-

センサ細胞の仕組み。(A)昆虫の培養細胞に、嗅覚受容体(OR)、共受容体(Orco)、蛍光タンパク質(GCaMP)の遺伝子を導入し、これらのタンパク質を発現させる。(B)匂い分子を検出する仕組み。匂い分子が結合する前の状態(B-i)。匂い分子が嗅覚受容体に結合すると、カルシウムイオンが細胞内に流れ込み、GCaMPの蛍光が強まる(B-ii) (出所:KISTECニュースリリースPDF)
神奈川県立産業技術総合研究所(KISTEC)と東京大学は、単独では増殖しにくい昆虫の「センサ細胞」を、微小なカプセルに1個または少数ずつ隔離して増殖させ、匂い物質への反応が強い細胞系統を選出する技術を開発。その細胞において、ヒト尿中に添加したがん関連物質候補に対する検出感度が、元のセンサ細胞の約2.4倍にまで向上したことを、10月30日に共同発表した。
同成果は、東大大学院 情報理工学系研究科の西本和生特任研究員、同・竹内昌治教授(KISTEC 人工細胞膜システムグループ グループリーダー/東大 生産技術研究所 学内クロスアポイントメント特任教授兼任)、KISTECの三村久敏研究員、米・カリフォルニア大学ロサンゼルス校のディノ・ディ・カルロ教授(東大 EXPERT-GRI 推進室 特任教授兼任)らの国際共同研究チームによるもの。詳細は、バイオセンサーとバイオエレクトロニクスを扱う専門論文誌「Biosensors and Bioelectronics」に掲載された。
「バイオハイブリッド匂いセンサ」の最新研究動向と課題
匂い分子を認識する膜タンパク質である生物の「嗅覚受容体」は、きわめて高性能なセンサだ。近年、その嗅覚受容体を組み込んだ培養細胞を検出素子として利用する「バイオハイブリッド匂いセンサ」の研究が進められている。
昆虫の嗅覚受容体は種類が多く、受容体ごとに反応する匂い物質が異なり、その中には、揮発性有機化合物(VOC)なども含まれる。尿や呼気に含まれるVOCの一部は、がんなどの疾患のバイオマーカー候補として報告されており、それらを高感度に検出する技術は、将来的なバイオマーカー検査や環境中の物質計測への応用が期待されている。
昆虫の培養細胞に、嗅覚受容体とその働きに必要な共受容体、細胞内のカルシウムイオン濃度に応じて蛍光強度が変化する蛍光タンパク質の遺伝子を組み込むことで、センサ細胞を作製することが可能だ。同細胞では、匂い物質を認識すると嗅覚受容体と共受容体の働きによってカルシウムイオンが細胞内に流入し、蛍光が強くなる。この蛍光の変化を読み取ることで、匂い物質を検出できる。
しかし、同じ遺伝子を導入しても、匂い物質に対する反応の強さは細胞ごとに異なり、反応の弱い細胞が混入するとセンサ感度の低下につながる可能性がある。そこで、反応の強い細胞のみを選出して増殖させることで、匂いセンサの感度向上が期待された。ところが、多くの昆虫細胞は周囲の細胞が分泌する物質に依存して増殖するため、1個ずつ反応の強い昆虫センサ細胞を分離して増殖させることは困難なことが課題となっていた。
こうした背景のもと、研究チームは今回、ディ・カルロ教授らが開発した微小カプセル「ピコシェル」を昆虫センサ細胞に応用し、細胞を1個または少数ずつ隔離して増殖させた後、匂い物質への反応が強い細胞系統を選出する技術の開発に取り組むことにした。
今回の研究成果
-

