今回のシナリオ

新規事業開発部の企画部第二課にはプロジェクトチームが3つある。その1つのチームリーダーである山崎のもとに、1週間前、新入研修がひと通り終わった社員「田中」が配属された。山崎は自分の上司から、田中の上司であると同時に"メンター"として田中の育成を頼むと言われている。

1週間たって、山崎は「これは…このままではダメだ」と強く感じ始めていた。田中の仕事振り、同僚との付き合い方、電話の応対……すべてにおいて、田中は「デキない」のである。田中は何をやらせても仕事を完了したことがない。途中でわからなくなったら、山崎や周りの同僚に聞くこともない。ただ自分のデスクに座り、いぶかしがった山崎が来るのをだまって待っているのである。このプロジェクトチームに配属されたからには、それなりの能力を持ち合わせているのだろうと思い込んでいた山崎にとって、田中は異質な人間であった。まだ慣れていないのだから、自分から率先して仕事に取り組むとことはできなくても仕方ない。だが、言われたことをとりあえずこなす、最低限のコミュニケーションを図る、といった社会人としての基本的なことさえままならないのだ。

ただでさえ、時間がなく忙しい山崎にとって、手取り足取りして指導していかなければならない田中は正直言ってお荷物であった。今まで、自分自身も育成してもらった経験もなく、今のポジションについたので、メンターとして育成しろと言われても、具体的に何から手をつけたらいいのかわからない。自分の時間はとられ、自分の仕事が進まないことへのイライラと、上司としてメンターとして部下の育成に慣れていないフラストが重なり、とんでもない部下を配属した人事を恨みはじめていた……。

コーチングとは予測不可能なプロセス

このシナリオに登場してくる山崎のように、特に先輩から育成された経験のないままマネージャーになった例は珍しいことではない。会社側は中長期的な視野での人の育成を重要視するという経営戦略に則って「人を長い目で育てよう」とは言うが、育ててもらった経験のない者にとって、仕事のやり方をただ教えるのではなく、「メンター」として育成するというのは大きなチャレンジである。ましてや、「あまりにできない社員」の育成となると、何から手をつけていいのかわからなくなり、人事を恨み始めるというのも理解できる。

どのように人を育てるか… これには数学的な答えがあるわけではなく、方程式のように決まったプロセスはない。さまざまなアプローチのしかたがあり、そのうちのどれが正しい、間違いということではなく、自分に合った、その時の状況に合ったアプローチを試みてみて、その時その時の状況を判断し、自分自身も学び、その学びを生かして、やり方を調整するという予測の難しいプロセスである。

以下、シナリオをもとに、山崎の取るべきプロセスをご紹介するが、必ずしもこれが解答ではなく、ひとつのアプローチにすぎないことを念頭において、参考にしていただきたい。

ステップ1 - 被害者意識からの脱却

まず、大事なのは自分自身の心のバランスを取り戻すことである。

山崎の場合、「あまりにもデキない社員」を配属されたという被害者意識が、人事を恨む気持ちにつながり、「ただでさえ忙しい自分の大事な時間を、デキない部下に取られている」という被害者意識は、自分の部下への不満とつながっている。人間はとかく、物事がうまく行っていないときは犠牲者意識が強くなり、人のせい、組織のせいにしたがる傾向にある。このようなマイナス的な感情がいつまでも残っているということは、マイナス的な思考にはまり、プラス思考の段階に移っていないことを意味する。

ここで山崎はいつまでも「被害者意識」に酔うことなく、「上司としてすべきことは何か」「今、自分ができることは何か」を自分自身に問い、その答えを探すことに自分のエネルギーをシフトすることが大事である。

このシフトが速くできるかどうかは、変化が激しく、スピードが勝負である今のビジネス環境において、リーダーとして大事な能力である。「過去に起こってしまったことをいつまでもくよくよせず、明るい未来に向かって」などは、昔から人をなぐさめるときによく使われるなじみのある言葉であるが、「感情に左右」されているときは、まさに「言うは易く、行うは難し」である。しかし、これは練習しだいで身につく能力である。具体的には次のようなやり方が考えられる。

  • 自分自身を高所におき、第三者的に自分が今おかれている状況を見つめる努力をする
  • 過去に目が向いているか、将来に目が向いているかを確認する
  • 過去に目が向いている自分に気が付いた場合、意識して「今自分が上司としてすべきことは何か、今できることは何か」という質問をし、その答え探しをするように自分を仕向ける
  • 答え探しをしているプロセスに自分が移れたら、「部下を育成することは、将来の自分に、また会社にとってどのようにプラスになるのか」「将来自分は上司としてどうありたいのか」「将来、部下にどうあってほしいのか」という質問の答え探しをする

このようなことを何度も繰り返していると、いつのまにか、そんなに自分が意識をしなくても、「被害者」から「価値の創造者」に自分をシフトできるようになる。ここで大事なのは、「答えそのもの」を見つけ出すことではなく、自分のエネルギーを未来に向けることにある。

次回のステップ2では、山崎が田中とメンターとして対応していく上で必要なそれぞれのスキル、役に立つ資料「育成プラン」などを紹介しよう。

出来ない部下へのイライラ→上司、人事への恨み…気持ちはわかるが、メンターならば、なるべく被害者意識にとらわれないようにしたい。自分を客観視するのは訓練次第で必ずできるようになる。自分が変わらなければ部下も変わらないと心得よう(とはいってもこの状況じゃあねえ…)

(イラスト ナバタメ・カズタカ)