航空機の業界でも、いわゆるXRデバイスを活用してみてはどうかといって、さまざまな取り組みがなされている。それはメンテナンスの分野も例外ではない。XR技術といってもいろいろあるが、今回は、拡張現実(AR : Augmented Reality)の活用を取り上げてみる。→連載「航空機の技術とメカニズムの裏側」のこれまでの回はこちらを参照。
整備作業にARを取り入れようとしているBAEシステムズ
このネタを取り上げたきっかけは、またもBAEシステムズの「Innovation Book」。その中に、“Remote maintenance suppport with Augmented Reality” というセクションがある。
つまり、整備作業の現場に対して、離れた場所から支援を提供するのだが、その際の手段としてARデバイスを活用するとの話になる。BAEシステムズはこの件について、ランカシャーのAcademy of Skills and Knowledgeと組んで取り組んでおり、市販品のARデバイスに独自ソフトウェアを組み合わせるアプローチを図っている由。
経験を積んだ整備士・整備員であれば、実機を見ればどこに何が付いているかは承知していることだろう。だから、整備士・整備員が見ている対象に合わせて「ここに○○が付いています」とARデバイスで提示することの意味は薄いかもしれない。
むしろ、整備作業の支援にARを活用する場合、作業ごとに異なる部分、たとえば故障が生じている部位や、故障の内容、それへの対処手順、といった情報を提供する形が効果的と考えられる。
現物を見ながら情報を得たり、マニュアルを見たり
実際、BAEシステムズの取り組みでも、「まず機体に書かれている機番を読み取った上で、その機体に固有の情報をARデバイスに表示する」と説明している。また、整備所要の内容や指示を表示する使い方もあるとしている。
例えば「いま目の前にいる091号機では、機首の電子機器室に収まっているレーダーの送受信機ユニットにトラブルがあると報告されているので、それを外して整備済みの予備品と交換するように」という指示が画面に現れる。そんなイメージだろうか。
また、その場でデータの入力が可能な仕掛けになっていれば、作業指示を受けて実施した後に「交換を完了しました」とその場で報告を上げる。そんな使い方もできる。作業後に事務所に戻ってから報告を上げるのではなく、その場で。
作業の過程でマニュアルを参照する必要が生じたときに、画面上にマニュアルを呼び出す使い方も考えられよう。また、機体の運用履歴など、整備作業に関連する情報を引っ張り出してくる使い方もできそうだ。ネットワークを通じて、遠隔地にいる専門家や熟練者から作業の助けとなる情報を得ることも可能かも知れない。
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本文中で取り上げているのはARの応用だが、米空軍では実機がなくても整備訓練を行えるようにということで仮想現実(VR : Virtual Reality)を活用する取り組みをしているという 写真:USAF
ARの効果を実験してみた事例もある
この手の話に取り組んでいるのはBAEシステムズだけではなくて、アメリカではTaqtileという会社がいろいろやっているようだ。同社はManifestという製品を抱えており、ARの活用によって「安全性と精度の向上」「訓練・整備・検査手順の一貫性実現」といった利点があるとしている。
そのManifestの活用について、米空軍のAFIT(Air Force Institute of Technology)が実証試験を実施したことがあるそうだ。実証実験では、作業手順を紙、あるいはコンピュータ画面に記したマニュアル(T/O : Technical Orders)を参照しながら作業を行う方法と、それをARデバイスの画面に表示しながら作業を行う方法の両方を試した。その結果、「作業にかかる時間に大差はなく、かつ、ARデバイスを使用する方が間違いが少ない」との結果が出た。というのがTaqtileの説明。
もっとも、実際に作業を行う整備士・整備員が、ARデバイスを使うやり方に慣れる必要もあるのではないか。どんな分野でも多かれ少なかれありそうな話だが、仕事に使うデバイスが変われば、仕事に取り組む際の考え方にも影響が出てきそうなものだ。また、新しいデバイスの能力を活かすために考え方を改める、といったこともあるだろう。
大事なのは、ARデバイスを使うこと自体を目的にしないこと。そうではなく、整備作業におけるエラーの低減と迅速化を図ることが最終目的。それを無理なく、より少ない負担で実現する手段としてARが有用ということなら使ってみましょうよと、そういう話になる。
ARを整備訓練に活用する可能性
実のところ、ARの活用は本番以上に訓練の現場で効いてくるのではないだろうか。新人、あるいはこれから新たに未経験の機体の整備について学ぶということになれば、目の前にある現物を見ながら「ここに付いている機器は○○で、脱着はこうやる、点検はこうやる、マニュアルはこれだ」といった情報を参照できたら便利そう。
実際、先に名前を出したTaqtileでも、ARデバイスが生きる場面として訓練を挙げている。ちなみに、話の順番があべこべかも知れないが、同社のManifestで利用できるARデバイスには、Magic Leapと、マイクロソフトのHoloLensがあるそうだ。
普通、整備訓練はそのために作られた専用の訓練機材、あるいは実機を使う。最近の米空軍だと、事故で損傷して飛行不可能あるいは修復不可能になったF-35の廃機を整備訓練教材に転用している事例もある。
専用の訓練機材や廃機だったら、紙やラベルライターか何かを使って説明をつけるようなやり方もあるが、実任務で使用する実機だと、そうはいかない。それに、紙やラベルライターで提示できる情報には限りがある。そこでARデバイスの利点として、「表示できる情報の多様化」「状況に応じて表示する情報を変える」が効いてきそうだ。
著者プロフィール
井上孝司
鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野で、技術分野を中心とする著述活動を展開中のテクニカルライター。
マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。『戦うコンピュータ(V)3』(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて『軍事研究』『丸』『Jwings』『航空ファン』『世界の艦船』『新幹線EX』などにも寄稿している。このほど、姉妹連載「軍事とIT」の単行本第2弾『F-35とステルス技術』が刊行された。