米中対立の激化に伴い、日本企業、特にテック企業の間で「チャイナ・プラス・ワン」の最有力候補として、インドへの期待が空前の高まりを見せている。膨大な人口と高度なIT人材、そして急速なデジタル経済の進展は、中国に代わる成長エンジンとしてきわめて魅力的だ。
しかし、この巨大市場への熱視線の傍らで、我々はインドが抱える特有の地政学的脆弱性、すなわちテロリズムとパキスタンとの長年の対立という、中国市場では想定しづらかったリスクを冷静に見極める局面に来ている。
首都を揺るがした2025年11月の衝撃
そのリスクが現実のものとして突きつけられたのが、2025年11月10日にニューデリーの歴史的象徴である「赤い城」(レッド・フォート)付近で発生した車両爆発事件である。この事件では、走行中の車両が爆発し、少なくとも13人の尊い命が失われた。インド政府はこれを即座にテロ事件と断定し、捜査当局はパキスタンを拠点とするイスラム過激派組織「ジェイシモハメド」(JeM:Jaish-e-Mohammed)の関与を強く疑っている。
驚くべきは、実行犯の背後関係だ。拘束された容疑者の中には、インドとパキスタンが領有権を争うカシミール地方出身の医師が含まれており、当局は彼らが高度な知識を悪用して組織的な同時多発テロを計画していた可能性を示唆している。首都の心臓部で、それも社会的な地位のある専門職が関与したとされるこの事件は、インドの治安情勢が決して安心できるものではないことを示す。
カシミール問題と越境テロの連鎖
インドが抱えるセキュリティリスクの根源には、独立以来続くパキスタンとのカシミール領有権問題がある。
2025年に入り、両国の緊張は再び臨界点に達した。4月にはカシミールの観光地で26人が犠牲となるテロが発生し、これに対してインド軍がパキスタン領内の過激派拠点を越境攻撃するという事態に発展した。一時的な停戦合意には至ったものの、パキスタン側は反発を強めており、国家間の対立が過激派組織による「代理戦争」としてのテロを誘発する構造は、依然として解消されていない。
中国におけるリスクが、主に政府による政策変更や法規制の不透明さといった「国家の意思」に由来するものであるのに対し、インドのリスクは、国家のコントロールが及びにくい「過激思想」や「隣国との根深い不信感」から生じる突発的な暴力であるという点に特徴がある。テック企業がオフィスを構えるベンガルールやグルガオン、ムンバイといった都市部も、こうしたテロの標的と無縁ではない。
日本企業に求められる“リスクの解像感”
日本企業がインドビジネスを成功させるためには、経済指標や市場のポテンシャルを追うだけでなく、こうした地政学的リスクを経営の前提条件として組み込む必要がある。具体的には、以下の三つの視点が不可欠となる。
第一に、物理的なセキュリティ対策の徹底だ。拠点選定においては、治安当局の警備状況や周辺環境の安全性をこれまで以上に厳格に評価しなければならない。
第二に、サプライチェーンの冗長化である。テロや国境付近の紛争によって物流や通信網が一時的に遮断される事態を想定し、代替ルートやバックアップ体制を整備しておくことが求められる。
そして第三に、現地従業員の安全確保とメンタルケアも求められる。不測の事態が発生した際の緊急連絡体制の構築や、地政学的な緊張が職場環境に与える心理的影響への配慮が、組織のレジリエンス(回復力)を左右する。
インドは間違いなく、21世紀の日本にとってきわめて重要なパートナーだ。しかし、そのパートナーシップを盤石にするのは、楽観的な期待だけでなく、最悪のシナリオを想定した上での知的な備えに他ならない。脱中国の受け皿としてインドを捉えるのであれば、こういった地政学リスクを認識しておく必要があるだろう。