米半導体メーカーのクアルコムといえば、日本ではスマートフォンやコンシューマPC向けのチップセット(SoC)のブランドである「Snapdragon」(スナップドラゴン)シリーズの名前が広く知られている。しかし、その技術力はモバイルとコンピューティングの領域に留まらない。
2015年以降、同社はスマートホームや産業向けIoT(Internet of Things)の分野にも積極的に乗り出し、チップセットからソフトウェア、クラウドサービスまでをパッケージにしたソリューションを展開している。そして2025年3月には、IoT向けの新たなブランドである「Dragonwing」(ドラゴンウィング)を立ち上げ、その取り組みをさらに加速させている。
昨今はさまざまなビジネスの領域にAIが活用されている。エッジ側のデバイス単体による高度なAI処理能力が必要とされる中、クアルコムがIoT向けとして提供するプロダクトとソリューションの独自性が注目されている。
今回はクアルコムの日本法人でIoTビジネスユニットの中核を担う大島勉氏、大津行洋氏、瀬戸太介氏の3名に、それぞれ担当するクアルコムのスマートホーム、IoT、ロボティクスの各分野における戦略の現在地と未来への展望を聞いた。
-

クアルコム シーディーエムエー テクノロジーズ(Qualcomm CDMA Technologies)のIoTタスクフォース プロダクトマーケティングに所属するスタッフマネージャーの大島勉氏(中央)と、シニアマネージャーの大津行洋氏(左)、瀬戸太介氏(右)の3名にインタビューした
モバイルからIoTへ拡がる、クアルコムのAIテクノロジー
クアルコムには1985年の設立から40年にわたるモバイル通信技術と、モバイル向けSoCの開発により培ってきた膨大な技術資産がある。大島氏はその「強み」がIoT事業にも活きていると語る。
「クアルコムにはCDMAから3G、4G、そして5Gに続くモバイル通信技術の進化の歴史と共に歩みながら、獲得した豊富な蓄積があります。それはコネクティビティ、高い計算能力と省電力性能を両立するプロセッサ技術、そしてマルチメディアコンテンツの扱いやAIに関するノウハウなどに代表されるものです。これらのモバイルで培ってきた技術資産が、今後はIoTの分野にも広く活かせると考えています」(大島氏)
特にAIに関わるクアルコムの技術は、これからのIoT市場における可能性を拡大する役割も担っている。同社にはスマートフォンのようなハンディサイズのデバイスに搭載するチップセット上に、より少ない消費電力で高度なAI処理を行う高性能なNPU(Neural Processing Unit)を載せた実績がある。電源や部品の配置スペースに制約のある小型のデバイス全般に、そのノウハウを活かせることは大きなアドバンテージだ。
AIに関わる技術の進化は現在、製造業や物流、小売(リテール)などさまざまな産業分野で業務の効率化を後押ししている。さらに従来はクラウドを中心に行われてきたAI処理をエッジデバイスの側でも受け持つようになれば、ネットワーク負荷の軽減、サーバー処理コストの削減など社会インフラへの負担が抑えられる。クアルコムでは1TOPSから100TOPSまで、各市場から求められるAI処理能力に合わせた幅広いチップセットをそろえている。
また、クアルコムは2025年3月、IoT向けのプロダクトを「Dragonwing」という名の下にブランド化した。IoT向けの事業については、チップセットというハードウェアの提供に留まらず、これを使いこなすためのソフトウェアを含む幅広いソリューションをパートナー企業に提供している。
【動画】クアルコムによるDragonwingのコンセプトビデオ
Dragonwingではチップセットを活かす開発環境も提供
Dragonwingの中核となるチップセットの特徴については、瀬戸氏が次のように説明する。瀬戸氏は同社IoT事業の中で、監視カメラやダッシュカムに代表されるイメージセンサー搭載のIoTデバイスと、その他のスマートホームデバイス全般を担当している。
