STEM教育 挿絵

義務教育を終えて20年になる。

20年前の小中学校教育、と聞くと、石を遠くに投げたり吹き矢を作っていたりするイメージがあるだろう。だが意外なことに、当時から小学校には「パソコン室」的な部屋があり、「パソコンの授業」もあった。

しかし、その「パソコンの授業」は、高学年のみが技術の授業の一環として「年1」ペースぐらいで行われるものであり、それも「ペイントソフトで絵を書く」というものだったと思う。「パソコンを使う意義」を考えさせられる、哲学の授業と言っても過言ではない内容だった。

ともあれ、20年以上前でも、火打ち石ではなくパソコンに触れる機会があったのだ。よって、今では学校でパソコンを使うことも全然珍しくないだろうし、パソコンの使用以外のところでも、授業の内容は当時とはかなり変わってきていると思われる。

今回はそんな「新しい教育」の話である。

学校教育が「使える」方向へ

STEM教育(ステムきょういく)とは、"Science, Technology, Engineering and Mathematics" すなわち科学・技術・工学・数学の教育分野を総称する語である。 (引用:「STEM教育」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』2018年6月4日 (月) 17:00) (編集注: これに芸術(Art)の要素を加えたSTEAM (Science, Technology, Engineering and Art) 教育などの派生もある。)

「これが将来、実生活で何の役に立つのか」

従来の学校教育や授業に対しては、心底勉強したくない奴や、何か核心を突いた風なことを言いたい奴から、似たようなツッコミが2兆回ぐらいされてきた。

確かに、実生活でフレミングの左手の法則を使ったことは未だにないし、学校の勉強はまったくダメだったが別の分野で大活躍している人も多数いる。そのため「学校教育は無意味だったと思う人」が存在するのも確かだが、「自分が出来ないことは無意味ということにしたい」という考えの奴は何をやってもダメだし、他に何かやりたいビジョンがなければ、とりあえずテストで良い点をとっていた方が、将来的にいいことがあるだろう。

しかし、どうせ勉強するなら、できるだけ無意味じゃないほうが良い。つまり、学校教育も「使える」ことを教える方向にシフトしているのだ。それがSTEM教育である。

この「STEM教育」、元はアメリカで「ハイテク職種適格者が不足している」という懸念から始まったものである。確かに、何でもITの時代にITがわかる者が少ない、というのは致命的だ。義務教育や初等教育の段階から教えてしまおう、となるのもわかる。

日本でも「2020年から小学校でプログラミングの授業が必修になる」など、STEM教育が推進されている。「ペイントソフトで自分の顔を描いてみよう」という授業から20年余、教育も遠くへきたものである。

プログラミング授業と言っても、ひたすらパソコンにむかってプログラムを打つという内容ではない。プログラミングの技術を勉強するというよりは、「プログラミング的思考の習得」が目的のようだ。「プログラミング的思考」が何なのかは、文科省が指針を出している。

「プログラミング的思考」 「自分が意図する一連の活動を実現するために、どのような動きの組合せが必要であり、一つ一つの動きに対応した記号を、どのように組み合わせたらいいのか、記号の組合せをどのように改善していけば、より意図した活動に近づくのか、といったことを論理的に考えていく力」 (文部科学省「小学校プログラミング教育の手引(第一版)」より抜粋)

20年前こんな授業があったら、小学校を5留はしていそうだが、簡単に言えば、目的にたどり着くための道筋をどう組み合わせていくか考える力をつける、ということだ。

実践で使えるようなプログラミングを教えるというわけではないようだが、このプログラミング的思考とプログラミングの基本を教わっていれば、「大学中退後、三年フリーターをした後『プログラマーになる』」という思いつきも、実現しやすいのではないだろうか。

現に、四半世紀前の小学生である私は、プログラミングと聞いただけで「何かあの難しそうな奴だろう」という正体不明の拒否反応が出るため、今からプログラミングを学ぶのは相当厳しい。やはり子どもの時から、そういったものに触れさせ、慣れさせておくことが大切ということだろう。

しかし、このプログラミングの授業も他の教科と同じく、できない生徒はまったくできないだろう。むしろ体育などを筆頭に、学校の授業でその分野が嫌いになった、という者も多いので、義務教育からハイテク技術のことを教えておけば、みんなハイテク産業で働けるようになるとは言えないと思う。

ところで、昔の小学生、現中年の私は、先日会社を退社し無職となり、己の「手に職のなさ」に戦慄している。どうせ9年も義務で学校に通わせるなら、どこで使うか検討もつかない知識より、多少使う場面が想像できる「STEM教育」の方が必要という機運になるのは、身に染みて実感している。

だが、私は使ってこなかった「フレミングの左手の法則」も、電気工事士の資格を取る時に使ったりするらしい、と担当が言っていた。私が電気工事士になる可能性は限りなく低いが、あれを必要とする仕事があるというのは発見だった。

「使える」ことは重要だが、「何が使えるか」は人それぞれだ。

<作者プロフィール>

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カレー沢薫
漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「やわらかい。課長起田総司」(2015年)、「ねこもくわない」(2016年)。コラム集「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年~)、コラム集、「ブス図鑑」(2016年)、「やらない理由」(2017年)、「カレー沢薫の廃人日記 ~オタク沼地獄 - 」(2018)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。本連載を文庫化した「もっと負ける技術 カレー沢薫の日常と退廃」は、講談社文庫より絶賛発売中。

「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は2018年6月12日(火)掲載予定です。