今回の研究手法。センサ細胞をピコシェルに1個または少数ずつ閉じ込め、カプセル外に加えた細胞と一緒に培養する(i・ii)。増殖した細胞のコロニーをカプセルごと1個ずつ抽出してさらに増殖させ(iii)、その中から最も反応の強い系統が選出された(iv) (出所:KISTECニュースリリースPDF)
ピコシェルは、マイクロ流体デバイスを用いて作製される、直径数十μmの中空のカプセルだ。その殻は網目状のハイドロゲルで構成され、細胞は通さないが、培地中の栄養分や周囲の細胞が分泌する物質を通す。そのため、カプセル内の細胞は周囲の細胞と混ざることなく、増殖に必要な物質を受け取れる。
まず、カプセル内にセンサ細胞を1個または少数ずつ閉じ込め、外側に細胞を加えずに培養したところ、カプセル内の細胞は増殖しないことが確認された。一方、カプセル外に同種のセンサ細胞(サポート細胞)を加えて一緒に培養した結果、カプセル内の細胞は約2週間で細胞集団(コロニー)を形成することが観察された。また、カプセル内の細胞の生存には、カプセル外に一定以上の密度でサポート細胞が存在する必要があることも判明した。そしてコロニーを含むカプセルを顕微鏡で確認しながら1個ずつ取り出し、それぞれの細胞をさらに培養することで、8種の細胞系統(派生株)が樹立された。
次に、がん関連物質候補である匂い物質「アセトフェノン」を用い、KISTEC製のマイクロウェル型センサアレイと蛍光検出装置を用いて、8種の細胞系統の反応比較が行われた。その結果、特に強い反応を示す1系統が見出され、元のセンサ細胞と比較しても顕著な蛍光変化が確認された。
続いて、アセトフェノンに対する検出感度と検出限界が評価された。すると、緩衝液中において、選出した派生株が元のセンサ細胞の約3.1倍の検出感度を示した。さらに、市販のヒト尿にアセトフェノンを添加した試料でも、元のセンサ細胞と比べて約2.4倍の検出感度を示し、検出限界は0.93μMだった。
-

周囲の細胞によるピコシェルカプセル内での増殖。(左)カプセルだけを培養しても、閉じ込めた細胞は増殖しなかった。(右)カプセル外にサポート細胞を追加して培養すると、カプセル内で細胞が増殖してコロニーが形成された (出所:KISTECニュースリリースPDF)
,A@|
-

8種の細胞系統の反応の比較。(A)センサ細胞を並べたマイクロウェル型センサアレイ(A-i:明視野像・A-ii:蛍光像)。(B)蛍光検出装置(B-i:解析画面・B-ii:装置本体)。(C)8種の細胞系統のアセトフェノンに対する反応の大きさ。派生株1が、他の7系統を大きく上回る反応を示した (出所:KISTECニュースリリースPDF)
-

元の細胞と選出系統の反応比較。(A)マイクロウェル内のセンサ細胞の蛍光画像(A-i:元の細胞、A-ii:派生株1。アセトフェノン添加前と2分後)。(B)蛍光変化。派生株1では、より大きな反応が確認された (出所:KISTECニュースリリースPDF)
-

感度と検出限界の向上。(A)アセトフェノンの濃度と反応の関係。派生株1では、濃度に対する反応の増え方(感度)が大きくなった。(B)ヒト尿にアセトフェノンを添加した試料での検出限界。派生株1では、元の細胞に比べて検出限界が低下した (出所:KISTECニュースリリースPDF)
これらの結果から、嗅覚受容体の種類や測定装置を変更せずに、反応の強い細胞系統を選出することで、匂いセンサの検出性能の向上が可能なことが示された。なお、今回の研究では、患者の尿を用いた検証は行っておらず、臨床応用に向けては実際の臨床試料を用いた検証が必要だとしている。
研究チームは今後、細胞選抜の自動化を進めるとともに、反応の強い細胞系統の遺伝子を解析し、得られた知見に基づいて、より高感度なセンサ細胞の設計・開発をめざす。また、今回の培養・選抜方法は、昆虫細胞に限らず、単独では増殖しにくい他の細胞にも応用できる可能性があり、こうした細胞の培養や研究にも役立つことが期待されるとしている。