「IoT向けのチップセットには高い耐久性能、長期間に渡り安定したパフォーマンスが発揮できること、そして産業ごとに異なるペリフェラル(入出力ポート)への対応が求められます。クアルコムがモバイルの領域で培ったコネクティビティ、低消費電力、高いNPU性能といった強みを活かしながら、IoT市場のニーズに最適化したチップセットをDragonwingシリーズから提供しています」(瀬戸氏)
DragonwingとSnapdragonは、いわば親戚のような関係性にたとえられるという。チップセットはベースとなる技術を共有しつつ、DragonwingはIoTの領域に求められる仕様に最適化を図った。クアルコムではさらに「Dragonwing IoT Solutions Framework」として、外部の開発者を支援するさまざまなツールや設計テンプレートをパートナー向けに用意している。
たとえば、サンダーソフトとクアルコムの合弁会社であるサンダーコムのプロダクトには、DragonwingのチップセットであるQCS6490を載せた「RUBIK Pi 3」という評価ボードとSDK、チュートリアルにFAQなど豊富なリソースをパッケージにした開発キットがある。
クアルコムのDragonwingシリーズのチップはQCS6490とQCS5430を皮切りに、グループ傘下の米AIベンチャー企業であるEdge ImpulseのエッジAIプラットフォームで利用可能になった。AI開発者はEdge Impulseのプラットフォーム上で、オンデバイスのAI推論処理のパフォーマンスや低消費電力性能に優れるDragonwingのチップセットによる幅広いソリューションが構築できるという。
産業用途に最適化した、低電力な「IQシリーズ」
Dragonwingブランドの中には産業グレードの高性能なシステムチップ「IQシリーズ」(Industrial Qualcomm Series)がある。2024年11月に発表されたIQシリーズは、ファクトリーオートメーションやロボティクス、監視カメラといった、一段と過酷な環境下で高い処理性能と信頼性を求められるエッジデバイスにも最適化している。クアルコムの大島氏がIQシリーズの特徴を次のように語る。
「IQシリーズにはクアルコムが車載向けSoCの開発から得た知見が活きています。マイナス40度からプラス125度といった過酷な温度環境に耐えながら、現時点で2038年までの長期サポートも付属しています。昨今の一般的なIoT向けのチップセットに対して、さらに一歩踏み込んだ価値を提供します」(大島氏)
最上位モデル「IQ9シリーズ」が搭載するNPUには、100TOPSという130億のパラメータを持つ大規模なAIモデルの処理も軽快にこなす演算処理性能がある。これはコンピューティングデバイス(PC)向けのハイエンドチップである「Snapdragon X Elite」に統合されている、45TOPSというNPU性能も凌駕するパフォーマンスだ。このほかにも、最大12台の4Kカメラからの映像ストリーミングを同時に処理できる。
IQシリーズに適するデバイスとしては、たとえば産業用ロボットがある。さまざまなセンサーから取得した情報を同時に解析・処理してアクションを返すためには、クラウドを介さずにエッジ側デバイスだけで素速く処理を行わなければならない場面がある。強力なNPUを統合するクアルコムIQシリーズの独壇場ともいえる。
クアルコムのように独自のDSPであるHexagonをNPUとして活用するアプローチは、AI推論処理の領域でもユニークだ。
競合の半導体メーカーの多くが採用するGPUベースのAI推論処理と比較した場合、消費電力を圧倒的に低く抑えられるメリットがある。デバイスが搭載するチップセットの消費電力が10Wを超えると、空冷ファンなど冷却システムを組み込むことが求められる。クアルコムのIQシリーズはピーク時の消費電力を10W以内に抑えられるため、冷却システムにかかるコストを省ける。IQシリーズを採用するメーカーは独自のアイデアを短期間で実用的な製品へと押し上げやすくなる。
スマートホームにも活きるクアルコムのコネクティビティ技術
クアルコムはIoT領域の中で、一般コンシューマの生活にも深く関わるスマートホーム製品向けのソリューションにも力を入れている。ここで鍵を握るのが「Matter」(マター)の技術だ。
