MRO(Maintenance, Rapair and Overhaul)という業界用語がある。日本語に訳すと「整備、補修、オーバーホール」となる。この用語自体はさまざまな業界で使われているものだが、航空宇宙・防衛分野では、これがシビアな課題となる。MROを適切に行うことは安全の確保や可動率の向上に不可欠だが、同時に、MROに要する時間や経費を抑えることも求められる。→連載「航空機の技術とメカニズムの裏側」のこれまでの回はこちらを参照

  • 格納庫で整備を受けている機体の例(ANA Blue Hangar Tourの報道公開で)。つい機体に目を奪われてしまうが、その周囲には工具や機器類に加えて、交換用の部品などが置かれている。これを管理・供給しなければ整備はできない 撮影:井上孝司

検査・交換・部品の管理

1機の航空機を構成する何万点(いや、もっと多いか?)の部品の中には、定期的に検査、あるいは交換しなければならないものが少なくない。その「定期的」のタイミングはさまざまで、「○年ごと」といった具合に時間を単位としている場合もあれば、「○○飛行時間ごと」と時間単位であったり、「○サイクルごと」と飛行回数単位であったりもする。

だから、「いつ検査や交換を実施したか」というデータだけでなく、それぞれの機体ごとに、飛行時間や飛行回数といった運用状況に関するデータも把握しておかなければならない。

部品の交換を行うには、交換用の部品を適宜、整備の現場に供給しなければならない。サプライヤーから見ると、同じ部品を製造の現場にもMROの現場にも送り出す必要がある。何も航空機に限ったことではなくて、自動車でも鉄道車両でも艦船でも同じだが。

そうしたデータを包括的に管理しようということで、F-35計画では当初はALIS(Autonomic Logistics Information System)、後にクラウド技術を取り入れた後継システムのODIN(Operational Data Integrated Network)を導入した。機体だけでなく、ALISやODINといった管理システムがワンセットになっているところが、F-35の、あまり注目されない新機軸である。

  • ALISのキモは、運用とMROを一括して、包括的に管理することにある 引用:USAF

JR西日本の車両情報システム「Ris-e」もMROデータを管理

MROに関わるデータを効率的かつ確実に管理しようという取り組みは、なにも航空機の業界に限った話ではない。

その一例といえそうなのが、JR西日本が開発した車両情報システム「Ris-e」。検査周期管理(法令で定められた検査周期を守るために、車両ごとの検査時期を管理・計画する)や、検修管理(車両ごとの検査項目や、そこで使用する機器・部品を管理する機能)といった業務をサポートしている。

一方、航空業界ではさまざまなオペレーター向けに、資産管理・MRO効率化のためのソリューションを手掛けている会社がある。それがIFSで、以前に連載「軍事とIT」でも取り上げたことがある。この会社は、F-35の製造や維持管理に関わる、複雑なサプライチェーン管理をサポートしている会社でもある。

  • IFSは、機体の製造からMROまで、そして資産投資計画の立案から計画・管理、作業の実施までをカバーするソリューションを提供する 撮影:井上孝司

SB/ADへの対処も必要

シンプルに「定められた期限を越えないように検査や交換を行い、それを管理して切り回す」だけでも簡単な仕事ではないが、そのプロセスに割り込みがかかり、当初の予定・計画通りに話が進まないことがある。

これは実際にあった話だが、あるエンジン部品の点検を、メーカーが「1,000サイクルごと」と指示していたにもかかわらず、それが536サイクルで壊れて事故を起こした。それを受けてメーカーは「1,000サイクルごと」を「400サイクルごと」に変更するSB(Service Bulletin、技術通報)を出した。すると点検のスケジュールは組み直しである。

ときには、事故調査の結果として機体を構成する部品・機器に問題があるという結論が出て、AD(Airworthiness Directives、耐空性改善命令)が発出されることもある。すると、該当する部品や機器を使っている機体のオペレーターは、ADの内容に沿った対処を行わなければならない(ADには従わなければならない、と法律で定められている)。

また、SDやADの発出とは関係なく、特定の部品あるいはモジュールについて、改良型がリリースされることもある。改良型に交換すれば、当然ながら経費はかかるが、それによって得られるメリットが大きければ、交換する方が良いという結論になる。

だから航空機のMROでは、日常的な点検整備だけでなく、改良型の部品や機器の導入、あるいはSBやADの発出といった出来事を把握した上で、必要な対処を遺漏なく行うことも求められる。

  • ひとことで整備といっても、対象は機体と部品(コンポーネント)があり、さらに複数のレベルに分けられる。そこにSBやADの発出など、割り込みがかかることもある 撮影:井上孝司

IFSが2025年6月4日に実施したイベント「IFS Connect」では、さまざまなプレゼンテーションが行われた。その中で印象に残ったもののひとつが、この「SB/AD管理」の機能に関するものだった。

航空機MROの分野はデジタル化が遅れている

MROを実施する際には、作業そのものにかかる時間よりも、その前の準備にかかる時間の方が長いという。「どの機体に対して」「どんな作業が必要で」「その際に点検あるいは交換しなければならない対象は何か」を把握して、遺漏も間違いもない作業指示を用意しなければならない。

しかも、そこにSB/ADの発出、マニュアルの改訂、検査や交換のサイクル変更、といった割り込みがかかることもあるから、常に同じように作業をしていれば済むわけではない。 。

  • 作業を実施するだけでなく、実はその前の準備段階で多くの時間と手間を要しているという 撮影:井上孝司

部品を交換するには、交換部品の品番を確認して、作業を始める前に現場にモノが届いているように、払い出しの請求をしなければならない。MROの現場では払い出しの請求をするだけだが、払い出すための在庫品は適宜、メーカーに発注をかけて確保しておかなければならない。

この品番の把握も手間のかかる仕事だという。これも実際にあった話だが、油圧配管を接続する部品で、同じ外形・同じ外寸なのに内径が違う2種類のパーツがあって、それを間違って取り付けたせいでトラブルを起こしたことがある。それはまずい。

しかも、こうした準備作業に際して、いちいち紙の書類を書いて出すのでは手間がかかる。よってこれこそ、デジタル・トランスフォーメーション(DX)が求められる分野となる。「IFS Connect」では、「航空機MROの分野はデジタル化が遅れている」との指摘があった。

おまけに、航空機整備の業界も御多分に漏れず、人手不足や高齢化といった課題がある。本来業務よりペーパーワークに追われる職場は魅力的とはいえない、という見方もできよう。そうした課題を、システムの整備や作業手順の改善で、多少なりとも緩和できれば良いのだが。

著者プロフィール

井上孝司


鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野で、技術分野を中心とする著述活動を展開中のテクニカルライター。
マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。『戦うコンピュータ(V)3』(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて『軍事研究』『丸』『Jwings』『航空ファン』『世界の艦船』『新幹線EX』などにも寄稿している。このほど、本連載「軍事とIT」の単行本第5弾『軍用センサー EO/IRセンサーとソナー (わかりやすい防衛テクノロジー) 』が刊行された。