宇宙への道
H-IIAロケット試験機1号機の打ち上げは当初、2000年2月に設定されていた。また、その後の2000年度中には、H-IIロケット7号機の打ち上げも予定されており、わずかな期間ではあるものの、H-IIとH-IIAを並行運用し、スムーズな移行をめざしていた。
1999年5月から6月にかけ、地上試験機(GTV)による総合地上確認試験を行い、打ち上げを想定したカウントダウン作業や第1段の燃焼試験を実施した。
9月3日には、SRB-Aの認定型(QM)モーターの地上燃焼試験を実施し、無事に成功を収め、フライト用のSRB-Aの生産が始まった。
しかし、1999年8月のH-II 8号機の打ち上げ失敗により、H-II 7号機の打ち上げは中止され、H-IIAの開発に注力するとともに、その後の打ち上げはすべてH-IIAによって行われることになった。
さらに、H-IIAで使うLE-7Aエンジンの開発も、燃焼試験を重ねる中でいくつかの欠陥や不具合が見つかった。このため、打ち上げ時期も2001年初めになり、さらにその後、同年夏へと遅れることになった。
H-IIAの開発に関わっていた鈴木啓司氏は、「このとき、ちょっと病みました」と振り返る。
「H-II 5号機、8号機の失敗を目の当たりにし、失敗することの恐怖をつくづく感じました。また、H-IIAは必ず仕上げなくてはいけない、逃げ場がないという緊張もあって、追い詰められていましたね」(鈴木氏)
「試験機1号機の打ち上げが近づくと、毎晩、ロケットが異常を起こして落ちてくる夢を見て、汗まみれで目覚めては設計を確認し直す日々でした」(同)
ロケットの夏
2001年7月10日、H-IIA試験機1号機のコア機体は、愛知県にある三菱重工 飛島工場での製造と点検を終え、船に積み込まれ、種子島へ送られた。
12日には種子島の島間港に到着し、運搬台車に乗せられて、種子島宇宙センターへ向け、島内の一般道を約20km、約5時間かけて輸送された。
13日には、種子島宇宙センターの大型ロケット組立棟の中で、コンテナのふたを開け、まず1段目の機体上部をゆっくりと吊り上げ、起立させた。翌14日には、第2段機体を吊り上げて、第1段の上に取り付けた。その後、15日から17日にかけて、SRB-Aの取り付けが行われた。
29日からは、発射管制棟(通称ブロックハウス)において、打ち上げのシミュレーションが実施された。
8月8日には、フェアリングが未装着の状態の試験機1号機を、射点まで移動させ、9日には「極低温点検」が行われた。極低温点検では、打ち上げ当日と同じ手順で、液体酸素と液体水素を充填し、ロケット全体と地上設備の機能や性能のほか、ロケット追尾系との電波リンクなどを確認する。いわば総合リハーサルである。
極低温点検は正常に完了し、ロケットはいったん、組立棟に戻った。そして18日から19日にかけて、性能確認用ペイロードとフェアリングを、第2段機体の上に取り付ける作業が行われた。
このとき、打ち上げは8月25日の予定だった。ところが19日に、第2段機体の液体酸素タンクの加圧に使用しているバルブが正常に動作しない不具合が見つかり、その確認や原因究明、交換を実施した。これにより、新しい打ち上げ日は8月29日となった。
H-IIAロケット飛昇
8月29日、H-IIA試験機1号機の打ち上げの日を迎えた。その前日、28日21時の天候判断で、最終準備作業開始にGO(ゴー)がかかり、29日0時より作業が始まった。
2時45分、ロケットは組立棟から姿を現し、移動発射台の上に立った状態で、射点までのおよそ500mの距離を約30分かけて移動した。射点到着後、地上設備との接続作業が始まった。ただ、液体水素をロケットに供給するラインの結合が確認できないという不具合が発生した。問題解決に時間を費やしたため、当初、打ち上げは29日13時ちょうどに予定されていたものの、16時ちょうどに再設定されることになった。
その後、ロケットに推進薬の充填が始まり、各種点検も問題なく進んだ。
やや雲のかかった晴れ模様、東の風秒速4m、気温31度の中、H-IIA試験機1号機は29日16時ちょうど、LE-7AとSRB-Aの炎をなびかせ、閃光と轟音を引き連れて、種子島宇宙センターから離昇した。
ロケットはやがて雲に入ってしまったものの、SRB-Aは無事に燃焼を終え、新開発の分離機構も正常に動作し、離昇から1分50秒後にコア機体から離れていった。
LE-7Aはその後も燃焼を続け、離昇から6分41秒後に正常に燃焼を終え、その8秒後には第1段と第2段を分離した。
その直後、第2段エンジンの燃焼が始まり、離昇から約12分49秒後に第1回の燃焼を終えた。しばらく慣性飛行をしたあと、エンジンを再着火し、約3分の燃焼後、所定の静止トランスファー軌道に到達した。
試験機1号機には、性能確認用ペイロード(VEP-2)が搭載されていた。温度センサーや加速度センサーで衛星の搭載環境を検証し、ドップラー測距装置(DRE)で軌道投入の精度を測定、評価することを目的としていた。なお、これらのセンサーや(DRE)は第2段機体に搭載されたまま分離されなかった。
また、レーザー測距装置(LRE)も搭載していた。LREはロケットから分離され、地上からのレーザー測距を通じて、より詳細な軌道投入精度の確認を目的としていた。
打ち上げ後、ロケット取得したデータや、DRE、LREが計測したデータを分析した結果、軌道投入精度について、目標を十分に満足する結果が得られ、打ち上げは大成功といえる結果を残した。
鈴木氏は打ち上げを、三菱重工の会議室にあるスクリーンで、同僚とともに見ていた。鈴木氏の見た悪夢が正夢になることはなく、ロケットは正常に飛行した。
ただ、「無事に、画面から見えなくなるところまで飛んでいったことは記憶にあるのですが、それ以外のことは覚えてないんですよ」と振り返る。
「足が震えていて、翌日筋肉痛になりましたね」(鈴木氏)