インテルの"インテルインサイド"キャンペーンの起源については諸説あるが、最近私が読んだ"インテル"と言う本(書評を書いたのでご興味がある方はこちらをご参照)によると、このキャンペーンを主導したのは当時のマーケティングVPのデニス・カーターで、その草案を社内で検討した際にほとんどの幹部が反対したが最終的には当時CEOのアンディー・グローブが鶴の一声で決済したのだという。

カーターはインテルインサイドの構想にたどり着く前に"286レッドX キャンペーン"、というのを成功させていた(このキャンペーンについては私の連載の386の章で詳しく述べている)。要するに、AMDが286の改良阪でインテルの市場シェアを取り始めた時に、市場をインテルの新製品386に出来るだけ早く移行させようと286に赤いバッテンをつけて386に強引に移行させるという大胆なキャンペーンである。

インテルはAMDが80286の改良版(左)で猛追すると市場を強引に80386に移行しようとした(写真提供:長本尚志氏)

パソコンの頭脳であるCPUの集積度が増して、メモリ以外のほとんどの半導体要素がCPUに取り込まれていく過程でインテルはもはやCPUの会社ではなく、PC(パソコン)そのものを売る会社に意識が変わっていった。CPUはPCに搭載されて初めてエンドユーザーに使われる。市場がどんどん成長するPCにとって一番重要な部品のCPUの市場を独占するのであれば、PCを造るメーカーはどこでもいいわけだ。要するにインテルの直接の顧客であるPCメーカーはインテルにとってはディストリビューター(流通)であるという考え方である。大変大胆で不遜な考え方であるが同時に的を射ている。

独占した市場で更に成長したければ、重要なのは“市場そのものを大きくする"、また“自分の売りたいマージンの高い製品を市場に受け入れさせる"ことであろう。これはマーケティング的に考えれば至極当然な結論である。もちろん、インテル=PCというイメージを定着させることによってAMDなどの競合を寄せ付けないというのが主目的であったことは言うまでもない。インテルは1990年代にこのキャンペーンに5億ドル以上(500億円以上)使ったという。インテルのテレビコマーシャルはPCのエンドユーザーに、普段は目にすることのないCPUという半導体製品がPCの頭脳としてPCのマザーボードの真ん中に鎮座していることを認知させることから始まった(CPUを見るためには、ねじを外してPCの箱を開ける必要がある)。

今でもはっきり覚えているが、このテレビコマーシャルを初めて見た時には何を訴求したいのか全く分からなかった。いきなり観客の視点がパソコンのフロッピーディスク(こんな言葉も今は死語である)の入り口からPCの中に入りCPUの上まで来て、"パソコンの頭脳インテルのCPU"と言って終わる30秒のクリップを見た時に"なんじゃこりゃ?"、としか反応できなかったのを覚えている。当時の私にとってはあまりにも斬新な考え方だったので、インテルの意図が全く分からなかった。インテルはこのキャンペーンで自らがパソコン市場のサプライチェーンの頂点に立つ独占企業としてのポジションをはっきり市場に示したのである。この含意について私がその全貌を知るのにはしばらく時間がかかったが、その後インテルの市場独占戦略は独禁法に絡むAMD対インテルの法廷闘争に発展し、その収束まで見届けた今の私にはよく理解できる。

驚くべき効果

最初に私が当惑したのは、インテルインサイド・キャンペーンの費用対効果である。

当時パソコンの宣伝は大変に多かったが、その中で私が強烈に覚えているのはアップルのMACの“Think Different"キャンペーンだ。そのキャンペーンが盛んだった頃、ちょうど私は出張でサンフランシスコにいて町のいたるところでこの素晴らしいキャンペーンのポスターを見てため息が出るほど感銘したのを覚えている。アップルマーケティングのブレインであるシリコンバレー・マーケティングのレジェンド、レジス・マッケンナの発案によるその後の歴史に残る傑作キャンペーンである。このキャンペーンの広告の要素はたったの3つである。

