海洋研究開発機構(JAMSTEC)は8月8日、地震波到達に関する物理法則と複雑な地下構造を学習したAIを活用して、南海トラフ域向けの手軽で正確度の高い震源位置推定ツール「HypoNet Nankai」を開発し、GitHubでの無償公開を開始したと発表した。

同成果は、JAMSTEC 海域地震火山部門の縣亮一郎研究員らの研究チームによるもの。詳細は、米国地震学会が刊行する地球科学・地質学を扱う学術誌「Seismological Research Letters」に掲載された。

高速かつ正確で扱いやすい推定ツールを開発

気象庁では現在、地震発生時に速報性を最優先するため、比較的単純な地下構造モデルを用いて震源位置を推定している。しかしより正確に震源位置を推定するには、地震波の到達時間の計算に際し、現実に即した複雑な地下構造を考慮する必要がある。

南海トラフ域のようなプレート沈み込み帯は、地下構造の三次元的な不均質性が顕著で、地震波速度が深度と水平の両方向で変化すると考えられている。このような場所では、現実に即した、より正確な三次元地下構造に基づく震源位置推定が重要となる。そうした複雑な構造を考慮して到達時間を計算するには、地下構造を細かい格子状の計算モデルで表現する必要がある。

しかし、その計算技術の実装や必要な計算機資源の準備は容易ではないため、複雑な三次元地下構造を考慮したより正確な震源位置推定を、単純な地下構造モデルに基づく簡便な解析ツールと同等の手軽さで行える仕組みが求められていた。そこで研究チームは今回、AIを活用し、南海トラフ域の複雑な地下構造を考慮した震源位置推定を手軽に行えるツールの開発を試みたという。

近年、地震波の伝播・到達といった物理法則をAIに学習させる手法が注目を集めている。地震波の到達時間を決定する物理法則は、「物理情報深層学習」(PINN)と相性がいいことから、今回開発された「HypoNet Nankai」にも採用された。HypoNet NankaiのAIはPINNに基づき、地震波到達の物理法則と、文部科学省委託事業でJAMSTECが構築した、より正確な南海トラフ域の複雑な地下構造モデルを合わせて学習が行われた。

  • 複雑な地下構造モデルおよび単純な地下構造モデルをそれぞれ用いた震源位置推定の比較

    (a)複雑な地下構造モデルを用いた震源位置推定。地震計の波形データから地震波の到達時刻を読み取り、走時データを準備。現実に即した複雑な地下構造モデルを設定し、地震波の伝播経路と伝播の所要時間を繰り返し計算することで、震源位置が推定される。(b)単純な地下構造モデルを用いた震源位置推定。地震波速度の深度方向の変化のみを考慮した単純モデルを用いて、地震波伝播の所要時間の計算を大幅に簡略化。ただし、推定震源位置(特に深度)は、(a)と比べ大きく異なる場合がある(出所:JAMSTEC Webサイト)

AIの学習には、JAMSTECの「地球シミュレータ」のような学習に適したスーパーコンピュータが必要だ。しかし学習を終えたAIは、一般的なPCでも快適に動作する。HypoNet Nankaiも同様で、地震波の到達時間の予測は多くの場合1秒もかからない。震源1つを推定でも、長くても数秒程度しか要さず、リアルタイム解析への応用も期待されるとした。加えて、AIのデータ効率の高さにより、HypoNet Nankaiのデータ量は500MB程度に抑えられており、地下構造モデルの定義域内であれば、観測地点の追加にも柔軟に対応できる仕組みだ。このようにHypoNet Nankaiは、個々の解析者が労力をかけて実施してきた複雑な地下構造に基づく解析と同等の震源位置推定を、単純モデルに基づく簡便ツールと同等の手軽さで実現したのである。

  • AIの学習プロセスとツール使用時のイメージ

    (a)AIの学習プロセス。物理情報深層学習により、地震波到達の物理法則と南海トラフ域の三次元地下構造モデルを学習済み。AIの学習には、それに適したスーパーコンピュータが使用される。(b)ツール使用時のイメージ。HypoNet Nankaiは、複雑な地下構造を考慮した正確度の高い解析による震源位置推定を一般的なPCでも数秒で実現する。また、単純モデルに基づく簡便ツールと同等の手軽さも特徴だ。GitHubからダウンロード可能である(出所:JAMSTEC Webサイト)

HypoNet Nankaiは、現段階では地震データ解析の研究への活用が想定されている。南海トラフ域で普段発生している中小地震やスロー地震の震源位置推定の正確度向上を通じて、震源がプレート境界断層に位置するのか、別の断層に位置するのかといった精緻な議論をより進めやすくし、地震現象の理解やハザード評価の高度化に貢献することが期待されるとした。

現在のHypoNet Nankaiは、速い地震波であるP波の到達時間の解析のみが対象とされているが、より遅いS波の到達時間も解析できるようにすることで、適用範囲がさらに広がることが期待されるという。より多くの地震データや高度なデータ解析手法を用いた南海トラフ域のP波速度構造モデルの高度化とS波速度構造モデルの作成は、JAMSTECと連携機関において現在進行中だ。HypoNet Nankaiは、それらの最新モデルの更新情報を取り込んで逐次アップデートする予定とする。JAMSTECは、構造モデル更新に物理法則を学習するAIを活用する取り組みも進めており、これらの成果を統合することで、HypoNet Nankaiのさらなる発展を目指すとした。

HypoNet NankaiのAIによる震源位置推定の枠組みは、地下構造モデルを入手可能な他の沈み込み帯においても活用可能だ。今後は、巨大地震発生のリスクが懸念される国内外の他のプレート沈み込み帯への展開も視野に入れ、HypoNet Nankaiのコンセプトを広げていくとしている。