K8のクアッドコア(バルセロナ)の話を書いたところで、今までの連載をふと振り返ってみた。吉川明日論のリンクをクリックすると、今まで書いた連載記事のリストが出てくる。自分でもちょっと驚いたのだが、2015年の3月にスタートしたこのシリーズも60話を超す連載になった。この記事が出るころには11月になっているはずだから、連載もあと少しで2年に到達する。1話で2000字だとするとトータル12万字ということになる。ひょんなことから引き受けた連載ではあるが、当初は正直こんなに連載が続くとは思わなかった。
また、何よりもうれしいのは引退した半導体屋の与太話を読んでいただいている読者の方がいらっしゃる事である。毎週月曜日にアップされた後でその週の読まれた記事ランキングが出るようになっているが、そこで読者の皆様の反応が見られるのは私にとって無上の喜びである。
24年間、正直きつかったけど…
ざっとタイトルを見ただけでも、AMDで過ごした24年間に本当にいろいろなことがあって、いろいろ経験したのだということを実感する。その経験のおかげでこの連載はまだネタ切れになっていない。筆者が自ら言うのは多少傲慢に聞こえるかもしれないのを覚悟で敢えて言わせていただければ、本当に偶然で入社したAMDでインテルを相手に丁々発止の経験ができたことは本当にラッキーであったと思う。半導体ビジネスが隆盛期の時に入社し、どちらかというと劣勢に立たされていた時が多かった印象の24年間であったが、それだけ勤続できたのにはそれなりの理由があったのだと思う。下記が私の雑感である。
- 半導体はまさに産業の米である。サプライチェーンの最も川上にあって、デジタル・エレクトロニクスの急激な技術革新の要求に答える基本技術である。実際はその逆かもしれない。半導体技術の発展がいろいろなアイディアの実現を可能とする。ともあれ、そのトレンドを知ることで将来のテクノロジーの方向性をいち早く察知でき、しかも俯瞰する立場にいたことは大変勉強になった。
- 特にマイクロプロセッサのビジネスは、286の次は386、386の次は486、その次はK5、K6、K7、K8というように技術が急激に発展するので、その真っただ中にいるとランナーズハイのような状態になる。何度か仕事を辞めてこのクレージーなレースから離脱しようと思ったが、次の製品ジェネレーションの顛末を見届けようと思い、ついつい継続してしまうのである。
- 外資系の日本でのオペレーションという立場だったので日米両方の文化にディープに接することができた。そのおかげで両サイドのいい面、悪い面がよく分かった。
- 何しろ競合相手が王者インテルであったので戦いは非常にタフであったが得るものは多かった。ボクシングマッチで言えば15ラウンド戦って結局判定負けであったことは明らかであるが、ダウンを何度も取られたがノックアウト負けはしなかったし、優勢なラウンドもいくつかあったと思う。しかも観客は大喜びだ(その切磋琢磨の競争によって技術革新が加速され、エンドユーザーには大きな利益が生まれた)。
- CEOで創業者のジェリー・サンダースのような本当に強いリーダーシップというものを身近に経験できたことは意味深い。サンダースは常にその後の私のロールモデルであった(私自身は結局足元にも及ばなかったが…)。その他にもユニークで優秀な連中と苦楽を共にできたことは何にも代えられない経験である。また、インテルを相手に戦う我々をサポートしていただいた素晴らしいカスタマーに巡り合えたのも本当にありがたいことだ。
- そして、結果的に24年間が、常にハチャメチャなところは多々あったにしても、予想不可能でハラハラドキドキ、常にエキサイティングで楽しい時間であった(正直きつかったけれど…)ことは紛れもない事実である。
AMDで得た教訓
私は今年で還暦を迎えたので、連載を読んでくださる読者の皆様は殆どが年下の方であると思われる。AMDでの日々から得られた教訓めいた事柄を列挙するのを許されるとすれば、以下のことを述べたい。
- 大変月並みな言い方ではあるが、諦めたらダメである。 AMDではいつでも誰もが"Never give up!!"と言っていた。劣勢に立たされていた場合が多かったので余計そうなのだろうが、自分自身でゲームオーバーにするのは簡単である。ただし行き過ぎた我慢は禁物である。くれぐれも健康には気を付けよう!!
- "虎穴に入らずんば虎子を得ず"という喩えの通りなんでも積極的に飛び込んでいかなければそれなりの結果しか得られない。知らないことは臆せず聞こう。知ったかぶりをして仕事をすることほど辛くて危険なことはない。
- AMDのCEOサンダースは常々言っていた、"自分への投資だと思って仕事をしろ、個人の成長によって会社が成長する、その逆ではない"。これは真理だ。
- 米国の企業でよく使われる"Out Of Box Thinking"という表現がある。ある箱の中に納まって考えるのではなく、たまには突拍子もないことを思いつく柔軟性が非常に重要である事を意味する言葉である。私自身はこれを率先する才能は全くなかったが、AMDでのいろいろな局面で重要な分岐点となった原動力となったのは、こうした柔軟性を持ち、しかもそれを押し通そうとする勇気を持ったリーダー達がいたからだと思う。日本企業で特に欠けているのはこれではないか?
この辺で説教じみた話はやめにしようと思うが、ここに挙げたものは本当に自分で確信していることなので敢えて述べさせていただいた。その解釈、ご批判は賢明な読者の皆様にお任せする。
これからも本編とは直接関係のない閑話のようなものを挟みながら、しばらく連載は継続する予定である。記述の詳細については記憶違いのようなものがあるとは思うが、ここで展開される記事は基本的にすべて実際に起こったことをベースにしており、フィクションではないことは申し上げておく。引き続きご愛読のほどを切にお願い申し上げます。
著者プロフィール
吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
・連載「巨人Intelに挑め!」記事一覧へ