この連載「どこでもサイエンス」の第121回では、エジソンと自動車のお話をいたしました。で、今度は、ベンツと自動車のお話です…あ、意外じゃない? いやでも、ベンツはガソリン自動車の発明をしたんですよ。そして、それより重要なのは、ベンツが「趣味はドライブです」という言葉を作ったようなものなんですよ。え? ベンツのどこが庶民的かって? いや、まあ聞いてくださいませ。私はこの話、とても気に入ったのでございます。

えー、世の中、発明者が必ずしも報われるとは限りません。たとえば、飛行機。発明したのはライト兄弟ですが、現在世界の空を席巻しているのは、ボーイング社とエアバス社です。ほかにもセスナとかボンバルディアとかエンブラエルとかございますが、ライト兄弟の作った会社は、ステルス戦闘機で有名なロッキード・マーティン社に吸収合併されていますが、同社の社史は、あくまでロッキードとマーティンの話がオリジンとなっておりますな

自動車も似ています。内燃機関の自動車はフランスのキュニョーが1796年に発明したのですが、これは現在の自動車メーカーであるGMやフォード、トヨタ、ルノー、フォルクスワーゲン、ヒュンダイとはつながっていません。

ただ、現在主流である、ガソリン自動車と限定するとちょっと違うんですねー。特許をベンツが1886年にとっており、現在でもベンツは、ダイムラー社のブランド名「メルセデス・ベンツ」として顕在です。というか、ベンツといえば、高級車の代名詞でございます。もちろん、オリジンがダイムラーの社史にのっております。

さて、このベンツですが、創業者のカール・ベンツは極度の完璧主義者な技術者で、エンジンオタクだったそうです。彼はともかく、デキのいいガソリンエンジンを作り、それによって自動車を作る。ということをひたすら追求していました。それが1886年の特許に結実するのですな。彼は、ガソリンエンジン車の特許を持ったことに誇りを持っていたのか、製品名をPatent-Motorwagen("Patent Motor Car":パテント・モトールヴァーゲン:特許のモーター車)としています。まあ、世界初の現代的な意味でいう自動車は「ベンツ」だったんですねー。開発者カール・ベンツはもちろん自動車殿堂入りをしています。

ちなみに、この初代ベンツの「パテント・モトールヴァーゲン」は、三輪車、後輪駆動だったそうですよ。緒元は、日本のトヨタ博物館(愛知県)がレプリカを持っているおかげで、同施設のWebサイトで読めます。 ありがたいですな博物館。全長2.55m、全幅1.45m。リッターカーだったようでございます。左右のタイヤのトルクを、ハンドル操作に対応して振り分ける「デフ」もつけている、スポーク車輪にブレーキ、世界初なのに、非常に実用的なクルマだったようですな。で、時速15kmで走れたそうです。1888年のミュンヘンでの技術博覧会では金メダルをとるなど、高い評価を得ました。

さてさて、この初代ベンツについては、もう一人自動車殿堂入りをした人がいます。ベルタ・ベンツさん、カール・ベンツの奥さんですな。ただ、ベルタさんは「奥」なんて人じゃありません。15年ばかりエンジンの開発をしていた「エンジンオタク」のカールの金策は、ベルタさんがやっていたのでございます。また、ベルタさんはカールがエンジンやクルマの開発をするそばにいたようでございます。そして、自動車の技術について、とてもよく理解していたんですね。

さて、カールの「パテント・モトールヴァーゲン」が、大変高い評価を得たのちも、改良をチマチマとし続けていたようです。ただ、その様子をみていたベルタさんは、むかついてきたんですね。せっかく出来上がった車なんだから、どんどん使ってみて、フィールドテストをするべきだし、みんなにみせて知ってもらわなきゃあ、商売にもならないじゃないの! ってなもんです。自動車は人が使ってナンボということを彼女はわかっていたんですね。カールは「でも、もうちょっとエンジン出力あげられるし」「タイヤの形状がこれがベストかというと」とかやっている。