Matterとは、スマートホーム機器やIoTデバイス間の互換性を確保するための共通通信規格であり、旧Zigbee Allianceから2021年5月に組織改編により誕生したCSA(Connectivity Standards Alliance)が規格を策定、技術の開発と管理を行っている。CSAにはグーグル、アマゾン、アップル、サムスンなどスマートホーム向けデバイスを提供する大手メーカーのほか、クアルコムも加盟している。クアルコムは得意とするWi-FiやBluetooth、Threadといった無線通信技術やSoCの知見を活かして、Matterの発展に尽力している。
-

スマート家電の新しい共通規格「Matter」に対応するコンシューマ向けIoTデバイスが増えている。2025年後半からはAI搭載スマート家電にもMatterに対応する機器が拡大することが見込まれている
(出所:CSA)
大津氏は、クアルコムのスマートホームに関わる取り組みを次のように述べている。
「当社の製品にはMatterで利用されるWi-Fi、Bluetooth、Threadの3つの通信規格に対応したIoT向けチップセットがあります。MCU(マイクロコントローラ)も統合しているため、非常にコンパクトで低い消費電力で動きます。コネクティビティ関連の処理をチップセット側に任せられるため、採用いただくパートナーはプロダクトやアプリケーションの開発にリソースを集中できます」(大津氏)
DragonwingシリーズはスマートホームとAIの連携を多方面に拡大する。
たとえば、エネルギーマネジメントシステム(EMS)にDragonwingを搭載することで、AIが家庭やオフィスの電力需要を予測し、エネルギー利用を最適化できる。日本国内でも製品を提供するNextDrive(ネクストドライブ)は、一部の製品にクアルコムのチップセットを搭載したEMSコントローラーを製品化している。これにより家中のデバイスが賢く連携し、ユーザーに「スマートなエネルギーマネジメント」という新たな体験価値を提供する。さらにクラウドを介さずエッジ側で高度な処理ができることから、ユーザーにとってプライバシー性の高い「家庭の電力使用状況のデータ」も堅く守れる。
開発ハードルを下げる「Qualcomm AI Hub」
どれほど高性能なチップセットがあっても、開発者がその実力を引き出すための環境が伴わなければ、AIに関連する価値ある機能と体験は生み出せない。
クアルコムは2024年4月から、AI開発者向けのプラットフォーム「Qualcomm AI Hub」を提供開始している。DragonwingやSnapdragonのチップセットが搭載するNPUの性能を引き出しながら、AIアプリケーションを開発するためには、通常は高度なAI開発の専門が必要になる。
Qualcomm AI Hubには、あらかじめQualcommのハードウェアに合わせて最適化された画像生成、物体検出、音声認識に自然言語処理など多岐に渡る100種類以上のAIモデルが用意されている。外部の開発者は、この中から任意のプログラムをダウンロードして、わずか数行のコードを書き加えるだけで自社のアプリケーションにAI機能を組み込める。大津氏は「AI開発の経験がない、企業や個人の開発者の方々を支援することがこのサービスの狙い」であると説明する。
クアルコムはオンラインで購入できるコンパクトな開発キット「Qualcomm Robotics RB3 Gen2 Platform」の提供も始めた。Qualcomm AI HubからAIモデルをインストールして最適化を図れば、Dragonwingのチップによる強力なAI処理能力とコンピュータビジョン機能、そして先進のコネクティビティ機能を活用したさまざまなアプリケーションの試作が行える。このキットは個人の開発者も含めて、クアルコムのWebサイトから誰でも購入して試せる。
「世界に誇る素晴らしい技術や製品を提供する日本のメーカーと一緒に、AIをインターフェースとする次世代の新しいIoTソリューションをつくりたい」と、大島氏、大津氏、瀬戸氏は口をそろえて意気込みを語った。これから方々でクアルコムによる「Dragonwing」の名前を耳にする機会が増えそうだ。