  1. Think Different というメッセージ
  2. アップルのロゴマーク
  3. 独自な考え、斬新なアイディアでもって新しい世界を切り開いた歴史上の人々の写真:スティーブ・ジョブズ、ジョン・レノン、アルベルト・アインシュタイン、マハトマ・ガンジー、キング牧師、パブロ・ピカソ、などなど…

これが白黒の写真の中にシンプルに配置されていてともかくかっこいい。MACパソコン本体製品の写真は全く登場しない。"アップルのMACを使う人たちは、こういう独特の価値観を持ったひとたちなのです、あなたは?"、という消費者の自意識をくすぐる強烈なブランドメッセージでだれもがいきなりパンチを食らったような感じがしたに違いない。この広告はパソコン市場で激突するWindowsとアップルという構造で、“1つ上のランクのMACパソコンを1つ上のランクのあなたに"という非常に解かりやすいメッセージだし、そのセンスの良さで大きな広告効果を上げたことは容易に想像できる。インターネットを手繰ればたくさんイメージが出てくるが、著作権の都合上掲載できないのが残念である。インターネット上にはパロディー版も出ているので当時いかに注目されたかがわかるであろう。ため息の出るような広告なので是非チェックすることをお勧めする。

さて、インテルインサイド・キャンペーンであるが、こちらはいささか事情が込み入っている。インテルのCPU製品はPCに組み込まれて初めてエンドユーザーに届けられる。一般消費者が普段目にしない部品について一般ユーザーにブランドの意識を喚起することができるのだろうか?

インテルインサイド・キャンペーンの構図

マーケティング的に言えば、"Ingredients Marketing(素材マーケティング)"という分野は昔からあって、主にB to Bの場合が多いが、消費財でも成功例がある。例えばスタミナドリンクなどの宣伝で"XXXX何百ミリグラム配合!!"と連呼されるといかにもXXXXという配合されている物質が効果のあるありがたみのあるものに思えてくる。そもそも消費者はXXXXなどと言う物質がどういうものかを調べたり、意識しないだろうが、"なんちゃらというのが何百ミリグラム入っているんだったらビンビンに効くのであろう"、と思うし、その上位製品の“何千ミリグラム配合"の製品はさぞかし効果満点なのであろうという期待にもつながる。

インテルインサイドは今でも継続されている

インテルインサイド・キャンペーンはこの手法を高度な電子機器であるPCに持ち込み、莫大な資金を投じて世界的に展開した点で半導体業界では唯一無二の成功例である。キャンペーンCMの最後には“インテル入ってる、タンタンタンタン"、という印象に残る(私的には大変耳障りな)チャイムのような音(英語ではJingleと言う)で終わるところも広告効果に大きく貢献したと思う。AMDではキャンペーンの効果を確かめるために、Focus Group(一般の人に何人か集まってもらい、目的を伝えずに答えてもらうマーケット・リサーチの手法)をやった。手順は以下の通りである。

  1. 無作為に選ばれた一般の人に集まってもらう(いくらかの謝礼を渡す)。リサーチの目的は説明しない。ただこれからCMを見せますのでその後の質問に答えてくださいとだけ言う。
  2. インテルインサイドを採用した複数のPCメーカーのPCのテレビ広告を見せる。
  3. 簡単な質問をする A) 何の宣伝かわかりましたか? B) 宣伝を見た後覚えているブランドを挙げてください

このリサーチでは驚くべき結果が得られた。複数のPCメーカーが流すCMを流すのであるから、NEC,富士通、ソニー、IBMと言ったPCブランドが連呼されるCMを聞かされているにもかかわらず、被験者の大多数が。

  1. パソコンの広告ですね
  2. インテル…かな~

と答えたのだ。この結果は我々に大きな衝撃を与えた。広告主がパソコンメーカーであるにもかかわらず、各CMに最後に挿入される“インテル入ってる、タンタンタンタン"と言うエンディングが共通の認識になっていたという事である。インテルの目的は見事に達成されたという事だ。

私は、無敵の半導体技術リーダーとしてのインテルに加えて、巨額な資金を惜しみなく使ってこのキャンペーンを押し進める強力なマーケターとしてのインテルを意識した。

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
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