で、ベルタさんはどうしたかというと。1888年、なんとパテント・モトールヴァーゲン(3号車)を勝手に! 持ち出してしまうのです。カールに書き置きをおいて、朝早く、息子2人をつれて、彼女らが住んでいたマンハイムから、実家のプフォルツハイムまで「お母さんに会いに」ドライブに出かけてしまったのです。道のりで100kmほど南に離れた場所でございます。フィールドテストをするためでございます。これ、かなり無謀な話でして、ようやく25m泳げた子供が、10kmの遠泳をするようなもんなんですね。しかもそんなことをした人は、誰もいない、前人未到なのです。

道だって、自動車用に整備されていないわけです。また「ガソリンスタンド」なんてあるわけがありません。そこで、ベルタさんは薬局によってガソリンを調達するのでございます。洗濯用として売っていたんですね。あの、くれぐれも、ガソリン車を乗っている人なんて世界に誰もいないし、開発者のカールは一緒じゃないんですよ。彼女と子供だけ、頼る人なんて誰もいない。「エンストしちゃったー」とかいっても、JAFが来たりとか、クルママニアのにーちゃんが助けてくれたりなんて、しないわけです。他にいないんだもの。しかし、すごい根性ですな。

また、故障もおこります。そりゃそうだ、100kmも走るなんて想定していないんですから。で、彼女はどうしたかというと、燃料タンクからエンジンへのパイプがつまれば、帽子用のピンで掃除をしました。また、点火用のワイヤがショートしたら、着ていたガーターを使って絶縁してしまいます。さらに、木製のブレーキパッドが摩耗したら、町の皮屋さんにお願いして、皮を付けたブレーキパッドにアップデートしてもらいます。これはベルタの発明ですね。また、坂道をあがれなければ、子供たちに(その辺の若者とも)押してもらいました。ちなみに2馬力だったそうです。そこから、のちにカールにローギアを付けることを提案します。エンジンを冷やすための水の補給の必要性も指摘しています。

そう、このベルタさんのドライブは、カールのクルマの実用面での欠点を洗い出し、その対策についての処方箋を提示するものだったのですね。彼女は、実家につくとカールに電報をうち、数日後にマンハイムに戻ったのだそうです。

ところで、このドライブは、史上初のガソリン車の実用的な距離のドライブ(なにしろ往復で200km!)だったのですが、もう1つ画期的な効果がありました。

なにしろ、誰もみたことがない「馬が引いてない」クルマを、女性と子供がのって動いているのです。それが100kmも移動できてしまったのです。つまり、一般大衆向けのガソリン車、ベンツのデモンストレーションになったのですね。これがきっかけで、ガソリン車を持ちたい、ベンツを買いたいという人が現れます。また、彼女の冒険物語とともに、クルマはミュンヘンに展示され、これまた大変な評判を呼ぶことになります。そう、ここにベンツの成功が約束されたのですね。

ベルタさんのドライブは、自動車を実用化するために、なくてはならないことだったのですね。ちなみにベルタさんは95歳まで長生きして、カールスルーエ大学の名誉評議員になり、その2日後に亡くなったそうです。

なお、2008年、ベルタさんのドライブルートは、ベルタ・ベンツ・メモリアル・ロードとして制定され、2年に1度クラシックカーによる記念レースが行われているとのことです。日本語のガイドはこちら

エンジンオタクのカール・ベンツと、自動車の価値を長距離ドライブという実験で示したベルタ・ベンツ。ベンツを作ったのはそんな夫婦です。「高級車」というイメージが強いベンツですが、小型車のスマートからはじまる、ドイツでは大衆が愛する自動車ブランドです。そのスタートとなった「みんなの自動車」を実現したベルタさんのドライブ。なんとも楽しいエピソードでございます。

著者プロフィール

東明六郎(しののめろくろう)
科学系キュレーター。
あっちの話題と、こっちの情報をくっつけて、おもしろくする業界の人。天文、宇宙系を主なフィールドとする。天文ニュースがあると、突然忙しくなり、生き生きする。年齢不詳で、アイドルのコンサートにも行くミーハーだが、まさかのあんな科学者とも知り合い。安く買える新書を愛し、一度本や資料を読むと、どこに何が書いてあったか覚えるのが特技。だが、細かい内容はその場で忘れる。