大阪大学(阪大)は6月18日、大規模な誤り耐性量子コンピュータに不可欠な特殊量子状態「魔法状態」を低コストで蒸留する「ゼロレベル魔法状態蒸留法」の構築に成功したと発表した。

同成果は、阪大大学院 基礎工学研究科の糸川智博大学院生、同・高田侑吾大学院生、同・平野裕大学院生、阪大大学院 基礎工学研究科/量子情報・量子生命研究センターの藤井啓祐教授らの研究チームによるもの。詳細は、米国物理学会が刊行する量子情報の科学と技術を扱う学術誌「Physical Review X Quantum」に掲載された。

誤り耐性量子コンピュータの量子ビット数大幅削減に貢献

大規模な量子コンピュータはノイズに弱いため、実用化には誤り訂正機能が不可欠だ。しかし、この機能の実装には膨大な数の量子ビットが要求される。例えば、現在のセキュリティ基盤であるRSA暗号の2048ビット素因数分解には、量子コンピュータを用いたとしても2000万量子ビットが必要と見積もられており、これが誤り耐性量子コンピュータ実現への大きな障壁の1つとなっている(現実の量子コンピュータは、最大でも1000量子ビット強の規模に留まっている)。

特に、万能な量子計算に必須な「非クリフォード演算」はエラー耐性が低く、高純度な魔法状態の生成が求められる。なお魔法状態とは、量子コンピュータが複雑な計算を行う上で不可欠な「T演算」と呼ばれる特殊な操作を実行するために必要な補助的な量子状態のこと。この魔法状態を高精度で準備できれば、誤り訂正が可能なクリフォード演算と組み合わせて、T演算をエラーから保護しつつ実行できるという。

従来の魔法状態の作成手法である「魔法状態蒸留」は、エラー訂正機能を持つ表面符号で符号化された論理量子ビットを用いて実行され、それは「論理レベル魔法状態蒸留」と呼ばれている。しかし、この手法は多くの量子ビットと計算ステップを要し、魔法状態の供給スピードも遅いため、大量供給には大規模な“魔法状態蒸留工場”が不可欠であり、これが誤り耐性量子コンピュータに膨大な量子ビット数が求められる最大の要因となっていた。そこで研究チームは今回、論理魔法状態蒸留のオーバーヘッド低減に向け、符号化せずに物理レベル(ゼロレベル)で魔法状態蒸留を行い、その状態を表面符号へと量子テレポーテーションする「ゼロレベル魔法状態蒸留法」の構築に挑んだという。

  • 論理レベル蒸留とゼロレベル蒸留の回路の模式図

    論理レベル蒸留(左)とゼロレベル蒸留(右)の回路の模式図。物理量子ビットが面積で、ステップ数が高さで表現されている(出所:阪大Webサイト)

魔法状態蒸留に用いる回路と、超伝導量子ビット方式量子コンピュータで主流の表面符号は互換性がないため、魔法状態蒸留回路を、正方格子上に配置された量子ビット間の最近接ゲート操作のみを用いて、誤り耐性と高純度を両立できるように構成された。これにより、高純度の魔法状態を、異なる符号間の格子手術を用いた量子テレポーテーションで表面符号へ転送し、表面符号方式で利用可能な魔法状態を高精度で生成することに成功した。

その後の数値シミュレーションの結果、量子ゲートの物理エラー確率が0.1%の場合は論理エラー確率が0.01%の魔法状態が、物理エラー確率が0.01%の場合は論理エラー確率が0.0001%の魔法状態が得られたとのこと。これは、同分野の次のマイルストーンとされる“Megaquop machine”(1メガ演算を実行できる量子コンピュータ)に十分な精度の魔法状態が得られることを意味するという。

  • ゼロレベル蒸留の詳細

    ゼロレベル蒸留の詳細。7量子ビット符号を用いた蒸留回路で魔法状態を蒸留し、得られた状態を表面符号との格子手術と呼ばれる操作によって量子テレポーテーションで転送した後、表面符号上の魔法状態を準備する(出所:阪大Webサイト)

今回の手法で必要となる量子ビット数は約75量子ビットと、既存の論理レベル蒸留に比べ1桁以上少なく、加えて必要なステップ数も半分に削減可能だ。さらに、ゼロレベル魔法状態と既存の論理レベル蒸留を組み合わせることで、より高精度の魔法状態を効率的に精製できることが後続研究で解明されたとする。

研究チームによると今回の成果は、魔法状態を圧倒的に少ない量子ビット数で精製可能にするため、素因数分解や量子化学計算といった産業上重要な計算を高速化する、誤り耐性量子コンピュータ実現のハードルを大きく下げることにつながるという。

実際に今回の研究成果発表後には、Googleの研究グループが今回の手法をさらに発展させた「魔法状態栽培」を発表した。これは、ゼロレベル魔法状態蒸留にて準備された魔法状態にもう一段階蒸留プロセスを追加し、よりエラー耐性の高い魔法状態へと“栽培”する手法であり、発展によってより精度の高い魔法状態が効率的に精製できることが示された。この結果に基づき、最近、Googleは2048ビット素因数分解問題に必要な量子ビット数を1桁削減し、100万量子ビット規模の誤り耐性量子コンピュータで実行可能と発表。魔法状態蒸留はすでに量子コンピュータ分野に大きな影響を与え、誤り耐性量子コンピュータ実現に必要なリソースの大幅な削減に成功している。