京都大学(京大)は7月4日、京大の研究者も参画するカナダ国立加速器研究所(TRIUMF)が主導する国際共同研究「TUCAN」において、「時間反転対称性の破れ」に迫るため、6月13日に運動速度の極めて遅い「超冷中性子」の生成に成功したと発表した。

  • TUCAN実験が位置するTRIUMF Meson Hall

    TUCAN実験が位置するTRIUMF Meson Hall。中央に、高強度超冷中性子源がある(出所:京大プレスリリースPDF)

なお同研究には、京大からは、複合原子力科学研究所の樋口嵩助教、大学院 工学研究科 原子核工学専攻の藤谷龍澄大学院生らが参画している。

物理学で未解決の“時間の矢の問題”の真相に迫る成果

陽子と中性子の大きな違いは、陽子がプラスの電荷を持つのに対し、中性子は電気的に中性である点だ。しかし中性子には、内部にわずかな電荷の偏りである「電気双極子モーメント」が存在する可能性がある。この有限の中性子電気双極子モーメントの存在は、物理法則の基本的対称性の1つである「時間反転対称性」の破れを示唆する。

時間反転対称性とは、物理システムの運動を記述する方程式が、時間の向きを未来から過去へと反転させても不変である性質を指す。我々の認識するマクロな世界では、コップが割れたら元に戻らないように、時間の流れは過去から未来へ一方向に限定される。しかし量子力学が支配するミクロな世界では、運動方程式は時間の向きが逆転しても成立するとされる。このように、ミクロの世界では時間の向きに制約がないにもかかわらず、マクロの世界では一方向であるという矛盾は「時間の矢の問題」として知られ、物理学の大きな未解決問題の1つとなっている。

宇宙ではビッグバンの際に、同数の物質と反物質が誕生したとされるが、もし同数であれば対消滅し、何も残らなかったはずだ。しかし、実際には物質が圧倒的に多く存在し、反物質はごくわずかである。この物質と反物質の非対称性は、時間反転対称性の破れと深く関係する「電荷・空間対称性(CP対称性)」の破れに結びつくものであり、素粒子物理学において極めて重要だ。

TUCAN実験では、大量の超冷中性子を生成し、中性子電気双極子モーメントを従来よりも高精度で測定することで、時間反転対称性の破れを探索する。超冷中性子とは、100ナノ電子ボルト程度の極めて低いエネルギー状態まで冷却された中性子を指す。エネルギーが低いために運動速度が遅く、容器に数百秒間閉じ込めて蓄積が可能という特徴を持つ。この特性により、中性子の基礎物理量を高精度で測定できるのである。また同実験では、サイクロトロン加速器から供給される陽子ビームを金属標的に照射し、核破砕反応で生成される高速中性子を段階的に冷却する。最終段階では、「超流動ヘリウム」(絶対温度2.17K(約-271℃)以下で、粘性が5桁近くも低下する液体ヘリウム)中で超冷中性子に変換するという仕組みだ。

これまでの経験を基に、世界最高水準の超冷中性子強度を持つ新型超冷中性子源の開発が進められた(この超冷中性子源のプロトタイプを2017年に開発したのが日本の研究者たちだ)。そして今回の実験では、高速中性子を効率よく減速させる「液体重水素減速材」が未設置ながら、シミュレーション予測とよく一致する超冷中性子生成レートが確認された。

  • 実験中に取得された超冷中性子検出器の応答

    実験中に取得された超冷中性子検出器の応答。青線は超冷中性子検出器の計数率を示す。陽子ビーム照射中は、周囲で生成されるガンマ線や高速中性子にも検出器が応答するため、計数率が高くなる。ビーム照射停止後に、超冷中性子生成領域から取り出すバルブを開けると、超冷中性子が検出可能となる(出所:京大プレスリリースPDF)

研究チームは、今後は減速材の導入により、TUCAN実験は本格的な中性子電気双極子モーメント実験へと研究フェーズが進む予定だとする。また今回の国際共同実験で得られた知見は、京大 複合原子力科学研究所の新試験研究炉への応用も期待されるとしている。