領海上空で」撃墜とありますな。領海は海岸線から12カイリ~20kmあまりですから、陸からすぐそこですな。カシオの「グーグルマップをなぞって距離を計算」を使いますと……しかしモンタナは東西に長いな……モンタナの州都ビリングスから、サウスカロライナの海岸まで、直線でざっと3000kmでございます。3000kmを4日。1日で700km、時速30kmですな。実際はまっすぐってことはないからもっとですな。うーん、結構速い。

ところで気球の飛行は、ほぼ風任せです。風の動きは低空と上空では異なるので、気球競技では上下運動をコントロールして目的の場所に向かいます。ただ、中国の気球というのは間違いないようなので、コントロールするとしたら、人工衛星を介しての通信? なんでしょうかね。GPSを利用しつつリアルタイムの気象を解析しながらの自律制御も考えられますな。知らんけど。

いずれにせよこの速度で流されたのですから これは西からの風が時速30km以上だったということになりますな。んで、計算しやすい近い数字として時速36kmなら、秒速で10mです。はっきり言って強風です。そんな強風あるんかいなという話になりますが、これがあるんですね。ジェット気流です。

  • ラジオゾンデ

    一般的に気象観測で用いられるラジオゾンデと呼ばれる気球

ジェット気流またはジェット・ストリームは、FMラジオの長寿番組のタイトルでもおなじみですな。ジェット気流は季節により強さや位置が変化しますが、おおむね南北半球の亜熱帯上空で、高さ10~15km(通常の飛行機の上昇限度くらい)で最強になり、地球を一周する西風です。風速は最速部で30~50m毎秒。時速150~200km! このジェット気流は、北半球の太平洋では冬に強くなります。それを利用して、冬は日本→ハワイの飛行機が速いってな話を以前にいたしましたね。

参考:どこでもサイエンス 第67回 冬はハワイが近い!? - ジェットストリーム

ちなみに地表近くで、もうちょい赤道に近いところでは反対の東風になっており、かつて帆船時代に貿易風としてヨーロッパからアメリカや、インドやオーストラリアからヨーロッパへ船を走らせるのに活用されました。大型帆船によるコショウ、お茶、羊毛などの貿易に大活躍しています。ウィスキーのブランドで有名なカティサークもそんな時代の快速帆船でした。ちなみに蒸気船だった黒船より建造は後で1869年です。地球規模の風が世界史を動かしたのでございますな。あ、これはジェット気流ではなく、貿易風のお話ですよ。戻りますね。

さて、このジェット気流ですが、発見したのは、日本の中央気象台の研究者、大石和三郎です。1925年ごろですから、大正から昭和になろうという時期ですな。

彼は、気球で高層気象の観測をしていました。1924年12月に揚げた気球を追跡したところ「観測終了高度の9kmにおいて、72m/秒の高層風を観測した」とあり、当時は上空では風はほとんど吹いていないというのを覆すデータを得ています。その前後の1923年~1925年の1300もの観測データによって、現在ジェット気流と呼ぶ高速の風の流れがあることを突き止めています。この結果は1926年にエスペラント語(人工の世界共通語、一部愛好家がいまでも使う)で世界に発表されます。彼はエスペラント語の信奉者でエスペラント協会の会長を務めたほどでしたから、当然だったのでしょう。しかしながらせっかく世界に通用するようにエスペラントで発表したのですが、発表は埋もれてしまいました。米国のスミソニアンマガジンの記事では「驚くべきことではない」とされていますな。世界的に知られるようになるのは、高高度で飛行でき、第二次世界大戦で日本を火の海にしたアメリカの戦略爆撃機B-29が、日本に向かう(東→西)途中でやたら強い向かい風(西風)に遭遇することによります。これにより燃料が足りなくなったり、爆撃目標が逸れた機体もあったというのです。1944~1945年のころですから大石さんの発見から20年もたってからでした。

しかしながら、日本はジェット気流の存在を知っていましたから、これを利用することになります。ジェット気流に乗せて、太平洋を横断し、アメリカ本土まで気球を飛ばし、気球搭載の爆弾を落とす、いわゆる「風船爆弾」です。風船爆弾は、「こんにゃくのり」で貼られた「和紙」布の気球に水素を詰め、高度を一定にする機械仕掛けの自動落下バラストを取り付けたものです。直径10mというもので、25kgの爆弾が装着されました。9300機が放球され、1000機がアメリカに到達しています。オレゴン州では落下したものに触れた6人が犠牲になっています。また2014年にも不発弾が発見され処理されました。有名な話では原爆を作っていたロスアラモス研究所の送電線にひっかかったというのがあります。つまりは、太平洋横断気球は、日本が実績をつくっていたんですな。それも80年も前の第二次世界大戦中に。しかも、安定して気流がアメリカに向かうのは11月~3月の冬季に限るというのもわかっていました。そのために冬季にのみ風船爆弾は運用されたのです。

ところで、ジェット気流は、非常におおざっぱには、赤道付近の熱が北にあがる循環の風で、地球の回転速度が赤道と中緯度では差があるために起きるものです。赤道の方が東西に速く自転していますからねー。今回の気球ですが、ジェット気流が最も強い北緯30度付近ではなく、ずっと高緯度のアラスカのあたりで発見されています。北緯60度を超えるとジェット気流はほとんどなくなります。

  • ジェット気流のイメージ

    ジェット気流のイメージ

また、撃墜された高度も18kmとされ、これまたジェット気流の上限である15kmより上です。これ、通常の飛行機では到達できない高さなためとっても高性能(だけど運用コストがバカ高い)すぎて国外輸出してないF22ステルス戦闘機が撃墜に使われたらしいです。

実は、冬季のみ北半球の北極周辺で「極夜ジェット気流(Polar Jet Stream)」というのが、高度25kmという超高高度(飛行機では上がることができない)で発生します。これは、北極圏付近では極夜=一日太陽の光が当たらないため、その周辺の太陽の光があたる地域との温度差が激しくなり強い風が吹くことによります。イメージとしてはアメリカの海洋気象局NOAAのガイドがわかりやすいです。

この極夜ジェット気流と、通常のジェット気流は、立体的には斜めにつながっています。北極の近所では高い→低緯度では低いところに気流が強い場所があるのですな。

これうまく使えば、高緯度に向けて上昇した気流を、高度を下げることでだんだん南に誘導できそうな気がします。気がするだけで、実際は東明ごときでは、よくわかんないですけどね。

科学系キュレーターは気球のニュースを見ながら、そんなことを考えておりました。